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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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強い雨の川岸で泥に埋まった白い石と黒い石

増水した川岸で、白い石の乾いた面を追う

増水した川の岸では、草が水の流れと同じ向きに倒れ、川面だけが幅を変えながら走っている。17時34分、雨はまだ強く、岸に立つと靴の先へ細かな水が跳ねた。僕は川そのものより、泥に半分埋まった石の並びを見ていた。灰色の石が続く中で、一つだけ白い面を上に向けた石がある。濡れているはずなのに、中央の細い部分だけが乾いた色を残していた。周囲の泥は暗く沈んでいるので、その細さが余計に目に入る。

指で触れるほど近づく気はないまま、僕はしゃがみ、上流側と下流側から交互に眺めた。体の向きを少し変えるたび、白い面の端にたまった水が別の線に見える。雨粒の落ちる位置が少し違うだけで、表面の白さも変わった。川岸で聞こえる水音は一つではなく、川の中央で続く低い音に、石へ当たる短い音と草の葉から落ちる音が重なっていた。

僕は数えやすいものから数えようとして、三つ目でわからなくなり、白い石の左にある黒い石の角を見た。黒い角には薄い泥が残り、そこだけ流れに削られていない。角の左右で泥の厚さまで違って見えたので、僕は同じ場所を二度見た。雨の向きは一定せず、白い石の乾いた面もすぐに消えるように見えた。

それでも石は動かさず、岸の水がどこまで近づいたかを靴先から少し離れた場所で確かめている。草の根元へ新しい水筋が伸び、僕の目はまた石の角へ戻りかけた。川面の泡が一列だけ横へ流れていったので、次の列がどこから現れるかを見ようとして、白い石との距離を測るように視線を少しずらしている。

雨粒が残る秋明菊の白い花を窓辺から眺める情景

秋明菊の白を、雨粒の数から読んだ朝

窓辺から見える秋明菊の白い花に、細い雨粒がいくつも残っている。花びらの先へ流れたものと、丸いまま張りついているものがあり、僕は八時二十二分の空より先に、その数を目で追っていた。今日の花として秋明菊を調べると、花言葉には「忍耐」という言葉が出てくる。雨の朝に似合う字ではあるけれど、白い花を見た最初の感想まで、その一語に揃える気にはならなかった。鉢の札に書かれた名前を一度読んでから、花びらの重なりを下から見る。中心の黄色が少し隠れている花だけ、雨の受け方が違うように見えた。

僕はこういうとき、花そのものより、札の文字の間隔を気にしてしまう。札の端が少し濡れて丸くなっているのも、名前とは関係がないのに確かめた。「忍耐」は強い姿勢の言葉に聞こえるが、秋明菊は細い茎の先で白さを保っているだけだ。保つ、という動作が実際にあるのかも決めず、濡れた葉の縁へ視線を移した。一枚の葉には泥の小さな点があり、指でぬぐう代わりに、雨粒がそこへ触れる順番を見ていた。水は葉の中央から外へ広がり、途中で別の粒と重なって形を変える。花言葉を書き写すなら、その横にこの動きも残したい。

白い花の数を数えかけて、三つ目でやめ、今度は一番低い花の茎を追っている。細い茎は葉の陰へ入り、そこで見えなくなった。札を裏返すかどうかを考えながら、窓を少しだけ開け、濡れた空気に手を出しかけたところで、また花びらへ目を戻した。

雨粒を残したトラノオの白い穂先

トラノオの穂先に残った、誠実という言葉

トラノオの茎を指先で支えながら、穂先に残った水滴の数を見ていた。雨は細く続いていて、花の上に落ちた粒がすぐ流れるものと、その場に丸く残るものに分かれている。指を少しずらすと茎のしなり方まで変わるので、支えているというより、余計な力を加えていないか確かめている感じになった。僕はまず、花言葉を思い出そうとせず、どの穂がいちばんまっすぐ伸びているかを見た。先端だけ少し傾いた茎があり、そこを正面から見ると、白い小さな花の並びが均等ではなかった。

今日の花としてトラノオを選んだのは、名前の音に引っかかったからでもある。けれど、調べたときに出てきた「誠実」という言葉を、そのまま花に重ねるのは少し早い気がした。誠実ならまっすぐであるはずだ、と考えそうになったところで、雨に濡れた茎の曲がり方をもう一度見た。曲がっていても、穂の先まで花をつけている。僕は水滴を払わず、葉の裏側も確認した。そこには表から見えなかった細い筋があり、触れると少しざらついていた。

花言葉は便利だけれど、便利な言葉ほど見る順番を短くしてしまう。今朝はトラノオの誠実さを説明するより、説明する前に残っていた形を覚えておきたいと思った。雨が少し強くなり、穂先が同じ方向へ揺れた。僕は手を離して、傾いた茎が戻るまで待ったが、戻りきる前にまた水滴が落ちた。落ちた場所を確かめようとして、僕はもう一度、白い花の並びを端から目で追っていた。

雨の朝の窓辺に置かれたリンドウの鉢

雨の朝、リンドウの青を急いで決めなかった

リンドウの鉢を窓の近くへ少し寄せたまま、僕は開きかけた花の数を数えている。雨は細く続き、ガラスには昨日からの水滴が残っていた。午前七時の東京は明るくなりきらず、葉の先にも湿り気が見える。鉢を寄せた分だけ、窓枠との隙間が狭くなっている。

そばの札には、今日の花として「誠実」と書かれていた。僕はその言葉を見て、すぐにうなずく代わりに、リンドウの青い筒の奥をのぞいた。花びらは全部開いているわけではなく、閉じたままのものもある。咲き方まで整っていないのに、札の一語だけがきちんとしている。札の角が少し反っていることまで、なぜか確かめてしまった。

誠実という言葉は、もう少し硬いものだと思っていた。約束を守るとか、嘘をつかないとか、そういう場面で使う言葉だ。けれど今は、雨で重くなった葉を指で触らず、鉢の向きだけを直している。花に何かを求めないことも、その言葉の近くにあるのかもしれない。開いていない花を、咲いていないとだけ決めるのも違う気がした。

一度正面から見て、次に少し横へ回った。青は同じなのに、花の内側の暗さが変わる。札の文字をもう一度読む必要はなかったが、僕はまた「誠実」と確認した。確認したところで、リンドウが急に分かりやすくなるわけではない。窓を少し閉め、鉢を元の位置へ戻そうとして、手を伸ばしたところで雨音を聞いている。

雨に濡れた苔と倒木がある初秋の森林の細い道

森林の苔を踏まないように歩く午後

森林の細い道で、僕は濡れた苔の端を靴先で踏まないように歩いている。午後の雨は細くなったり少し強くなったりして、葉を打つ音の密度だけが変わる。道の中央は水を含んで暗く、端のほうには苔が途切れず続いているので、歩幅がいつもより妙に小さくなる。

苔は同じ緑に見えても、倒木に近い部分だけ毛先が寝ていた。雨の重さなのか、誰かが触れた跡なのかは分からない。僕はしゃがまず、腰を少し落として横から見た。立ったままでは一枚の面に見えたものが、近づくと細い筋の集まりになっている。こういう確認を始めると、歩くために来たのか見るために来たのか、僕自身でも分からなくなる。

倒木の表面には浅い傷がいくつかあり、その溝に茶色い水が残っていた。指でなぞるほどではないので、近くの枝を避けるついでに顔だけ向きを変えている。雨粒が葉から落ちるたび、溝の水面が小さく揺れた。揺れが収まる前に次の粒が落ちる場所もあれば、しばらく動かない場所もある。僕はなぜか、動かないほうを長く見ていた。

道を進むと、苔の切れ目に湿った土が現れ、そこだけ靴跡の輪郭が残っていた。深さを確かめようとして足を置きかけたが、結局、その脇を回った。森林の中では、見つけたものをすぐ確かめきらないまま歩くことがある。今日はそのままの距離を保って、次の木の根元へ目を移した。

雨に濡れた白いオシロイバナが咲く朝の庭

オシロイバナの白を、雨の朝に決めなかった

白いオシロイバナの花びらに雨粒がいくつも乗っていて、僕はその手前を通り過ぎるつもりで歩幅を合わせていた。雨は朝から途切れず、濡れた葉が重なっているせいで、花の数をすぐには数えられない。白いものだけを見ようとすると、奥の薄い色まで同じに見えてしまう。

今日の花としてオシロイバナを調べると、添えられていた言葉は「臆病」だった。画面を閉じてから、もう一度花を見る。臆病という言葉を置くと、雨の中でうつむいているようにも見えるけれど、実際には花びらの向きが少しずつ違うだけで、そこに気持ちがあるわけではない。僕は言葉を知った途端、見たものを言葉に合わせようとしていた。

花のそばには、雨で細くなった茎が何本かあり、葉の端に泥がついている。白い花の一つは完全には開いておらず、巻いた部分の内側だけが少し見えた。開いているか、開いていないかを決めるには中途半端な形で、僕は一度しゃがみかけて、靴先が濡れた場所へ入りそうになったので体を戻した。

以前なら、花の名前と意味を確認できた時点で、見たことにしていたと思う。今日はなぜか、画面に出た「臆病」の二文字が白い花より先に残った。文字は濃く、花は雨の向こうでぼやけている。僕の記憶は、対象そのものより札のような言葉を拾うことがある。名前を知るために見たのに、名前の横にある短い説明へ引っぱられていた。

少し位置を変えると、花の一つがこちらを向いていないことが分かった。向いていないというより、花冠が横へ傾いている。僕はその角度を直そうとはせず、白い部分の縁に残った水だけを見た。雨粒が落ちるたびに形が変わるので、さっき見た丸さをもう一度確かめようとしても、同じ状態には戻らない。

「臆病」と呼ばれるものを、僕は花の態度として読まないことにした。それでも、その言葉を完全に外すこともできなかった。花を見る前に知ってしまったせいで、視線の順番が少し変わったからだ。白さ、雨、葉の重なり、そのあとに言葉が来るはずだったのに、今日は言葉が先に立っている。

雨脚が少し強くなり、白い花の輪郭がまた滲んだ。僕は立ったまま、開ききっていない一輪を最後にもう一度だけ見た。意味を当てはめるには小さすぎる形だったので、そのままにして、濡れた足元を避けながら歩き出しかけた。

初秋の朝の光を受ける赤い彼岸花

彼岸花の赤を、今朝は決めつけなかった

彼岸花の写真をスマートフォンの画面で開いたまま、僕は指を少し下へ滑らせて、今日の花の言葉を確かめていた。赤い花びらが細く反り返っていて、画面の中なのに、見ているこちらの目の位置まで指定されているようだった。外は薄い雲の朝で、窓の向こうの光も強くない。こういう日に見る赤は、晴れた日の赤より判断しやすい気がして、逆に少し困る。

表示されていたのは「情熱」だった。彼岸花にはほかの言葉もあるらしいけれど、最初に目へ入ったその一語が残った。情熱と聞くと、僕はすぐに熱心さや勢いのある態度を思い浮かべる。けれど、写真の花は大きく動いているわけではない。細い花びらがそれぞれ別の方向を向いているだけで、声を張っているようには見えなかった。

そこで、画面を閉じる代わりに、もう一度花の中心を見た。赤い部分が重なっていて、どこから一枚の花びらが始まるのか、見れば見るほど分かりにくい。僕は花言葉を知ると、対象をその言葉に合わせて見直そうとする癖がある。今回は「情熱らしいところ」を探そうとして、花の形そのものを後回しにしていた。

彼岸花という名前から、道端や土手に咲く姿を思い出しかけたが、そこまで記憶を広げるのはやめた。今朝見ているのは一枚の写真で、手元にあるのも画面だけだからだ。画面の端には、花の赤から少し外れた緑の茎が写っている。僕はさっきまで見落としていたその細い線を、指で拡大せずに眺めた。

「情熱」と書かれた文字を、いったん花の横へ置くような気持ちで見ると、赤さが少し違って見えた。強い意味を持たせる前なら、ただ花びらが広がり、中心から細いものが伸びている。きれいだと言い切るほど整ってもいないし、怖いと決めるほど暗くもない。僕の判断は、花より先に走っていたらしい。

スマートフォンを伏せる前に、表示をもう一度確認した。見間違いではなかった。それでも今日は、その言葉を彼岸花の説明として覚えるより、自分が赤を見てすぐ意味を足したことのほうを覚えておきたいと思った。花言葉は便利だけれど、便利なものは使う順番を間違えると、目の前の形を隠す。

外の光はまだ薄く、窓の近くに置いた画面の赤だけが少し目立っている。僕は写真を閉じてから、閉じた画面に残った黒をしばらく見ていた。彼岸花のことを十分に見たとは言えないまま、朝の確認を終えるには、少し早いような気がしている。

曇り空の朝に鉢植えで咲く赤いサルビアを斜めから見た風景

サルビアの赤を、尊敬と呼ぶ前に

サルビアの赤い花穂を、僕は鉢の正面からではなく、少し斜めの位置から見ている。九月十八日の朝、空は曇っていて、昨日の雨が残した湿り気が葉の付け根に薄く見えた。時刻は七時二十五分。まだ気温は低めで、窓を開けたところから入る空気も、夏の朝のようにまとわりつかない。赤い花穂は何本か上を向いているけれど、正面から見たときほど一まとまりには見えず、茎の間に隙間がある。

今日の花の言葉を調べると、サルビアには「尊敬」という言葉が出てくる。赤い花を見ながらその文字を読むと、少し立派すぎる感じがした。僕が尊敬という言葉を使うときは、たいてい誰かの仕事ぶりを後から思い出したときで、目の前の花に向かってすぐ言える種類の言葉ではない。画面に出た文字を閉じてからも、頭の中ではその二文字の角ばった形だけが残った。

それでも、花穂の下から順番に開いている小さな花を見ていると、雑に扱えないものを前にしたときの姿勢に近いのかもしれないと思った。そう思った直後、花言葉をうまく自分の生活へ当てはめようとしている自分が少し嫌になり、いったん視線を葉へ移した。葉の一枚に小さな傷があり、そこだけ縁がわずかに内側へ折れている。傷は赤い花より目立たないのに、一度見つけると、その葉だけ見落とさないようにしてしまう。

僕はサルビアの本数を数えようとして、途中でやめた。花穂の先まで含めるのか、開きかけのものを入れるのかで迷ったからだ。こういうところだけ妙に正確にしたくなるのに、肝心の尊敬については、誰をどの程度そう思っているのかを言えない。数えるなら、開いている花だけにするか、まだ口を閉じているものも含めるかを先に決めるべきなのだろうが、今朝はそこまで決める気になれなかった。

鉢の横へ少し体を寄せると、赤は一色ではなく、花の口元に暗い部分が混じっていた。朝の曇った光では派手さが抑えられていて、僕が先に読んだ「尊敬」という文字より、実際の花のほうが判断を急がない。葉の傷をもう一度見てから、僕は花穂の向きを確かめるために、鉢を回す手前で指を引っ込めた。回せば裏側も見えるはずなのに、今の角度で分かる範囲を越えて確認する必要があるのか、急に分からなくなった。

サルビアの赤を尊敬と呼ぶこと自体が間違いだとは思わない。ただ、その言葉を置いた途端に、花を見た時間まで説明できたような顔をするのは違う気がした。僕は開きかけの一つを見て、次にその下の葉へ目を移し、傷の位置をもう一度確かめた。それから鉢の縁に触れない距離のまま、花穂がどちらへ傾いているかを見ている。

雨の翌朝の窓際に置かれたクジャクソウの鉢

クジャクソウの白を、今朝は数えなかった

クジャクソウの鉢を窓際へ少し寄せると、白い花がいくつもこちらを向いていた。東京は雨の翌朝で、空はまだ雲に覆われている。昨日の水分が葉の付け根に残り、鉢の縁にも拭き切れなかった跡がある。7時20分の部屋はひんやりしていて、窓を大きく開けるほどではない。僕は鉢を動かしたあと、正面から見える花の数を数えようとした。

一つ、二つ、と始めてみたものの、途中で同じ花を二度見ている気がしてやめた。クジャクソウは細い茎が近いところで分かれているので、少し顔を横へ向けるだけで奥の花と手前の花の重なり方が変わる。数を確かめるには向いていない。向いていないのに、僕は鉢を右へ数センチ動かして、今度は左側から見た。さっきより花が増えたように見えたが、増えたわけではない。

今日の花としてクジャクソウに添えられる言葉の中に、「一目惚れ」がある。朝から少し勢いのある言葉だと思い、画面に表示されたその文字を一度閉じて、もう一度開いた。花を見た瞬間に何かが決まったわけではないし、僕の場合、最初に目へ入ったのは花そのものより、鉢の縁の茶色い跡だった。それでも、白い花がまとまっている場所へ視線が戻るまでには、たいして時間がかからなかった。

近くで見ると、花びらの先がきれいにそろっていないものもある。一枚だけ少し折れ、黄色い中心の脇へ寄っている花もあった。僕はその折れた花を直そうとして指を伸ばしかけたが、触らずに引っ込めた。直すほどのことではない。けれど、そのままにしておくと今度はそこばかり見る。クジャクソウ全体を見たいのに、欠けたところを探す癖がある。

鉢の向きを元へ戻す前に、窓ガラスに映った白さを見た。外の雲と重なって、花の輪郭が少しぼやけている。名前を確かめるために開いたページには、花の特徴や別の説明も並んでいたが、今日はそこまで読まなかった。「一目惚れ」という言葉だけを残し、画面を伏せる。クジャクソウの花びらについた水滴が一つ落ち、鉢の土の端が小さく暗くなった。

僕は数え損ねた花の前で、鉢を完全には戻さず、窓際から少し離れた位置に置いた。白い花の向きが変わり、見える中心の黄色も一つ減った。朝の支度を始めるにはまだ早い気がして、折れた花びらの位置だけをもう一度確認した。

雨の窓辺に置かれた画面に映る小さなアカネの花

アカネの文字だけ、雨の朝に少し重かった

アカネの名前を今日の花の一覧で見つけて、僕はその小さな文字のところだけ何度か読み返した。窓の外は朝から細い雨が続いていて、空気は湿っている。七時二十分の時点で気温は二十一度ほど、暑さは戻っていないのに、湿度のせいでシャツの背中が少し重い。画面を見ている指先まで水気を含んだように感じて、僕は一度だけ指を拭ってから、また一覧へ戻った。そんな状態で見るアカネは、名前だけなら赤い花を想像させるのに、実際の花は小さく、葉の間に紛れるように咲く植物らしい。

一覧の横に添えられていた言葉は「誹謗」だった。朝一番に読むには、ずいぶん角のある言葉である。僕は一度、読み間違いではないかと思って、前後の行を見た。似た字が並んでいるわけでもないのに、花の名前から勝手に穏やかな意味を期待していたらしい。アカネという音には、夕方の空や赤い色の印象が先に来るので、なおさらその言葉との距離が目立った。文字の右側に余白があることまで確認してしまい、そこに別の説明が隠れていないか探したが、もちろん何もなかった。

アカネは根が赤く、昔は染料に使われたという短い説明もあった。そこまで読んでから、僕は花言葉の由来を詳しく探すのをやめた。由来を調べ始めると、今日の雨よりそちらのほうが長くなりそうだったからだ。代わりに、一覧に載っている小さな写真を少し拡大した。花びらの形を確かめたいだけなのに、指が一度行き過ぎて、葉の筋ばかりが大きく表示された。戻る矢印を押すほどではないと思いながら、画面を縮める動作を二回繰り返し、最初と同じ大きさに近づけた。

戻して見ると、花は本当に小さい。派手な色で目を引くものではなく、見ようとする側が少し近づかないと、そこに咲いていること自体を取り落としそうだ。写真の端には葉が何枚か重なっていて、花だけを切り抜いて見ようとしても、どこからが茎なのかすぐには分からない。雨の日の窓の向こうにも、こういう花があるのだろうかと考えたが、具体的な場所を思い浮かべるところまでは進まなかった。僕の中では、アカネはまだ一覧の一行と、その隣の重たい二文字のままである。

それでも、名前だけで明るい意味を決めつけていたことには気づいた。気づいた、と書くほど大げさなことではないので、ここは取り消したくなる。雨の音を聞きながらもう一度アカネの写真を見て、花の小ささと文字の強さを別々に覚えようとした。画面を閉じる前に、名前の部分ではなく花の部分へ視線を戻したが、今度は葉の重なりのほうが先に目に入った。指を画面の端に置いたまま、閉じるかどうかを少し考えている。

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