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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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水筋を拭く前の除湿機が置かれた部屋

除湿機の水筋を、拭く前にたどった

除湿機のタンクを空にしようとして、手を止めた。床に置いた本体の脇から、細い水筋が一つだけ伸びている。タンクを抜いたときにこぼしたのか、昨日の雨の湿気でできたのか、見ただけでは分からない。19時25分の部屋は、窓を閉めていても空気が重く、除湿機の表示だけが淡く光っていた。

ティッシュを取る前に、しゃがんで水筋の先を目で追った。途中で幅が少し変わり、床板の継ぎ目の手前で途切れている。指で触ればすぐ確かめられるのに、今日はそこまでしなかった。濡れた跡を先に消すと、何を拭いたのか自分で分からなくなりそうだった。こういう確認に時間を使うので、家事が妙に遅い。

水筋の横には、拭き掃除をしたときの細かな繊維が一本張り付いていた。水が運んだのか、もともと落ちていたのか判断できず、爪で取るのも後回しにした。床の汚れを探しているのに、目はいつも、汚れより小さいものへ逃げる。除湿機の低い音が止まるたび、部屋の広さまで変わったように感じたが、音が戻るとすぐ忘れた。

タンクの底も持ち上げて見た。透明な水が残ってはいなかったが、角に小さな水滴が二つ付いていた。原因はたぶんこれだと思いながら、たぶんのまま本体を少し手前へ動かした。背面のコードが床をこすり、短い音がした。その音が気になって、今度は水筋ではなくコードの曲がり方を見てしまった。結局、乾いた布の端を水筋のいちばん細いところに当て、押さえるように拭いた。こすって広げるのが嫌で、布を滑らせず、四角く折ったまま何度か置き直した。床はすぐ乾いたけれど、布の先に残った冷たさを確かめるため、僕はそれを広げずに持っていた。タンクを戻す向きだけ、まだ決めていない。

雨上がりの夕方にバス停の時刻表を読む場面

バス停の時刻表を、角から少し離れて読んだ

バス停の時刻表を読もうとして、僕は透明なカバーの右下に顔を寄せた。午後の霧雨はもう上がっていたが、板の表面には細い水滴が残り、紙の端が少し波打っている。17時25分、次の便を知りたいだけなのに、まず角の黒いテープが紙にかかっている位置を見ていた。角から離れないと、数字の列が途中で切れて見える。湿った空気のせいか、眼鏡のない僕の目でも紙面が少しぼやけた。

一歩下がると、数字は読めるようになった。ただ、今度は自分がどの欄を見ていたのか分からなくなり、指をガラスの外側で横に滑らせた。触っていないのに、指先だけは紙の上を進んでいるつもりになっていた。隣の案内板の留め具に水がたまり、そこから落ちた一滴が足元ではなく、時刻表の縁に戻ってきた。僕はその水滴を避けるように首を傾け、便の数字をもう一度確認した。こういう確認は一回で済ませたいのに、列の上から数え直してしまう。

次の便の時刻を覚えたつもりで、僕は視線を外した。すぐには歩き出さず、カバーの左下だけが乾いていることを見た。雨粒の跡は右側に多く、角に近い紙ほど暗く見える。バスが来る方向を確かめようとして一度顔を上げたが、通りを見たあと、また時刻表へ戻った。角から少し離れて読むだけのことに、僕は二度も同じ列を追った。後ろから車が通り、風でカバーが薄く鳴ったので、今度は欄の名前から読んだ。覚えた時刻は、歩き出す前にもう曖昧になっていた。

夕方の渓谷で濡れた面と乾いた面が分かれる石

渓谷の石を、濡れた面の先まで見た

濡れた面の先まで見ようとして、僕は渓谷の石の前で足を止めた。水の流れに近い石は全体が濡れていると思っていたのに、実際には途中で色が切れている。そこから先は乾いた灰色で、境目は線ではなく、細かなざらつきの変化になっていた。

僕は靴先を少し横へずらし、石の表面を正面から見た。水が薄く残ったところだけ、空の明るさを返している。手で触れば早いのだろうが、濡れているか確かめるだけに手を使うのは大げさな気がして、そのまま目で追った。流れの音が近く、見ている間にも細い水筋が一つ増えた。

石の奥には、苔のついた小さな段差があった。そこへ視線を移したあと、最初の境目がどこだったか分からなくなり、僕は一度だけ足元へ戻った。夕方の渓谷は明るさが均一でなく、濡れた面と乾いた面の差も、さっきより控えめに見えた。結局、跨ぐ場所を決めるまで少し時間がかかった。

午後の歩道にある排水溝と細かな雨粒

排水溝の雨粒から、靴先を外した

午後三時五十分、歩道を歩いていると、排水溝のふたの細い隙間へ雨粒が一つずつ落ちていた。昨日の雨が残したものなのか、いま降っている細かな雨なのか、見ている間にも区別がつかなくなった。靴先を少し前へ出せば、その粒の進む線を追えそうだった。

僕はそこで歩幅を変えた。追いかけるつもりはなかったのに、靴の先が排水溝と同じ方向を向いていると、どうしても次の粒を待ってしまう。濡れたふたの表面には小さな砂が張りつき、粒はそれに当たって左右へ分かれた。排水溝の雨粒を見ているというより、靴先の向きを確認していたような気もする。

一度だけ立ち止まり、ふたの端に溜まった水を靴で踏まない位置へ移った。移った先にも薄い水の筋があり、僕はそこを避けるために、歩道の内側へ半歩寄った。わざわざ選んだ道なのに、足元の数センチで予定が変わるのが少し可笑しかった。

雨粒は格子の下へ入り、音を残さなかった。僕はそれを見届けようとして、結局、次に落ちた一粒の場所までは確かめずに歩き出した。背中側で水が跳ねたように聞こえたが、振り返るほどではなかった。

夏の午後の上野動物園にあるパンダ舎と、別れを惜しむ来園者たち

パンダ舎の解体を知って、最後の別れを急がなかった

「明日から解体」というニュースを、14時の画面で読んだ。上野動物園のパンダ舎が、シャンシャンの生まれた場所として残っていたらしい。明日から、という言い方が先に目に入って、僕は記事をすぐ閉じられなかった。東京は雨の名残みたいに湿っているが、いまは雲の切れ間もある。こういう日に、朝から多くの人が思い出の場所へ行ったと知ると、自分だけ遅れて立っているような気がした。

シャンシャンを見たことがあるかと聞かれたら、僕はたぶん「ある」と答える。でも、どんな姿だったかより、見終わった人たちが出口で少しだけ歩く速度を落としていたことのほうを覚えている。実際に見た記憶なのか、別の動物園の記憶と混ざっているのかは判然としない。返還されたあとも、パンダ舎だけは続いていた。ニュースに出てくる「最後の別れ」という言葉は、少し大きいまま画面に残った。

僕なら、今日行けたとしても、写真を撮る場所を決めるまでに時間を使いそうだ。パンダがもういないと分かっている場所で、何を見ればいいのか迷うからだ。建物の前まで来て、結局は人の流れの端に立つ。記念にするには地味な過ごし方だけれど、解体される前に見ておきたいという気持ちは、たぶんそのくらいの形でしか出てこない。

今日の午後、記事を閉じる代わりに、僕は「明日」という一語だけをもう一度読んだ。

夏の朝に咲くオミナエシの黄色い小花

オミナエシの花言葉を、黄色い粒の手前で止めた

朝の七時四十五分、オミナエシの細い茎を指で避けながら、黄色い粒の集まりを見ていた。ひとつひとつの花を数えるつもりはなかったのに、先端のほうだけ妙に密で、そこから目が離れない。昨夜の雨が残した湿り気のせいか、茎は思っていたより濃く見えた。

花言葉を開くのは、そのあとにした。画面に出た言葉は「美人」だったが、僕が先に見ていたのは花の顔ではなく、粒と粒の間にある隙間だった。名前に似合うかどうかを考えるより、こんな小さな花が束になると、輪郭を決めきれなくなることのほうが引っかかった。

指を止めて、もう一度だけ拡大した。黄色は一色に見えず、明るい粒の横に、少し白っぽい粒が混ざっている。花言葉を読んだあとで見ると、さっきまでただのまとまりだったものに、急に人の顔らしさを探してしまう。探しても、見つかったのは細い雄しべだけだった。

窓の外は薄い雲で、東京の朝にしては風が軽い。画面を閉じる前、花言葉の欄を開いたまま、茎の下側へ視線を戻した。そこにはまだ咲いていない蕾がいくつかあり、僕は開花した粒より、その順番のほうを長く見ていた。

夜の室内で、床から拾われて収納かごの端に置かれる洗濯ばさみ

洗濯ばさみの向きを、拾う前に見た

洗濯物を取り込んだあと、床に落ちていた洗濯ばさみを拾おうとして、僕は指を伸ばすのを一度やめた。夜の十時を過ぎた部屋は、昼間より物の向きが分かりにくい。洗濯ばさみは閉じたまま、つまむ部分をこちらへ向けていたが、金具の輪だけが少し横を向いていた。

そのまま持ち上げれば済むのに、僕は床にしゃがんだ姿勢で、左右から眺めた。挟む口が上なら、洗濯物を外したときにひねった形かもしれない。下なら、落ちるときに裏返っただけかもしれない。どちらも確かめようがないので、向きを見たところで役に立たない。それでも、先に向きを決めてから拾うことにした。

指先で触れる前に、近くに落ちていた小さな糸くずをつまんで端へ寄せた。洗濯ばさみよりそちらのほうが目についたからだ。糸くずは白く、床の明かりの中では紙片にも見えた。拾い直すのが面倒になり、足でさらに壁際へ送ってから、洗濯ばさみを金具の輪が外側になるように持ち上げた。

収納かごへ入れる前に、別の洗濯ばさみと触れ合って、乾いた音が一度した。昼なら気にしなかった音だと思う。僕はかごの中を少しだけならして、今の一個を端へ置いた。向きまでそろえるつもりはなかったのに、置いた場所だけは覚えている。

毛布の上で赤ちゃんを見守る親分猫の広い構図

親分猫の前足が、毛布の端で一度止まった

「親分猫」という呼び方を見つけて、午後四時三十五分、僕はその記事を開いた。毛布の上にいる猫と、そばの赤ちゃんが写っている。最初は赤ちゃんの表情を見ようとしたのに、視線は猫の前足へすぐ戻った。こういう写真では、主役を決めるのにいつも少し時間がかかる。

猫は毛布の上で、前足を赤ちゃんへ伸ばしている。よしよししているように見える、という説明は読めば分かるのに、僕は足の順番ばかり確かめていた。片方が先に触れて、もう片方があとから近づく。その間が、世話を焼く動作というより、寝場所を確認しているようにも見えた。

記事の反応には「親の顔してる」「お世話が上手」といった声が並んでいた。僕も同じ言葉を使いそうになったが、入力欄を開くところまでは進まなかった。親分猫と呼ばれているのに、本人は大げさなことをしているつもりがなさそうで、その無関心そうな顔のほうを長く見ていた。

毛布の端が少し盛り上がっていて、猫の前足がそこへ乗るたび、赤ちゃんとの距離がわずかに変わる。僕は画像を閉じる前に、前足が触れる位置をもう一度見た。かわいい、で終わるはずの記事なのに、最後まで順番の確認をしていた。

夏の朝、日なたの手すりに指先を伸ばす場面

手すりの熱を、渡る前に確かめた

手すりを使おうとして、僕は指先を数センチ手前で止めた。朝の光を受けた金属が、見た目から想像するより明るく光っていたからだ。暑いかどうかを確かめるだけなのに、いったん手のひらを近づけ、触れる場所を選んだ。こういうとき、握りやすさより先に温度を確認する癖がある。

端のほうはまだ平気そうに見えたので、そこへ人差し指だけを置いた。熱いというほどではない。ただ、ひんやりした手すりを期待していた指には、はっきり夏の温度だった。手を離すほどでもなく、握り直すほどでもない中途半端さが残り、僕はそのまま一度だけ表面を撫でた。

手すりの下に細い影ができていて、そこなら温度が違うのかと思った。確かめる必要はないのに、影の部分へ指を移す。実際には少ししか変わらず、僕は納得したような、していないような顔で段差を越えた。握った時間より、触る前の待ち時間のほうが長かった。

先へ進みかけてから、手のひらに残った感触を確かめるため、右手を開いた。何も付いていないのに、金属の丸い形だけが指の内側に残っている気がした。汗を拭くほどではなく、ポケットへ手を入れる理由にもならないので、指を二度曲げてから歩き出した。

朝の池の水面に浮かぶ向きの定まらない一枚の葉

池の水面で、葉の向きを決められなかった

池の縁まで来たとき、水面に浮いた葉がこちらを向いていないことに気づいた。昨夜の雨が残した湿り気で、石の表面は少し黒い。朝の光は雲に隠れたり戻ったりしていたが、池の水面には白く薄い明るさが広がっていた。

葉は丸い形ではなく、片側だけが少し折れている。最初は折れた側を岸へ向けていると思った。けれど、目を横へずらすと、葉の影が水の揺れで伸び、向きそのものが変わったように見える。僕は一度しゃがみ、立ったまま見たときと同じか確かめた。

水面には風の筋が細く走っていて、葉の端だけが遅れて動く。流れているのか、ただ揺れているのか、見ているだけでは決められない。手を出して動かすほどのことではないので、岸のどの石と並んで見えるかを基準にしてみたが、石のほうも水面に映って少しずれていた。

近くの草の先から水滴が一つ落ち、葉のそばに小さな輪ができた。輪が消えるまで待つつもりはなかったのに、僕はその数を途中まで数えてしまった。三つ目の波紋が葉の下へ入ったところで、向きを確かめるのをやめ、濡れた石を避けて縁から少し離れた。

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