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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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池の水面と岸辺の草を少し離れた位置から眺める夏の夕方の風景

池の水面から岸の草へ、目線が戻るまで

池の水面を見ていた目が、岸の草の先で止まった。午後五時五分、雲の切れ目からの明るさはあるのに、池は空をそのまま映さず、細い揺れを何本も重ねていた。水面に何かあるか確かめようとしていたはずなのに、いつの間にか、岸から伸びた草の葉先を数えていた。

草はきれいに並んでいなくて、一本だけ水の方へ倒れ、その隣は途中で折れたまま残っている。僕はその倒れた葉を、池に浮かぶ細い枝だと思って少し身を乗り出した。見間違いと分かっても、戻って水面を見直すより、葉の根元に付いた小さな泥の跡を見ていた。そこを見つけた自分が少し可笑しい。

昨日の雨のせいか、岸の土は乾ききっていない。靴を近づけるのはやめて、草を避けるように一歩横へずれた。すると水面の揺れが広く見え、さっきまで見落としていた丸い波紋が、岸から少し離れたところで消えた。何が作った波紋かは分からないし、確かめるほどのことでもないので、僕はまた草の高さに目を戻した。

一番高い葉だけを基準にすると、ほかが全部短く見える。そんな役に立たない比べ方をしているうち、池の向こう側はぼやけて、手前の草だけが妙に具体的になった。水面を見るために立ち止まったのに、最後は草を踏まない位置を探している。足元を決めるのに時間がかかり、歩き出す方向もまだ決めていない。

街角の舗道にある排水溝と、その左右に続く道

街角の排水溝で、靴音が軽く返る側を選んだ

排水溝をまたぐ前で、僕は一度だけ歩く速さを落とした。街角の舗道に細い金属の溝が横切っていて、左右の縁には同じような灰色の地面が続いている。急いでいたわけではないのに、靴底をどちらへ置くかで足が止まった。

左側を先に踏むと、靴音が少し乾いて返ってきた。右側は音がこもるというほどではないが、足の中で一拍遅れる感じがある。音の違いを確かめるため、僕は溝の手前で爪先だけを左右に振った。たぶん、通り過ぎれば忘れる程度の差だった。

雲の切れ間から日が出て、舗道の一部だけが明るくなっていた。水が残っている場所を避けようとしたのに、見ているうちに濡れ具合より音のほうが判断材料になっていた。こういうときの僕は、歩きやすさを決めるのに、ずいぶん役に立たない確認を挟む。

結局、左の縁に靴を置いた。軽い音が一度返り、そのまま数歩進んだところで、後ろから自転車の気配がしたので端へ寄った。排水溝の向こう側に出たあとも、靴音を聞くために歩幅を変えたことだけは覚えている。

駅前ベンチの端に引っかかった買い物袋

駅前ベンチの端で、買い物袋を外す順番に迷った

駅前のベンチを通り過ぎかけたとき、端に買い物袋が引っかかっているのが見えた。袋は座面に置かれたというより、持ち手の片方だけが外側の角に絡み、底が舗道から少し浮いていた。中身が重いのか軽いのか、見ただけでは判断できない。昼前の空は雲が途切れ、湿った暑さがベンチの周りにも残っていた。

僕はまず、袋を取るより先に、持ち手がどちら向きにねじれているかを見た。こういうとき、引けば外れるものを余計に固くすることがある。買い物袋の口はきちんと閉じていて、透明な部分から何かが見えるわけでもない。持ち主がすぐ戻る可能性もあるし、置き忘れならベンチの上へ移すだけでいいのかもしれなかった。

通路側へ回ると、袋の影がベンチの脚の近くまで細く伸びていた。僕はその影を避けるように立ったあと、避ける必要はないなと思って、また端へ戻った。持ち手を一度持ち上げると、絡んでいた部分は外れたが、袋をどこへ置くかで手が止まった。座面の中央に置くのも、足元へ下ろすのも、勝手に決めている感じがした。

結局、引っかかっていた角から袋を外し、ベンチの端に倒れない向きで寄せた。袋の底が舗道についた音は小さく、思ったより中身が入っているらしかった。僕は持ち手のねじれだけ直して、袋の口には触れなかった。そのまま立ち上がると、目線だけがベンチの板の傷へ残った。

朝の光を受けるサルスベリの枝先

サルスベリの花言葉を、朝の枝先で読み違えた

サルスベリの枝先を見上げたまま、僕は花言葉を一度決めかけて、すぐにやめた。朝の光の中で、まとまって咲いている花より、少し下を向いた一輪のほうが目に入ったからだ。花びらは薄く縮れていて、昨日の雨が残した水滴が、葉の付け根に一つだけ乗っていた。

サルスベリの花言葉には「雄弁」や「愛嬌」があるらしい。以前なら、枝いっぱいに花をつける姿を見て、よくしゃべる花なのだろうと簡単に結びつけていたと思う。けれど今朝は、目立つ場所から少し外れた花が、こちらを向かずに咲いている。そのせいで、知っている意味が急に頼りなくなった。

僕は花の数を数えようとして、途中でやめた。数えるなら咲き方を比べるべきなのに、なぜか枝の先端から二つ目の葉ばかり見ていた。葉の縁が少し丸まっていて、そこだけ朝の明るさを細く返している。花言葉より、そんな部分のほうが先に記憶に残りそうだった。

サルスベリは、華やかに咲くものという読み方だけでは足りないのかもしれない。そう書きかけて、それも言い過ぎに思えて消した。僕が読み違えたのは花言葉そのものではなく、花を見る順番だったらしい。枝先から視線を下ろしたとき、足元の濡れた葉が一枚だけ靴のそばにあった。

夜の部屋に置かれたスマートフォンとスヌーピーのアイスクリーム柄ステッカー

スヌーピーステッカーを選ぶとき、僕は最後の一枚を残した

スヌーピーステッカーがもらえるイベントの記事を、僕は画面を閉じずに読んでいた。梅田で始まった「SNOOPY STICKER CLUB」は、アイスクリームがテーマで、無料で持ち帰れるオリジナル品らしい。最大4枚という数字より、どれを先に選ぶかのほうが僕には引っかかった。たくさんもらえる話なのに、最初に好きなものを決めると、残りが急におまけのように見えそうだった。

東京の窓の外は、8月の夜にしては少しだけ風があり、湿気は残っている。20時30分、スマートフォンの画面にはステッカーの写真が並んでいた。僕はスヌーピーの表情ではなく、アイスクリームの部分の傾きばかり見ていた。丸いものを先に選ぶか、少し形の違うものを最後まで取っておくか。自分でも、そこを比べる必要があるのかは分からない。

記事には最大4枚もらえる方法も書かれていたけれど、僕ならたぶん一枚目で止まる。好きなものを最初に取ると、そのあとの選択が作業になりそうだからだ。反対に、いちばん迷う一枚を後ろへ残しておけば、帰るまで楽しめる気がする。無料という言葉にも、少し身構えてしまう。得をする順番まで考え始めると、ステッカーなのに買い物の反省会みたいになる。

画面をスクロールすると、アイスクリームの色が一度だけ暗く見えた。夜の照明が映り込んだだけなのに、僕はその一枚を候補から外しかけ、すぐに戻した。結局、好きな順番はまだ決まっていない。最大4枚というところまで読んで、僕は指を止めたまま、次の写真を開こうとしている。

夏の午後、自動販売機の取り出し口に置かれたボトル

自動販売機の取り出し口で、ボトルの向きを直した

取り出し口のふたを上げたら、買ったばかりのボトルが横向きに転がっていた。自動販売機の前でしゃがむほどではないと思い、指先だけを差し入れて引き寄せたけれど、ラベルの向きがこちらを向いていない。飲むときには関係ないのに、そこだけ直したくなった。東京の暑い夏、14時30分の空気は熱く、冷たい容器の水滴が指にまとわりついた。買うときはボタンと金額しか見ていなかったのに、出てきた後の向きだけを確かめている。

最初は底をつまんで回そうとした。ところが取り出し口の縁にボトルが当たり、ころりと反対へ戻った。自動販売機の中で鳴る冷却の低い音を聞きながら、僕はもう一度、今度はキャップ側を押した。きれいに正面へ向けるより、せめて転がらない置き方にすればいいのに、こういうところで妙に手間を惜しまない。ボトルを出すだけの動作なのに、取り出し口の黒いゴムの切れ目まで見ていた。

ようやくラベルが見える向きになったので、ふたを閉めた。閉まる音が思ったより軽く、直したことまで機械に知られたようで少し気まずい。立ち上がる前に、足元の舗道に落ちた水滴を一つ見つけた。自分のボトルから落ちたのか、昨日の雨の名残なのかは分からない。拭くほどでもなく、靴で避けて歩き出した。手の中では、向きを直したボトルが少し回ったので、僕は持ち替えずにそのまま歩いた。

正午の森林の木陰にある湿った土と乾いた落ち葉の境目

森林の木陰は、湿った土の境目から見ていた

森林の木陰に入って、靴を止めた。正午なのにそこだけ少し温度が違うように感じたが、涼しさより先に、地面の色の切れ目が目に入った。昨日の雨を含んだ土は黒く、落ち葉の下まで湿っている。その隣では、同じような茶色の葉が乾いて軽く反っていた。

境目は線になっているわけではなく、ところどころ土がにじむように広がっていた。僕はしゃがまず、靴先だけを少し横へ向けて見た。踏めば簡単に混ざってしまいそうなのに、見るだけならまだ分けておける気がした。こういうとき、木の幹より足元を見ている自分は、森林に来た目的を少し外している。

細い枝が一枚の葉を押さえていて、その下だけ丸く濃くなっていた。枝をどかせば確認できるのに、そこまでしなくてもいいと思い、代わりに乾いた葉の端を目で追った。葉脈の折れ方が妙にきれいで、土の湿り具合より長く見ていた。

木陰から出る前に、もう一度だけ境目へ視線を戻した。陽の当たる側から見ると、黒い土は思ったより狭く、靴の幅にも満たない場所だった。僕は足を踏み出さず、枝に触れないまま立ち上がりかけて、結局その姿勢で少し止まった。

舗道の継ぎ目と金具が見える街角の標識

街角の標識で、向きより脚元を見ていた

標識の柱を見上げるつもりで歩いていたのに、僕の目は途中で足元へ落ちた。街角の標識は、進む方向を教えるものだと思っていた。けれど今日は、矢印の向きより、その柱が舗道のどこに立っているかが先に気になった。八月の遅い午前、乾いた舗道に薄い雲の影が途切れ途切れにかかっていた。

標識の脚元には、四角い金具と小さなボルトが見えていた。片方だけ少し黒く、もう片方は白っぽい粉をかぶっている。僕は歩幅を一つ縮め、靴先が金具に近づきすぎない位置で止まった。読むなら標識の文字なのに、先にボルトの数を数えようとした。二つまで見えて、三つ目は柱の影に隠れていた。

そこで顔を上げると、標識の板に雲の明るさが反射して、文字の一部が読みにくくなっていた。向きを確かめるために首を傾けたが、結局わかったのは、僕が立つ位置を少し変えれば見えるということだけだった。右へ半歩ずれると、舗道の継ぎ目が靴の前に現れ、その線が標識へまっすぐ伸びているように見えた。

その線を辿るように進む気はなく、僕は標識の脇を通り過ぎた。数歩歩いてから、案内を見落としたかもしれないと戻りかけたものの、振り返った先で確認したのは板ではなく、柱の根元に溜まった細かな砂だった。指で触るほどではないので、靴底で避ける。標識の向きはまだ正しく読めていないまま、僕は次の角へ歩いた。

朝の光が差し込む場所に置かれたクルクマの鉢

クルクマの花言葉を、朝の鉢の向きから読み直した

鉢を持ち上げる前に、クルクマの花がどちらを向いているかを見た。朝の光は明るいのに、葉の影が鉢の縁へ細く落ちていて、昨日の雨の名残らしい湿り気もまだ消えていない。花は正面を向いているつもりだったが、よく見ると重なった苞の先が少しだけ窓から外れていた。

クルクマの花言葉を調べたとき、「あなたの姿に酔いしれる」という言葉が出てきた。きれいな言い方だと思った反面、僕には少し大げさに見えた。そこで鉢を回すことにしたのだけれど、花を光の正面へ合わせるのか、葉の広がりがきれいに見える向きにするのかで、手が一度止まった。

結局、鉢の印を基準にせず、いちばん上の苞の先が明るくなる位置までほんの少し回した。回したあとで、反対側の葉に小さな折れ目があるのを見つけた。そこを隠す向きにすれば見た目は整うのに、僕は折れ目が見える方を残した。花言葉を読むなら、整った姿だけを眺めることではない気がしたからだ。

水を足すほどではなさそうで、鉢の土の表面だけ指で確認した。湿っていたので、そのまま窓辺を離れた。背中を向けてから、クルクマという名前の音が、さっきより鉢の中身に近くなったように思えて、靴を履く前に一度だけ振り返った。

波が引いた海岸に残る泡の細い帯

海岸の泡を、波が引いたあとで見直した

波が引いたあと、海岸の泡が細い帯になって残っていた。歩きながら見つけたのに、僕はその場で足を止めた。白い泡は砂の上で均等に並ばず、途中だけ太くなったり、薄い筋にほどけたりしている。次の波が来れば消えるものだと分かっているのに、消える前の形を一度くらい覚えておきたくなった。

しゃがむほどではないと思って立ったまま眺めていたが、結局、靴先を泡から少し離れた位置へずらした。近づくと見やすいはずなのに、足跡が増えるのが嫌だった。僕の足跡など波の跡よりずっと大ざっぱで、並べて比べるものでもない。それでも、細い泡の線を踏まないようにする判断だけは妙に慎重になった。

泡の中に小さな砂の粒が混じっていて、白一色ではなかった。水が抜けた場所には、細い溝が何本か残り、そこだけ光っている。海岸全体を見ればたいした違いではないのに、僕は泡の端より、その溝がどこで途切れているかを追っていた。

少し先にも同じような泡があったが、そちらはもう輪郭が崩れていた。こちらを見ている間にも、端から透明になっていく。写真を撮るほどのことではないし、撮ってもたぶん泡の細さは写らない。僕は立ち上がり、濡れて色の変わった砂を避けながら、次の波が届かないところまで歩いた。

そのとき、背中側で水が砂を引く音がした。振り返ると、さっきの泡の一部だけがまだ白く見えたので、また足を止めかけた。

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