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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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白線から外れてアスファルトに落ちる街角の影

横断歩道の影が、白線から外れていた

横断歩道を渡りかけて、僕は白線の端で足を止めた。周囲を確かめたわけではなく、街角の影が白線から外れて、少しだけアスファルトの上へ落ちていたのが目に入ったからだ。17時40分の東京はまだ明るく、八月の熱と湿気がシャツの首まわりに残っている。影だけが、渡る人の決めた線に従っていなかった。

白線の内側には影が細くかかり、外側では輪郭が崩れていた。僕は一度、足先を白線と平行に置き直した。そうすると影のずれも測れそうな気がしたが、靴の先を合わせたところで何が分かるわけでもない。白い塗料の表面には細かなざらつきがあり、端の一箇所だけ黒ずんでいる。そこを見つけてから、影より先に白線の汚れを追っていた。

向こう側へ進むつもりで、足を上げかけた。けれど、次の白線までの間隔がこちら側と同じかどうかが急に気になり、僕は半歩だけ残した。横断歩道は均等に見えるのに、見る角度が変わると線の幅まで違って見える。影の外へ出た靴先を戻すより、今いる位置から次の線を見たほうが簡単なのに、僕は白線の端から目を離せなかった。

雲がかかって光が少し弱まるたび、外れた影の輪郭もぼやけた。風は強くなく、路面の熱だけが足元から返ってくる。渡り始める前の数秒を長くしたのは、たぶん影ではなく、線に合わせた自分の足のほうだった。僕は白線をまたがず、角の欠けた部分を避けて足を出した。

街角の舗装に描かれた黄色い輪

黄色い輪の手前で、靴先をずらした

17時20分、街角の舗装に描かれた黄色い輪の手前で、僕は歩幅を急に小さくした。輪は思ったよりきれいな円ではなく、端の一か所だけ塗料が薄く、灰色の地面が細く見えていた。夕方の気温はまだ高く、少し雲の出た空の下でも、靴底から熱が戻ってくる。

何の印なのかは分からない。立ち止まって調べるほどではないのに、輪の内側に靴先を入れるのが嫌で、右足を外側へずらした。左足も同じように続ければ済むところを、僕は一度だけ靴の向きを見た。黄色の線をまたぐ角度が、妙に雑に思えたからだ。

通り過ぎかけたところで、輪のそばに小さな黒い擦れ跡があるのに気づいた。誰かの靴跡なのか、タイヤの跡なのか、そこだけ輪の意味から外れて見える。僕は戻らず、首だけを少し傾けた。近くの舗装には細かな砂が残り、黄色の塗料の上にも薄く乗っていた。

結局、輪を踏まないために選んだ道は、ほんの靴一足分だけだった。歩き出してからも、避けたことより、避ける前に靴の向きを確認したことのほうが残った。角を曲がる手前で、僕は歩幅を元に戻した。

無料の札が添えられたきゅうりを置いた東京の店先のミニチュア風景

「無料です」のきゅうりを、受け取った後で考えた

「無料です」と書かれたきゅうりを持ち帰り、翌朝の行動が話題になったという記事を読んだ。僕が最初に引っかかったのは、きゅうりの新鮮さでも、無料になった理由でもなく、その札を見た人がどんな顔で手を伸ばしたのか、という妙に細かい部分だった。値札がないだけで、買い物の手順が少し崩れる。

無料のきゅうりなら、遠慮なく食べればいい。そう思う一方で、ただ得をした話として読むと、翌朝の行動が急に大きく見えてくる。受け取ったものを自分のところだけで終わらせず、別の形にして返そうとする感じが、値段の表示より強く残った。僕なら冷蔵庫に入れる前に、札の文句をもう一度確認してしまう。

午前の東京は晴れていて、外はすでに暑い。こういう日に店先で無料のきゅうりを見つけたら、僕は必要かどうかを考えるより先に、一本だけなら持ち帰ってもいいのかと迷いそうだ。無料なのに、受け取る側のほうが少しだけ姿勢を正す。その感覚を、記事の子どもの行動が思い出させた。

「無料です」という短い言葉は、値段を消すだけでなく、その後を受け取る人に渡してしまう。翌朝の出来事を読みながら、僕はきゅうりを切る包丁より、札を外す手のほうを想像していた。記事を閉じてからも、食卓に置く前の一呼吸だけが妙に具体的に残っている。

午前の終わりの光の中で草先が揺れる草原

草原の草先を、風の向きより先に見た

草原の中で立ち止まり、僕は風の向きを見ようとして、先に草先を見ていた。午前の終わりの光を受けた細い葉が、同じ方向へ倒れているようで、実際には一本ずつ違う。目を細めると、揺れの始まる場所だけが少し低く見えた。昨日の細かな雨が残っているのか、葉の一部だけ光り方も違っている。

風は顔に当たるものだと思っていたが、今日は頬に届く前に草が知らせてくる。僕は一度、手を上げる代わりに、足元の草を踏まないよう靴の向きを変えた。向きを確かめるためなのに、靴先のそばに折れた茎が一本あるのを見つけ、そこだけ避けて進んだ。避けたあとで、そこまでしなくてもよかったと思ったが、戻って踏む気にもなれなかった。

少し先の草先は、こちらより明るく見えた。光のせいか、風が先に通ったせいか決められず、僕は首を傾けたまま、低い葉の裏まで見ようとした。揺れているのは先端だけで、茎の下はほとんど動いていない。草原全体を見渡すつもりが、目は一つの葉の途中で止まり、その葉の横にある小さな空き地まで見ていた。

その葉を覚えておこうとして、長さや色を数えかけたが、すぐにやめた。数えたところで、次に風が来れば形は変わる。僕は歩き出し、数歩ごとに草先の高さを見た。高いものを追うより、低いものが戻る瞬間のほうが見つけやすい。歩く向きも少しずつ変わり、気づけば風ではなく、踏まない場所を選ぶことに時間を使っていた。

朝の光の中で開きかけたトルコキキョウの蕾

トルコキキョウの花言葉を、開きかけの蕾で迷った

花瓶の前で、トルコキキョウの開きかけた蕾を指で触れずに眺めていた。朝の光が花びらの重なりを薄く拾い、白に近い色なのに、中心だけ少し濃く見える。昨日まで固かった先がほどけているのに、花と呼ぶにはまだ早いような形だった。

トルコキキョウの花言葉を調べると、「優美」や「希望」と出てくる。開いた花を見れば優美という言葉はすぐ分かるけれど、蕾のままでは希望のほうが近い気がした。まだ見えていない部分があるから、というほど大げさなことではない。ただ、開ききった花より、途中の状態に名前を当てるほうが僕には難しい。

今朝は湿気が高く、窓を開けても空気が軽くならない。花瓶の水面に朝の明るさが細く映っていて、僕は水の量を確認してから、蕾の向きだけを少し見る位置を変えた。花言葉を決めるために見ていたはずなのに、最後は花びらの枚数を数えかけて、途中でやめた。数え終わる前のほうが、今の形には合っている気がした。

夜の自宅の窓辺で網戸の隙間を指先で確かめる場面

網戸の隙間を、閉める前に指先で確かめた

網戸を閉めようとして、最後の数センチだけ手を止めた。夜の窓から入る風は弱く、湿った空気が部屋の中にたまっている。網戸の枠と端のゴムの間に、指先が入るほどの隙間がないか、いつものように触って確かめるつもりだった。

目で見ると、枠はきちんと重なっているように見える。それでも人差し指の腹を下から上へ滑らせると、途中で小さな段差に当たった。網戸そのものがずれたのか、枠の角が少し浮いているのかは分からない。指を抜いて、同じ場所を今度は爪の横でなぞった。

閉める動作を一度戻すのも面倒で、僕は取っ手を持ったまま、窓の外ではなく網の目を見ていた。明かりに照らされた一部分だけが細かく見え、隙間を探しているのに、目は破れの有無ばかり拾う。端から三つ目の目だけ、形が少し歪んでいた。

そこを押して直るわけでもないのに、指の腹で網を軽く押さえた。枠を数ミリ動かしてから、さっきの段差をもう一度確かめる。今度は引っかからなかったので、閉める手を離した。窓辺に残った湿気を拭く気にはならず、僕はそのまま部屋の奥へ戻った。

午後の明るさを受ける画面と閉店ニュースを思わせるミニチュアの風景

TSUTAYAあべの橋店の閉店を、知らない店の名前から読んだ

午後三時二十五分、TSUTAYAあべの橋店が十月四日をもって閉店すると、公式Xの知らせを読んだ。画面に出てきた店名を、僕は最初、見慣れた言葉の並びとして流しかけた。あべの橋店に行った記憶はない。なのに、閉店という二文字だけが目に引っかかり、いったん指を止めた。

店の名前を知らないまま、店がなくなるニュースを読むのは少し変な感じがする。僕が知っているのは、TSUTAYAという大きな看板の記憶くらいで、あべの橋店の棚の位置も、入口の広さも知らない。知らない店なら感想は薄くていいはずなのに、公式の文章にある「皆様にご利用いただけた」という言葉を読み返してしまった。

十月四日という日付も、妙に具体的だった。閉店します、だけなら画面を閉じられたかもしれないが、そこに日曜日の日付が置かれると、その日まで営業している店として急に輪郭が出てくる。誰かが最後に立ち寄ることや、いつものように店を見て帰ることまで、僕の知らない範囲で続いている。

ニュースへの反応には「悲しい」「寂しくなりますね」とあり、僕はその二つを比べるように読んだ。悲しいは胸の内側に近く、寂しいは店のあった場所へ向いている気がした、などと勝手に分けてみたが、すぐに分からなくなった。画面の端には午後の明るさが映り、東京の空は晴れている。暑さのせいか、指を止めたまま、閉店日だけをもう一度確認した。

ガラスの反射に重なって低く見える街路樹

ガラスの反射で、街路樹の高さを見直した

ガラスの反射を見ながら歩いていて、街路樹の先端が思ったより低いことに気づいた。実際の木は建物の横に立っているのに、ガラス面には枝の広がりだけが薄く重なり、空の明るさに押されて上の部分が途切れて見える。僕は通り過ぎかけた足を戻し、同じ木を二度見した。

昼の光は強く、ガラスには道路の白さと雲のない空が混ざっていた。反射の中の幹は少し傾いていて、その傾きに合わせると、枝先の位置まで変わったように見える。高さを確かめたいのに、僕が見ているのは木ではなく、木が映った面なのだと遅れて思い出した。

ガラスから少し離れたり、横へ一歩ずれたりしてみると、隠れていた枝が現れた。街路樹そのものは動いていないのに、僕の立つ場所だけで印象が何度も変わる。足元のガラスの継ぎ目が目に入り、そこを境に葉の色が少し違って見えるのも、確かめるには邪魔なのか面白いのか決められなかった。

結局、木の高さを測るような見方はできないまま、僕は反射の端から幹の根元へ視線を下ろした。根元の周りに落ちた小さな葉を一枚数えかけて、数える対象ではないと思い、通りの先へ向きを戻した。

八月の昼の森林の縁に落ちる木漏れ日

森林の縁で、木漏れ日を数える手を止めた

木立の縁で、僕は足を止めた。昼の光が葉の隙間から落ちて、地面の乾いた土と細い草の上に、丸い明るさをいくつも作っていた。数えようとして、最初の三つでやめた。葉が少し揺れるたびに形がずれ、同じものを二度数えた気がしたからだ。数に向いていないのは昔からだけれど、今回は木漏れ日の側にも責任があると思う。

森林の縁は、森の中より目が忙しい。背中側には濃い緑があり、前には開けた草の明るさがある。その境目に立つと、どちらを見ているのか自分でも分からなくなる。僕は地面の一点を選び、そこに落ちた光だけを追った。白い小石の脇にあった明るさが、葉の影をかぶって灰色になるまで、しゃがまずに見ていた。

風は強くなかったが、枝の先だけがせわしなく動いていた。上を見たまま、僕は一度だけ目を細め、さっき数えた三つを探した。もちろん形はもう違っていて、見つけたのは数ではなく、草の葉に引っかかった小さな枯れ枝だった。拾うほどではないのに、靴先で触れて森の内側へ転がした。こういう余計な確認には、いつも時間を使う。

昼の暑さは森林の縁にも届いていて、額に汗が出た。木陰へ入れば楽そうなのに、僕は境目から動かなかった。明るい側へ半歩出ると、さっきまで見えていた影の輪郭が薄くなる。戻ると今度は草の先が光を隠す。数える代わりに、光が消える順番を覚えようとして、結局、最初の一つを見失ったところで立ち上がった。

朝の光の中で赤いケイトウを少し離れて見る情景

ケイトウの花言葉を、赤い花穂の先で読み直した

赤いケイトウの花穂の前で、僕はスマートフォンに出した花言葉を、いったん閉じてからもう一度開いた。朝の七時五分、空は明るく晴れているのに、空気は昨夜までの湿り気を残していて、指先が少しべたつく。花穂は炎のように見える、と書かれていたが、僕の目はその言葉より、先端に出た細い毛の重なりへ向いていた。

ケイトウの花言葉は「おしゃれ」「気取り屋」などらしい。赤い花に似合う言葉だと思いかけて、そこで画面を下へ滑らせるのを止めた。花そのものが気取っているというより、僕が赤い色を見て勝手にそう読んでいるだけかもしれない。こういう花言葉は、納得したふりをすると急に遠くなる。

近くの葉には、明け方の細かな水滴がまだ残っていた。花穂の中央だけを見ていたつもりが、葉の縁にある小さな欠けを見つけて、僕は花言葉の画面をまた閉じた。欠けた理由は分からないし、調べるほどでもない。ただ、きれいなところだけを選んで読んでいたことに気づいた。

ケイトウの花言葉を読み直したあと、僕は赤い花穂の先から少し離れて立った。離れると、花の形よりも、茎が朝の光の中でわずかに傾いているのが見えた。スマートフォンにはまだ検索結果が残っていたが、指はその続きを押さず、湿った葉の欠けた部分をもう一度見ていた。

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