
返却口の奥で光っていた十円玉
自動販売機の返却口に、十円玉が一枚残っていた。夜の歩道は人の気配が薄く、雲に覆われた空の下で、機械の明かりだけが妙にまっすぐ立っている。少し涼しい空気には湿り気があり、シャツの袖が肌に軽く触れ続けた。硬貨は奥の暗がりに半分隠れ、表の数字だけが小さく光っていた。周囲が暗いせいか、十円玉の丸さだけが妙に整って見える。
誰かが取り忘れたのか、入れたつもりで戻ってきたのか、それとも返却口へ落ちたまま気づかれなかったのか。十円玉一枚から想像できる事情は、意外に多い。どれも確かめようがないのに、硬貨の向きだけは妙にはっきり覚えている。拾って届けるほどの場所もなく、見なかったことにするには、そこだけがきちんと見えてしまう。手を近づける前に、返却口の縁を指で二度なぞった。なぜ二度なのかは分からないが、一度では確認した感じがしなかった。
指先に残った薄いざらつきを確かめてから硬貨を取り出すと、冷たさよりも、金属の薄い重みが掌の端に残った。自動販売機のボタンを押す予定はなかったのに、戻すためだけに前へ立つと、選ばれていない飲み物の列まで眺めてしまう。明かりの下では、どのボタンも押されるのを待っているようで、十円玉だけがそこから外れていた。返却口の底をもう一度確かめ、十円玉を掌の端へ寄せた。
歩き出そうとしたところで、機械の下に細い影があることに気づき、膝を少し曲げて、その形を見ようとした。








