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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

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夏の午後、石の間で細くなった川の流れと川辺の草

川の流れが一度だけ細くなった場所で、足を止めた

川の流れが細くなった場所で

しゃがんだまま、右足を少し引いた。先へ進むだけなら、そのまま置けばよかったのに、靴先の前で川の流れが急に細くなっている。川幅そのものが変わったわけではなく、浅いところに出た石が二つ、流れの通り道を狭めていた。水はそこで一度だけ音を変え、広がる前より高く聞こえた。

八月最後の日の東京は、雲の切れ目から日が出たり隠れたりしていた。午後三時二十一分、気温は二十八度あるらしいが、川辺に立つと数字ほどのことは考えなかった。汗をぬぐうより、石の上に残った濡れた筋のほうが目に入った。さっきまで水が通っていた場所なのか、これから通る場所なのか、見ただけでは判断できない。

僕は足を進める向きを少し変え、流れに対して斜めに立った。こうすると水面の反射が減り、底の小石まで見える。見えたからといって、踏んで安全だとは限らない。底の一つが丸いのか平たいのか、目を細めて確かめたあと、結局いちばん平たそうなところではなく、その隣の砂の部分に靴を置くことにした。

川の流れを見ながら、置く場所を決める

足を出しかけて、いったん戻した。戻すほどの理由はなかったのだが、靴底が濡れた石の表面に触れる直前の感触を、まだ知らないままにしたくなかった。僕はこういうとき、危険を避けるより先に、どこまでなら自分で確かめたと言えるのかを考えてしまう。考えている間にも水は石の脇を通り、細い泡を一つだけ下流へ押し流した。

その泡が消えるまで待つつもりはなかった。それでも視線が追いついてしまい、泡が次の浅瀬で崩れるところまで見た。川の流れを見ていると、速い場所と遅い場所が隣り合っているのが分かる。僕が立っている側の水はゆっくりなのに、石の間だけが細く速い。近づけて見れば見るほど、足を置く場所を決める作業が細かくなっていった。

もう一度、靴先を砂へ向けた。今度は水の音を聞こうとせず、足元だけを見た。砂は少し沈み、靴の縁に冷たい水が触れたが、足を取られるほどではなかった。体重を移すと、細くなった流れが靴の前を横切った。さっき音が高くなった場所は、足元から見るとほんの数十センチほどの幅しかない。

渡りきったあとも、すぐには立ち上がらなかった。振り返って石の向きを確認し、さっき平たいと思った石が、横から見ると意外に傾いているのを見つけた。踏まなくてよかった、というほど大げさなことではない。ただ、見える角度を変えると判断が変わることだけは、靴を濡らしたあとにも残った。僕は膝についた草の切れ端を払ってから、川の流れが広がる先へ目を向けた。

夏の昼の草原で風に揺れる穂先

草原の風が穂先の向きを変えたあと

草原の風が変わったあとに残るもの

穂先がいっせいに右へ倒れたので、僕も目をそちらへ追いつかせた。ところが、少し待つ間もなく、倒れ方がゆっくりほどけて、今度は左へ向き始めた。風が止まったようには見えないのに、草の表面だけが別の向きを選んでいる。僕は立ったまま、最初に揺れた穂先を見失わないようにしていた。

向きを決めたのは穂先だった

昼の光では、細い穂の影が地面に短く落ちていて、揺れるたびにその影も横へ滑った。茎の途中に小さな曲がりがあるものは、風が変わってもすぐには戻らず、隣の穂より一拍遅れて動く。僕はその遅れを風の強さだと思いかけたが、同じ場所でも倒れる速さが違うので、そこで考えるのをやめた。判断材料にしているつもりで、見やすい穂だけを選んでいたからだ。

足元の草を踏まないように一歩だけ横へずれると、さっきまで重なっていた穂先の隙間が開いた。奥にも同じような揺れが続いているが、全部が同時に動くわけではない。近くの数本が左へ傾いたあと、少し離れた列が遅れて同じ向きになった。僕は風向きを確かめるために来たわけではないのに、いつの間にか、どの穂を基準にするかで迷っていた。

一度、右へ倒れたものだけを目で追ってみたが、途中で別の穂が先に揺れて、視線がそちらへ逃げた。戻ろうとしても、細い先端は似た形ばかりで、見分けがつかない。仕方なく、いちばん低く曲がった茎の隣にある穂を目印にした。風がまた向きを変えたとき、その穂はすぐには動かず、僕は確認のために首だけを少し傾けた。

草原全体は同じ方向へ流れているようで、近くではばらばらに見える。そのばらばらさを直そうとして、僕は何度も視線を端から端へ動かした。けれど、風が変わったあとに残る遅れまで揃えることはできず、最後は目印にした穂の隣を見たままになった。次にどちらへ倒れるかを待つには、まだ少し時間がかかりそうだった。

晴れた夏の午前、テーブルの上で三分を待つカップ麺

カップ麺の三分間を、急がず待つ理由

カップ麺の三分間を待つ

湯を注いだカップ麺のふたを押さえ、僕はテーブルの前から離れずにいた。今日は午前十時十五分。東京の空はよく晴れていて、窓から入る光が容器の白い縁だけを妙に明るくしている。三分なら、立って別のことをするほど長くない。

早く食べたいのに、早くしない

今日のニュースで、カップ麺は一分でも作れるのに、あえて三分待つという話を読んだ。麺が戻る時間だけでなく、食べる側が熱さを受け入れるための間でもあるらしい。なるほどと思った直後、僕はふたの端を二度押した。そこは確認しなくてもよい場所なのに、浮いていると落ち着かない。

タイマーを見る代わりに、容器の脇ににじんだ水滴を数えかけた。ひとつ、ふたつでやめて、今度はふたの印刷された線を目でなぞる。三分を待つだけなのに、僕の注意は麺から何度も逃げる。急いでいるときほど、関係のない角が気になる。

ふたを開ける手前で

残り時間を確かめるために立ち上がりかけ、椅子の脚を見て止まった。昨日の軽い雨のせいか、床に小さな湿り気が残っている。拭くほどではないと判断して、座り直す。カップ麺のふたはまだ押さえたままで、僕は湯気の逃げ道だけを気にしている。

三分が過ぎたかどうかは、時計を見れば分かる。それでもすぐには開けず、ふたの端に親指を置いたまま、少しだけ待っている。麺がちょうどよくなったかは、開けるまで分からないので、その線を越える前で止まっている。

朝の光の中でひらききらない朝顔が咲く鉢

朝顔の花言葉を、ひらききらない一輪の前で考えた

朝顔の花言葉を、ひらききらない一輪から考える

花の前を通り過ぎるつもりで、僕は一度だけ足を止めた。朝顔の花は咲いていたけれど、いつものように丸くひらききってはいなかった。青紫の端が内側へ寄り、中央に細いすき間が残っている。閉じているわけではないし、咲いていると言い切るには少し足りない。そういう中途半端な形を、僕は朝からじっと見ていた。

朝顔の花言葉を思い浮かべると、まず「愛情」や「結束」という言葉が出てくる。以前なら、花が大きくひらいた姿に似合う言葉だと思って、そのまま納得していたはずだ。けれど今日は、花びらの重なり方ばかりが目についた。外側の一枚だけが少し厚く見え、そこに朝の光が引っかかっている。花言葉より先に、ひらき方の順番を数えたくなった。

ひらく途中の形に目が止まった

僕は鉢の向きを変えなかった。正面を探して動かすと、見やすい角度は作れるけれど、今見えているものまで変えてしまう気がしたからだ。実際には、そんな大げさな判断ではない。ただ、左側から見たときの折れ目が妙に気になって、右へ回り込むのをやめただけである。朝顔の花言葉を考えるつもりが、花の見え方に自分の都合を混ぜないことへ注意が移っていた。

葉の一枚には、昨日の細い雨が乾ききらなかったような跡があった。指で確かめることはせず、近づいた顔を少し戻した。触れば分かることもあるのだろうが、今日は触らないまま分からない部分を残したかった。ひらききらない花を見ていると、「愛情」という言葉も、強く抱え込むことではなく、形を急いで決めないことに近く思えてくる。これは僕の勝手な読み方で、正しいかどうかは分からない。

それでも、出かける前にもう一度だけ花の中央を見た。すき間の奥は暗く、花の内側に何があるのかまでは見えない。完全に開くのを待つほど時間を使うつもりはないのに、あと少しだけと思ってしまう。僕は結局、朝顔の花言葉を書き留めず、ひらきかけた端の位置だけを覚えたまま、その場を離れた。

夜の小さな部屋で首を振る扇風機

扇風機の首振りを、肩の位置で一度だけ直した

扇風機の首振りが肩を外れているので、僕は椅子に座ったまま、風が通り過ぎるたびに右肩を少しだけ前へ出していた。風そのものは来ているのに、待っている時間のほうが長い。夜の部屋は音が少なく、首が端まで向いたときの小さな作動音だけが妙にはっきり聞こえた。

立ち上がって正面から見ると、扇風機の向きは大きくずれていない。床の上の本体を数センチ動かすほどではないし、角度の目盛りを探すほどでもない。けれど肩に当たる位置だけは気になる。僕は首の部分に指を添え、止めるのではなく、ほんの少しだけ向きを直した。

すぐに椅子へ戻ると、風は前より早く肩へ届いた。顔に当たり続けるほど強くはなく、首を振る途中で耳の横を抜けていく。確認のために姿勢を変えず、背中を椅子へ押しつけたまま、次に風が来るまで待った。こういう確認だけは、眠る前でも省けない。

その間、扇風機の脚の片方に薄いほこりが付いているのが見えた。掃除を始めると首振りの具合を忘れそうなので、そこへ手を伸ばさず、目だけで一度なぞった。普段なら先に拭くのに、今夜は肩の位置のほうが優先だった。

もう一度風が来たとき、肩の丸みに沿って布が少し揺れた。僕はそこで首の角度を変えず、椅子の位置も動かさなかった。直したのは一度だけなのに、何度も確かめたせいで、扇風機の動く範囲まで覚えてしまいそうだった。

スイッチへ手を伸ばす前に、首がこちらを向くのを待っている。次に風が当たったら止めるつもりで、肩を元の位置へ戻し、足先だけを床に置き直した。

小雨の水滴が残る窓から見上げた夏の空

窓の水滴を数えてから、夏の空を見上げた

窓を拭こうとして、布を持ったまま水滴を数え始めた。昨日からの雨が今朝も少し残っていて、ガラスの内側ではなく外側に、小さい粒がばらばらに張りついている。数えるなら上からなのか左からなのか決めていなかったので、途中で同じ粒を二度見た気がして、最初からやり直した。こういうところで手際の悪さが出る。

大きな水滴は下へ流れた跡を一本だけ残し、その脇に細い線が二本並んでいた。線を水滴として数えるかどうかで迷い、結局、丸く残っているものだけにした。ガラスの端には粒が寄っていて、中央より数えにくい。窓の水滴を数えることに意味はないのに、数え方だけは妙に正しくしたくなる。

十を過ぎたあたりで、外の明るさが目に入った。雨雲が切れたというほどではないが、灰色の向こうに夏の空の青さが薄く見えている。窓の汚れを確認するつもりで近づいたのに、僕は水滴の隙間を探して空を見ていた。昨日の雨で冷えた朝の感じが、ガラス一枚で少し遠くなった。

それでも布を置く場所がなく、窓枠の角へいったん寄せた。数えた数はもう覚えていない。二十を超えたかどうかも怪しく、記録しておけばよかったとは思わなかった。ただ、拭けば見えなくなるものを先に見ておきたくなっただけだ。外側の粒は、空の明るい部分に重なると輪郭がよく分かった。

窓を開けるほどではない小雨で、部屋の空気もまだ重い。僕は残った水滴を一つ選び、下へ動くかしばらく見ていたが、動かなかった。布を持ち直して、今度こそ端から拭くつもりになったところで、ガラス越しの青い部分がまた広がって見えた。

小雨の午前、街角にできた水たまりと濡れた歩道

街角の水たまりを、避けずに渡った

水たまりの縁に靴先を寄せたところで、いつものように端を探すのをやめた。午前九時半の街角は小雨が続いていて、歩道の低いところだけが薄く水を抱えている。深そうには見えないのに、僕は毎回、靴底を濡らさない道筋をずいぶん真剣に選んでしまう。

今日は水の中央へ足を置いた。表面に細い波紋が二つ広がり、靴の横から逃げた水が縁石の方へ戻っていく。濡れた靴下の感触を先に想像していたが、実際には靴底が少し沈んだだけだった。渡りきってから、濡れた範囲を確認するために足を一度持ち上げた。

そのまま歩けばよかったのに、排水口の格子に引っかかった小さな葉が目に入り、靴先で押してみた。葉は動かず、水だけが細く格子へ吸い込まれていく。水たまりを越えるより、そちらに時間を使うあたりが僕らしいと、自分で少し呆れた。

戻って縁を選び直すほどのことではないので、濡れた歩道をそのまま進んだ。背中側で雨粒が水面を叩く音がして、さっきの足跡が残っているか確かめようとしたが、振り返る前に角を曲がりかけていた。

雨の名残が残る夏の朝のひまわり

ひまわりの花言葉を、黄色より茎の傾きで読んだ

花の向きを直そうとして、僕はひまわりの茎に伸ばしかけた指を引っ込めた。雨の名残がある朝は、黄色い花びらの先に水滴がいくつか残っていて、触れば簡単に落ちそうだった。けれど、その水滴を落とさずに見ることより、少し傾いた茎をそのままにしておくほうが気になった。

ひまわりの花言葉といえば、明るさや憧れを思い浮かべる人が多いらしい。僕も以前なら、中央の茶色い部分と大きな黄色だけを見て、迷わず「憧れ」と書いていたと思う。今日は花そのものより、花を支えている茎の角度が目に入った。まっすぐではないのに、折れているわけでもない。その中途半端さが、朝から妙に判断を遅らせた。

左側の花びらは一枚だけ内側へ曲がり、葉には雨で貼りついた細い土が残っていた。きれいな部分を選んで花言葉を決めるなら、もっと簡単だったはずだ。でも、僕が覚えていたのは満開の形ではなく、その曲がった一枚と、茎の根元にできた浅い折れ目だった。写真にするなら邪魔に見える箇所を、しばらく見ていた。

途中で花の下の受け皿にたまった水へ視線が移った。水面に花の黄色が映っているか確かめたくなったが、角度を変えると茎まで動きそうなので、結局その場から動かなかった。こういう確認は必要ないのに、僕は水が透明かどうかだけを見てしまう。底に小さな葉の切れ端が沈んでいた。

それから、今日のひまわりの花言葉は「無理にまっすぐでなくても、向きを失わないこと」にした。正式な花言葉かどうかは知らないし、調べて正しさを直すつもりもない。水滴が落ちる前に、曲がった花びらをもう一度だけ見て、指を伸ばす代わりに鉢の縁を拭いている。

夏の朝の光を受けるハツユキソウの鉢

ハツユキソウの花言葉を、白さの途中で考えた

ハツユキソウの花言葉を、白さの途中で考えた

白くなった葉先を見ようとして、僕は鉢の前で少し腰をかがめた。ハツユキソウは花そのものより、上のほうの葉が白く縁取られていくところが目立つ。全部が白いわけではなく、下にはまだ緑が残っていて、その境目が思っていたより細かい。

前の日に雨が降ったので、葉の表面には小さな水滴がいくつか残っていた。白い部分に乗った水滴は見つけやすいのに、緑の葉にあるものは見落とす。僕は同じ鉢を見ているだけなのに、白さに視線を引っ張られているらしい。

白くなる途中の葉を見て

ハツユキソウの花言葉を調べると、「祝福」や「穏やかな生活」と紹介されている。きれいに咲いた瞬間へ向ける言葉なら分かりやすいけれど、この植物は白くなりきる前のほうが、僕には印象に残った。まだ緑の面積が多い葉を見て、これは白い葉なのか、緑の葉なのかと一度迷った。

花言葉は、決められた答えをそのまま受け取るものだと思っていた時期がある。けれど、目の前の姿と少しずれていると、言葉のほうを持ち上げて考え直すことになる。祝福というには鉢の中の変化は小さく、穏やかな生活というには、僕が葉の境目ばかり確認していて落ち着きがない。

白い葉の裏側を確かめようとして、鉢を回しかけたところでやめた。昨日の雨で土がまだ濡れているし、茎を動かすほどのことでもない。代わりに、いちばん白い葉の先だけを目で追った。白い部分は急に始まるのではなく、細い線から広がっているように見える。

「祝福」と書かれた花言葉を思い出しながら、僕はその言葉を花全体ではなく、この途中の白さに置いてみた。完成した姿を待たず、変わりかけのところにも名前をつけてよいらしい。そう思った直後、葉先の水滴が一つだけ大きく見えたので、落ちるまで鉢を回さずにいることにした。

照明の下にある壁時計と、端が少し浮いたスイッチカバー

秒針が一周するまで、灯りを消さなかった

秒針を一周見てから消す灯り

照明のスイッチに指をかけたまま、僕は壁の時計を見ていた。夜の22時55分。窓の外では細い雨が続いていて、部屋の明かりを消すと、時計の針すら見えなくなりそうだった。急いで寝るわけでもないのに、秒針が一周するまで待つことにした。

長針や短針は見慣れているのに、秒針だけは同じ場所へ戻ることを一度きちんと実演しているようで、途中で目を離すと負けた気がする。こういう勝負を自分から始めるところが、我ながら少し面倒だ。秒針の先が目盛りを越すたび、僕もスイッチを下げる理由を一つずつ失っていった。

消える直前に浮いたカバーの端

時計のガラスには、照明が四角く映っていた。秒針が進むたび、その反射も細くずれていく。僕は一度、スイッチの周りに貼られた透明なカバーの端へ目を移した。右下だけが少し浮いている。直すほどではないが、見つけた以上、指で押したくなる。けれど今それに触ると、秒針の一周を見届ける理由までなくなりそうで、指を戻した。

12を越えたところで消すつもりだったのに、ぴたりの瞬間を確かめたくなり、次の印へ着くまで待った。時計の音は聞こえず、雨の気配だけが窓の方にある。明るい壁の小さな傷まで見えている。普段なら見ないものを見ていると、時間を待つだけの動作が長くなる。

一周した秒針が元の位置を通ったので、ようやくスイッチを下げた。暗くなったあとも目が時計の輪郭を探してしまい、消す前に見たカバーの右下が、まだ少し浮いているように思えて、指はその手前で止まった。

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