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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

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夜のキッチン、まな板の上のシャインマスカット、一粒に浮かぶ奇妙な模様

マスカットの星

袋を開けて、一粒取り出した瞬間、指が止まった。

シャインマスカットの表面に、黒い点が二つ並んでいる。しかも、その下にうっすらと曲線。まるで顔のような何かだ。虫が止まっていた跡だろうか。それとも、成長の過程でできた傷なのか。

僕はその粒を照明にかざした。光を通すと、黒い部分がかえってはっきり見える。目を凝らすと、確かに左右対称の模様——小さな住人が潜んでいるみたいだ。

最初は気持ち悪いと思った。食べるのをやめようか。でも、よく見るとその「顔」は、怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない。ただそこにある。ふと、ネットで見た「マスカットに現れた生き物」という話題を思い出した。

結局、その粒はそのまま食べた。模様の部分だけ避けようか迷ったが、そのまま口に入れた。味は普通のマスカットだった。甘くて、少しだけ硬い。食べ終わった後、種を捨てる時に、またあの模様を探したけれど、もう見えなかった。

窓の外では、雨がぽつりぽつりと降り始めていた。傘を持って出ればよかった。でも、まあいいか。あのマスカットの住人は、今夜は僕の胃の中で眠っている。

夜の霧雨に濡れたアスファルトと自販機の灯り

夜道の霧雨と自販機の灯り

夜の街を歩くと、アスファルトがひどく湿っている。さっきまでの霧雨が道路の表面を薄く覆い、靴底からは水を吸ったスポンジのような感触が伝わってくる。昼間の熱がまだ地面の奥に残っているのか、足裏から生ぬるい温度が這い上がる。空気は重く、肺の奥まで湿り気が染み込むようだ。通り過ぎる車のタイヤが、濡れた路面をかすかに音を立てて進む。その音が、夜の静けさをかえって際立たせる。耳を澄ますと、霧雨が街灯の笠に当たるかすかな音も聞こえる。

信号待ちで立ち止まると、向かいの自販機の灯りが水たまりに映っている。その光がぼやけて揺れているのが、今にも消えそうな電球みたいだった。自販機の冷たい光が白く光り、中に並んだ缶飲料の色がぼんやりと浮かんでいる。ふと、子供の頃、雨の日に母が傘を持って迎えに来てくれたときのことを思い出す。母の傘は水色で、その下から見える自販機の灯りが、同じように濡れたアスファルトに映っていた。あの頃はなんとも思わなかったが、今ではその光景が妙に温かく感じられる。

家に着いて靴を脱ぐと、靴下の先が冷たく湿っている。洗面所で手を洗いながら、窓の外の暗がりを見る。庭の植え込みの葉が、霧雨を受けてかすかに光っている。まだ霧雨が続いている。冷えた指先を蛇口の下で温めながら、その感覚を味わう。その静けさが、どうしようもなく懐かしかった。今夜感じたこの湿った空気も、いつかは思い出の一部になるのだろう。

洗面所のフックにかかった湿ったバスタオルのクローズアップ

湿ったタオルの重さ

風呂上がりに使ったタオルは、もう一度洗濯機に放り込む気にもならず、とりあえずフックにかけた。夜の九時に近い。外では霧雨が降ったりやんだりしている。湿度が高いせいか、タオルは夕方から乾き始めたまま、中途半端な湿り気を帯びている。

湿った感触

手で触れると、冷たくて少し重い。昼間の汗や水滴を吸い込んだ繊維が、空気中の水分までも抱え込んでいるらしい。表面はざらついているのに、内側はねっとりとしている。この感触が、なぜか子供の頃の夏のプールバッグを思い出させる。濡れた水着をビニール袋に入れたまま帰宅し、次の日になって開けたときの、あの生温かい匂い。

夜の雨音

窓を開けると、かすかに雨の気配がする。アスファルトを叩く細かい滴の音。風がないので、湿った空気がそのまま部屋に入ってくる。タオルの湿り気は、この外の空気と同じ重さかもしれない。洗面台の鏡が曇っているわけでもないのに、なぜか視界がぼんやりしているような気がした。

タオルはまだ湿っている。手を拭くには気持ち悪いし、かといって乾かすために外に干す気にもなれない。明日の朝までこのままだろう。そのままの状態で、夜は更けていく。

夜の霧雨に濡れた葉の先の水滴

夜の霧雨、葉の先で

空から落ちてくるのが雨なのか、ただ湿った空気が触れるだけなのか、区別がつかなくなる。夜の霧雨は、傘をさすほどではないが、しばらく外にいると髪の先が重くなる。肌にまとわりつくような湿気が、夏の夜の温度を逃がさない。

水滴の重み

玄関先のヤブランの葉を見る。細長い葉の先端には、無数の水滴が集まっている。葉脈に沿ってゆっくりと移動し、やがて一つの大きな雫が落ちる。そのたびに葉が跳ね、また新しい水滴ができる。指でそっと触れると、水滴が指先に移り、冷たさが皮膚に染みる。葉の表面はツルツルしていて、水をはじく。

街灯の灯り

街灯の下では、無数の水滴が光の筋になって見える。風がないので、まっすぐに落ちていく。地面の水溜まりに灯りが映り、わずかに揺らめく。アスファルトの色が濃くなり、白線がくっきりと浮かび上がる。湿った空気が光を散乱させて、いつもより街灯がまぶしい。

耳を澄ます

音はほとんどしない。かすかに、水滴が葉に当たる音や、雨樋を伝う水の音が聞こえる。遠くで犬の鳴き声がしたが、すぐに静かになった。車の通らない時間帯で、街全体が息を潜めているようだ。自分だけがここに立っているような錯覚に陥る。

湿度88パーセントの空気を吸い込むと、肺の中がしっとりする。今日一日の暑さが嘘のように、気温は25度まで下がっている。明日はさらに雨が強まるという予報が、頭の片隅にある。今夜はこのまま、葉の先で揺れる水滴を見ていたい。

台所のまな板の上に置かれたレモンの輪切り

レモンの輪切り

帰宅して玄関の鍵を回す。湿った空気がまとわりつく。小雨が降っているらしく、カバンの表面がしっとりしていた。

台所の輪切り

灯りをつける。蛍光灯の白い光が、まな板の上を照らす。そこに、レモンの輪切りが一枚、ぽつんと置いてあった。朝、自分で切ったものだ。半分に切ったレモンをラップに包んで冷蔵庫に入れたはずなのに、なぜか一枚だけ残っていた。

断面はまだみずみずしい。白い内皮が縁取り、果肉の粒がぎっしり並んでいる。指で触ると、ひんやりとしている。鼻を近づけると、酸っぱい香りが一気に広がる。昼間、このレモンを絞って何にかけたのだったか。サラダか、それとも魚だったか。記憶が曖昧だ。

水に浮かべて

グラスに水道水を注ぎ、そのレモンを浮かべる。指で押し込むと、果汁がしゅわっと広がり、水面に油のような膜ができる。一口含む。冷たさと酸味が喉を通り抜ける。

窓の外はもう真っ暗だ。雨音がかすかに聞こえる。湿度が高いせいか、窓ガラスが少し曇っている。外灯の光がぼんやりと滲む。

一日を思い返そうとするが、どれも輪郭がぼやけている。このレモンの輪切りだけが、やけにはっきりとそこにある。

飲み終わったグラスをシンクに置く。レモンはもう色があせ始めている。捨てるか迷いながら、もう一度水を注ぎ、揺らす。時間がゆっくり流れる。雨音だけが続く。

この一枚のレモンがなければ、今夜は何も起こらなかっただろう。でも、実際は何も起こっていない。ただ、台所で立ち止まっただけだ。

夕暮れの小雨に濡れるオシロイバナの花

夕暮れのオシロイバナ ―内気な花が咲く時間

薄暮の庭先で

小雨がぱらつく午後七時十四分。湿度が高く、肌にまとわりつくような空気だ。風がほとんどなく、雨音が静かに耳に届く。玄関先の植え込みで、オシロイバナが一斉に咲き始めた。昼間は閉じていた花びらが、夕闇とともに開く。紫と黄色のグラデーションが、湿った空気に溶け込む。街灯のオレンジの光が水滴に反射し、花が小さく灯ったように見える。

夏の夕方に咲く花

オシロイバナは南米原産の多年草で、日本では夏の夕方から翌朝にかけて花を咲かせる。名前の由来は、種子の中身が白く、おしろいに似ていることから。別名「夕化粧」とも呼ばれ、夕暮れ時の風情をよく表している。花期は七月から十月と長く、この時期の風物詩の一つだ。

花言葉「内気」の由来

花言葉は「内気」「臆病」。夕方にならないと花を開かない性質から、恥ずかしがり屋のイメージがついた。花色が突然変異しやすいことも、落ち着かない心の象徴とされる。江戸時代に日本に渡来し、観賞用として親しまれてきた。人々はこの花の控えめな美しさに惹かれてきたのだろう。

今日という日に

もし今日、何かを言いそびれたなら、この花のように、自分のタイミングで開けばいい。雨の夕暮れは、そっと背中を押してくれる。無理に明るく振る舞う必要はない。内気であることにも、美しさがある。七月の終わりの湿った夜に、一輪のオシロイバナが教えてくれる。

小雨のバス停に停められた一台の自転車、黄昏時の薄暗い光景

バス停の自転車

小雨のバス停

午後七時を過ぎたバス停は、薄暗い。小雨がぱらつき、アスファルトを均一に濡らしている。誰もいないベンチの脇に、一台の自転車が停めてあった。

折りたたまれた新聞

前かごに、夕刊が折りたたまれて入っている。雨に濡れないように、端を内側に畳んである。持ち主がどこかへ急いで降りたのだろう。表紙の見出しがにじんで読めない。

ブレーキワイヤーの水滴

ハンドルから伸びるブレーキワイヤーに、水滴が等間隔に並んでいる。どれも同じ大きさで、たまっては落ちるのを待っている。タイヤの空気圧はやや低め。長く停めてある証拠だ。

自転車の主

ふと、バスが来た。ドアが開くが、誰も降りない。自転車の主は、もう戻ってこないのかもしれない。黄昏の光が、水たまりに溶けて消えた。

クチナシの葉に雨滴が光る接写

クチナシの葉の上で跳ねる雨

午後四時を過ぎた頃、空がにわかに曇り、雨が降り出した。最初は細かい霧雨だったが、すぐに粒が大きくなり、庭のクチナシの葉を叩き始めた。私は軒下に立ち、その様子を眺めている。

一枚の葉に焦点を合わせる。表面はワックス状で、水滴が丸く浮いている。太陽は雲に隠れているが、光はそれなりにあり、水滴がかすかに光っている。葉脈に沿って、いくつもの滴が連なっている。そのうちの一つが、重力に引かれてゆっくりと動く。しばらく止まり、また動く。先端に達したとき、葉がかすかに震え、滴が落ちた。垂直に落ちる滴の軌跡を目で追う。地面の砂が小さなクレーターを作り、すぐに染みが広がる。汗が額に浮かぶ。湿度が高く、息が詰まる。

雨音は周囲を包む。葉に当たるパラパラという音、地面に落ちるポツポツという音、そして側溝を流れる水の音が混ざる。さらに、傘に当たる音も遠くから聞こえる。湿度が高く、空気が重い。クチナシの葉の匂いが、湿気に乗って立ち上がる。少し青臭く、ほろ苦い。その匂いが喉の奥にまで届くようだ。

別の枝に目を移す。下の方の葉は、上の葉から滴り落ちる雫をさらに受け止めている。一枚の葉が水の重みで大きく垂れている。その葉の先端から、一定の間隔で滴が落ちる。滴が落ちるたびに葉が跳ね、また次の滴ができる。まるで自立した小さな循環のようだ。

私はしばらくそのリズムを見ていた。時間の経つのを忘れる。雨が少し弱まった気がする。まだ夕方には間があるが、空はどんよりと曇ったまま。クチナシの葉は濡れて艶やかだ。水滴が肌のように見える。そろそろ家の中に戻ろうと思った。

雨の午後の歩道橋から見下ろす交差点の様子

歩道橋の雨

歩道橋の上に立つと、雨のにおいが一段と濃くなる。さっきまで小雨だったのに、今は細かい霧のような粒が絶え間なく降っている。手すりは冷たく、水滴が指先を伝っていく。

交差点を見下ろす

下の交差点では、信号が赤から青に変わるたびに車の流れが変わる。濡れたアスファルトに街灯や信号の灯りが映って、像が揺れている。傘を差した人たちが横断歩道を渡る。足元の水たまりを避けて歩く様子が、上からはよく見える。

一瞬の静けさ

信号が赤になると、交差点は急に静まる。エンジン音が途切れ、雨音だけが耳に残る。その一瞬、橋の上から街全体が息をひそめるような気がする。でもすぐに青信号でまた車が動き出す。その音の変化が、どこか落ち着かない気持ちにさせる。

もう少しここにいよう。傘を傾けて、また雨を見つめる。

紫陽花の葉と花に溜まる雨粒のクローズアップ

雨粒と紫陽花の午後

午後三時を過ぎた頃、空から細かい水滴が落ち始めた。さっきまで日差しが照りつけていたのに、いつの間にか薄雲が広がっている。湿度が高く、空気が重い。庭の片隅に植えた紫陽花が、雨を受けて一層鮮やかに見える。葉の表面はつやつやと濡れ、中央にできた水玉が重力に逆らうように留まっている。葉脈に沿って水が伝い、先端でひとつの滴になる。花の房は手毬のように丸く、小さな花びらが無数に集まる。その一つ一つに透明な雨粒が乗り、まるで宝石を散りばめたようだ。青紫のグラデーションが水に濡れて深みを増す。時折、風が吹くと葉が揺れ、溜まった水滴がぽたぽたと地面に落ちる。その音が、静かな午後のリズムを作っている。アスファルトの表面には淡い虹色の油膜が浮かぶ水たまりができている。雨足は強くないが、止む気配もない。湿度と気温が高く、じっとりとした汗がにじむ。背中のシャツが肌に貼りつく。雨音に混じって、どこからかセミの声が聞こえる。弱々しい鳴き声だ。水滴が落ちるたびに、細かな波紋が水たまりに広がる。空はまだ明るく、雨雲の切れ間から日が差している。その光が紫陽花の花を一瞬だけ照らし、また曇る。傘をささずにしばらく紫陽花の側で佇んでいた。花房は雨を含んで重そうで、花びらの端に水滴がぶら下がっている。雨粒の行方を追ううちに、煩わしかったはずの雨が、この瞬間だけは特別なものに思えてきた。足元に落ちた水滴が土を湿らせ、草の匂いが立ち上る。

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