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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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細かな雨が降る昼の池と岸辺の草

池の水面で、雨の輪を数えかけた

池の水面は岸から少し離れたところまで灰色に見えて、細かな雨が落ちるたびに丸い輪を広げていた。僕は濡れた草の脇を歩きながら、その輪が重なる場所を避けるように足を置いていたけれど、避けたところで雨は同じように水面へ落ちる。歩き方だけが妙に慎重になった。

昼の空は明るさを残しているのに、池の水面には空の色がほとんど映っていなかった。風が強いわけではなく、草の先も大きく揺れていない。ただ雨の粒だけが一定の間隔で表面を細かく崩している。池の縁に沿って進むと、近くの輪はすぐ見えなくなり、少し先の輪ばかりが目に入った。

僕は一つの輪を最後まで見届けようとして、歩く速さを落とした。中心から広がった線は隣の線に触れたところで形を変え、どちらから来たものか分からなくなる。数えてみようと思ったが、三つ目あたりで別の場所に新しい輪ができた。雨粒には順番がないので、僕の数え方のほうが先に困ってしまう。

岸の土には細い水の筋がいくつかあり、草の根元で途切れていた。そこだけ踏まないように足先を横へ向けると、靴底が柔らかい土に少し沈んだ。戻すほどではないが、このまま進むのも嫌で、片足に体重を残したまま、次に置く場所を見た。池を見るために来たはずなのに、目は足元から離れにくい。

それでも顔を上げると、水面の中央で大きめの輪が一つ広がっていた。大きいといっても、周囲の輪より少し長く見える程度で、何か特別な雨粒だったのかは分からない。僕はその輪の外側を追いながら、岸の曲がりに合わせて体の向きを変えた。視線を先へ送るたび、輪は薄くなった。

腕時計を確認すると、十二時五十五分だった。昼休みの時間にしては池の周りに音が少なく、雨の細い音だけが近くにあるように感じた。湿った空気で眼鏡が曇るほどではないのに、視界の端が少しぼやけている。袖口についた水滴を指で払おうとして、払うほどでもない大きさだと判断し、そのままにした。

帰る向きを決める前に、僕はもう一度だけ岸の近くを見た。水面の輪と、岸から伸びた水の筋が同じ方向へ流れているようにも見えたが、たぶん見ている時間が長くなっただけだろう。足を置く場所を二つ先まで選び、最初の一歩をゆっくり出したところで、また少し大きな輪が横に広がった。

雨粒が残るバス停の透明板と時刻表

バス停の透明板に残った水滴を一つだけ拭いた

透明板の中央に残っていた水滴を、指先で一つだけ横へ払った。バス停の時刻表を覆っている板で、紙そのものは読めるのに、その水滴だけが数字の上に重なっていた。僕は少し体を横にずらして見た。正面から見ると小さな丸だったものが、角度を変えると細長く伸びて、下の行までつながっているように見えた。午前の遅い時間の薄い雨は、板を一面濡らすほどではないらしい。

雨は強くない。けれど、板の表面には細かい粒がいくつも付いていて、指で全部を拭こうとすれば、たぶん袖口まで濡れる。そもそも時刻表を確認する用事があったわけでもなく、通り過ぎる途中に目へ入っただけだった。それでも、数字の上にある一つだけは、見なかったことにしにくかった。数字の一部が隠れているというより、水滴の丸みに数字が少し曲がって見えるのが嫌だったのだと思う。

僕は指の腹ではなく、爪に近いところを使った。透明板に触れると、冷たさよりも、表面が思ったより滑らかでないことが先に分かった。水滴はすぐに消えず、細い筋になって横へ動いた。動かした先に別の粒があったので、今度はそれにぶつからないよう、ほんの少し上向きに進路を変えた。水滴一つで進路などと言うのも大げさだけれど、手はそういう動きをした。途中で指を離すと筋だけが残りそうで、端まで行ったのを見届けてから離した。

拭いた跡は、正面から見ると丸く曇ったように残った。きれいにしたつもりが、別の見えにくさを作ったかもしれない。透明板の端にある細い傷も、その跡の近くで急に目立った。いつ付いた傷なのかは分からないし、僕が今日見つけたからといって、今日できたものでもない。傷の線が時刻表の罫線と重なる位置だけ、しばらく見比べていた。

バス停の柱を一度見て、それから時刻表へ戻った。柱には雨の粒が付いていたが、そこまで手を伸ばす理由はない。水滴は数字から外れていたが、今度はその下の余白に寄っていた。完全に拭き取るなら、もう一度触れば済む。ただ、そこまでやると最初の一つだけという話ではなくなるので、僕は指を下ろした。雨の細い音を聞きながら、読める場所を少し左へずらして立っている。板の中央を避けたまま、時刻表の端から順に目を動かした。

雨の東京の窓辺に置かれた手書きの雑学手帳

雑学手帳を開く前に、僕が最初に迷ったこと

ページの端を押さえたまま、僕はペンを持つ手をいったん止めた。今朝見た、調べたことを一冊の手帳に書きためていく人の記事が頭に残っていて、僕も雑学手帳を始めてみようと思ったのだが、最初の一行が決まらない。東京は九月らしく蒸していて、窓の外では細い雨が続いている。机の上まで湿気が来たような気がして、紙をめくる指を必要以上に乾いた場所へ移した。

紹介されていた手帳には、味付けゆで卵の作り方から歴史、花言葉まで、ジャンルを決めずに集めた内容が並んでいた。こういうものを見ると、僕はすぐ分類したくなる。食べ物、植物、昔の話、とページを分ければ後で探しやすい。でも、分けた瞬間に「これはどこだ」と迷う項目が出てきそうで、結局、分類の相談だけで一冊終わりそうな気もする。

試しに一つだけ書こうとして、身近な言葉を選びかけた。けれど、知っているつもりのことほど説明が雑になる。短く書けばよいのに、関連することまで思い出そうとして、ペン先が紙の上で何度も同じ場所に戻った。雨音が少し強くなったので窓を見たが、見るべきものはなく、戻ってきた視線はページの罫線の間隔を数えていた。

きれいな手帳を作ろうとすると、たぶん僕はまた始める前に疲れる。記事の写真にあった、コツコツ書きためた感じは、整った目次よりも、興味の向いた順番が残っているところにあった。だから今日は題名を決めず、余白の上のほうに小さく一つだけ書いて、説明の続きをどこまで入れるかでまだ迷っている。

霧雨に濡れた白いダチュラの花と葉

雨粒のついたダチュラを、朝の画面で見た

花の名前を確認する前に、白いダチュラの花びらについた水滴を見ていた。今朝は霧雨で、窓の外も全体に薄く濡れている。九月四日の朝七時五十五分、まだ一日の用事が始まった感じのしない時間に、画面に出した花の写真を指で少し拡大した。拡大しすぎると輪郭がぼやけるので、いったん戻して、今度は花の付け根のあたりを見る。写真の端に映った白さまで確認してしまい、花の名前を見るだけなのに、ずいぶん手間をかけている。こういう確認だけは妙に丁寧になる。

今日の花として出てきたダチュラには、「愛嬌」という言葉が添えられていた。少し意外だった。ダチュラの花は細長くて、先が大きく開いた形をしている。白いものを眺めていると、親しみやすいというより、こちらが姿勢を正して見てしまう感じがある。けれど、花びらの端が完全にはそろわず、雨粒が一つだけ重そうに残っているところを見ると、愛嬌という言葉も急に遠くはなくなった。整いすぎていない箇所を見つけた途端、僕の受け取り方が少しだけ変わった。

僕はその言葉を読んだあと、もう一度写真を最初の大きさに戻した。花言葉だけを大きく表示すると、花そのものより言葉を見に来たようになるからだ。とはいえ、意味を知ってから見ると、さっきまでただ白く見えていた部分に、少し違う印象が混ざる。花が変わったわけではないのに、こちらの目の置き場所だけがずれる。水滴を見ていたはずが、次には花びらの開き方を数えそうになり、数えるほどでもないと画面から目を外した。こういうずれは、いつもきれいに整理できない。

ダチュラという名前も、僕にはまだ口になじんでいない。読むたびに、最初の音を少し強く言うべきか迷う。別の呼び方があるのかもしれないと思いながら、そこまで調べる気にはならず、写真の下にある短い説明を閉じた。閉じる直前、説明の文字が花びらに重なっていないかを見て、重なっていないのにもう一度確認した。霧雨の朝は、文字の細かいところより、花びらの表面に残った水のほうが目に入りやすい。湿った空気のせいにしているが、単に僕がそちらを見たいだけかもしれない。

画面を閉じる前に、白い花の右側にある葉を見た。葉の先にも細かな水滴が並んでいて、花よりそちらのほうが雨を受けているように見える。ダチュラの「愛嬌」を考えていたはずなのに、言葉から少し離れて、花と葉のどちらを先に見たかを覚えておこうとしていた。たぶん昼には忘れるので、忘れないように文章にしている。最後の一文を打ってから、写真を閉じる位置でまた少し止まった。閉じるための場所は決まっているのに、指がそこへ行く前に、花の付け根をもう一度見ている。

夜の食器棚で手前に出された一枚の小皿

小皿を一枚、手前に出した夜

食器棚の扉を閉めかけて、僕は一度だけ手を止めた。奥で重なっている小皿の一枚が、ほかの皿より少し引っ込んでいる。使う予定があったわけではないのに、そのまま閉めると、次に開けたときにまた同じところで指が止まりそうだった。

扉をもう一度開け、いちばん手前の皿を横へずらした。奥の小皿は白く、縁に細い傷がある。傷というほど大げさなものではないけれど、光の当たる角度で線が見えたり見えなかったりする。僕はそれを正面から見ようとして、少し腰を引いた。近づけば見えるものだと思っていたのに、近すぎると皿の丸みばかり目に入った。

小皿を手前へ出すとき、底が棚板に触れて、乾いた音がした。音を立てないようにしたつもりはないのに、夜の台所ではそれだけが妙にきちんと聞こえる。窓の外は湿った空気で、細い雨が来たらしい気配も残っている。冷房の風が届かない棚の前だけ、腕に少しまとわりつく感じがした。

皿の向きも直した。縁の傷が右側に来るようにすると決めたあと、左側のほうが取りやすいかもしれないと思い直し、結局、重なった皿の丸い線が途切れない位置に戻した。こういう確認に時間を使うと、自分でも少し面倒だと思う。

扉を閉める前に、小皿の手前に指一本分の空きがあることだけ見た。十分かどうかは分からないが、指先を入れて取り出せる。僕はそこまで確かめてから、ゆっくり扉を押した。

夜の冷蔵庫の棚に置かれた麦茶ポットと手前を向いた取っ手

麦茶ポットの取っ手を、夜に一度だけ回した

冷蔵庫から麦茶ポットを出そうとして、取っ手に指をかけたところで止まった。取っ手がいつもの手前ではなく、壁側を向いていた。ポット自体は棚の端に寄っているわけでもなく、ふたも浮いていない。飲み物を取るだけなのに、まず向きを直すか、そのまま持つかで少し迷った。指先だけが取っ手に触れた状態で、僕は一度冷蔵庫の中を見回した。

結局、いったん取っ手から指を離して、麦茶ポットの胴を横から見た。冷蔵庫の白い光で、表面についた水滴がいくつか見える。さっき誰かが飲んだ記憶はないし、僕が戻したのなら、なぜこの向きにしたのかも分からない。考えているうちに、ふたの小さな出っ張りまで確認していた。そこを見ても向きの理由は出てこなかった。

取っ手を手前へ回すと、棚に当たる感じはなかった。回転は軽く、音もほとんどしない。それでも一度で終わらせず、手前に来た取っ手を正面から見て、左右どちらかに傾いていないかを確かめた。こういう確認だけは、必要かどうかより、途中で止めたままにするほうが落ち着かない。回した直後の位置を、少し横からも見てしまった。

時刻は21時45分。窓の外は晴れているようで、開けていた窓から入る空気には九月の湿り気がある。冷蔵庫の前に立っている間、足元の床が少し冷たく感じられた。ポットを持ち上げる前に、今度はふたを上から押した。きちんとはまっていたので、そのままコップへ注ごうとして、また取っ手の位置を見た。手を伸ばす角度まで変える必要はないのに、僕は一度だけ持ち方を考え直した。

森林の道を横切る細い水の跡と乾いた土

森林の中で、足元の細い水の跡をまたいだ

足を出しかけて、いったん止めた。森林の道を歩いていると、土の上を細い水の跡が横切っていた。川と呼ぶほどではなく、雨が流れた筋にしては途中で薄くなっている。靴の先を少し横へ向ければ簡単にまたげる幅なのに、最初からそのつもりで来ていなかったせいか、足の置き場所を決めるまでに時間がかかった。足を止めたまま、靴の中の重心だけを左右に動かしていた。

今日は九月の昼で、13時10分の空は雲に覆われていた。森林の中は直射日光がないぶん歩きやすいが、湿った土の色だけはよく見える。水の跡は道の端から出て、中央へ向かって少し広がり、反対側では根のそばに消えていた。僕はしゃがまずに、立ったまま目を細めてその先を見た。どこから流れてきたのかは分からない。分からないままでも、踏むか避けるかは決められるはずだった。筋の幅を見ているうちに、端の土だけ少し崩れているのにも気づいた。

先に右足を出すと、靴底が跡の手前の乾いた土に触れた。そこでまた止まった。左足を続ければ越えられるのに、足先が水の筋へ寄りすぎているように見えたからだ。大げさな動きにならないように戻し、今度は少し斜めに踏み出した。土は思ったより固く、靴の裏に泥が付く感じもなかった。踏み出した足をすぐ引くこともできるように、膝を妙に曲げたまま一瞬だけ姿勢を保った。

またいだあと、振り返って幅を確認した。行き過ぎてから戻るほどのことではないけれど、僕はこういうときだけ、通り過ぎた場所の寸法を確かめたくなる。水の跡の脇には小さな葉が一枚伏せてあり、葉柄だけが土に引っかかっていた。そこを踏まなかったことに意味はないのに、見つけてしまうと、足を置く場所の候補から外した。葉の端には細かい土が付いていて、裏返すほどではないと思いながら、視線だけはしばらくそこに残った。

道の先にも同じような筋があるかと思って、数歩だけ進んでから地面を見た。見えたのは木の根と、乾いた小枝と、靴先が作った浅い跡だけだった。森林では上の枝や空の明るさに目が向きやすいが、そのときは足元から視線を上げられなかった。水がもう動いていないのか、ゆっくり動いているのかも判断できないまま、僕は歩幅を元に戻した。戻したつもりでも最初の一歩だけ少し狭くなり、次の一歩でようやくいつもの間隔になった。

しばらくしてから、さっきの場所をもう一度見るために首だけを後ろへ向けた。道は曲がっていて、水の跡は木の陰に隠れた。見えなくなったものを確認しようとしても、立っている場所からはもう無理だったので、前を向いた。次の一歩は、さっきより普通に出た。

曇った晩夏の駐輪場入口に立つ案内板

駐輪場の案内板を、通り過ぎてから戻した

案内板の角が、通り道に対して少しだけ横を向いていた。駐輪場の入口を抜けたところで見えたので、僕はそのまま二、三歩進んだ。戻るほどのことではないと思ったのに、靴の向きだけが先に止まって、結局、体も引き返した。歩き出したあとに戻ると、さっき見た角度が本当にずれていたのか、自分の見間違いだったのかも少し分からなくなる。

東京の晩夏らしく、午前の空は雲でふさがれている。暑さは残っているけれど、昨日のように日差しが直接当たらないぶん、舗装の照り返しは少なかった。駐輪場には自転車が並び、車輪の間から案内板の細い脚が見えている。近づくと、板は倒れているわけではなく、ただ正面を向いていなかった。上の縁だけを見ると立ち方はまっすぐで、面の向きだけが通り道から外れている。

僕は板の横に立ち、いったん手をかけた。思ったより軽く動いたので、勢いをつけないように手首だけで向きを変える。通りから見れば、入口の方を向いているほうが自然だ。ただ、正面がどこなのかは、案内板自身ではなく、周囲の自転車や歩く人の流れを見て決めるしかない。入口の真正面に立つと、板の文字を読む側の位置まで想像しすぎてしまい、余計に判断が鈍った。いったん手を離して、足の位置を変える。

いったん合わせたあと、僕は二歩下がって眺めた。下がる必要はなかった。けれど近すぎると、板の面と自分の視線が近くなりすぎて、向きのずれが分かりにくい。少し左へ寄り、今度は入口の縁から見た。さっきよりはましだったが、端がほんの少しだけ外を向いている。右から見たときには気づかなかった細い隙間が、左側からだと板と通路の間に残っていた。

もう一度、板の脇へ戻った。脚の根元を動かすのではなく、板の上端に触れて、ほんのわずかに押す。金属が短く鳴った。駐輪場の奥から別の音がしたようにも聞こえたが、そちらを確認するほどではなく、僕は案内板の面に映った曇った空だけを見ていた。押したあと、すぐ手を離すと戻りそうな気がして、離した指を一度だけ板の近くで止めた。もちろん板は動かなかった。

通り過ぎる前は、向きが違うというより、そこにあるものが少しずれている感じだった。直したあとも、正解の位置に置けた自信はない。それでも入口から見たときに、板の幅が片側だけ細くならなくなったので、僕は今度こそ歩き出した。駐輪場を出るところで振り返ると、確認するためにまた足を止めそうになったが、首だけを少し動かして済ませた。案内板の面は見えたものの、今度は入口の縁がまっすぐかどうかまで見始めてしまい、僕はそこを確かめる前に通りへ出た。

曇った朝のオシロイバナと足元に落ちた黒い種

オシロイバナの白い粉を、朝の指で確かめた

オシロイバナの黒い種を、指先でひとつ拾い上げた。朝の空は雲に覆われていて、昨日までの暑さが少し薄まったように見える。それでも湿った空気はまとわりつき、葉の表面には細かな水分が残っていた。花はもう役目を終えたように閉じているものが多く、開いているものを探すより、足元の種のほうが見つけやすかった。黒い色は葉の緑の間でよく目立つのに、拾った途端、手の中では急に小さく感じられた。

種の硬い殻を爪で押すと、思ったより簡単に割れた。力を入れすぎたつもりはなかったので、割れ目ができたあとも、爪先をそのまま止めてしまった。中から白い粉が出てきて、昔、名前の由来を聞いたときのことを思い出した。指に付いた粉は小麦粉ほどさらさらではなく、少しきめが細かい。親指と人差し指をこすり合わせてから、落とす前にもう一度見た。指紋の浅いところに入り込んでいて、払ったつもりでも白さが少し残る。植物の種をこんなふうに何度も確認する人は、たぶんそれほど多くない。

今日のオシロイバナに添えられていたのは、「臆病な愛」という言葉だった。夕方から夜にかけて花を開く性質を考えると、明るいところへ大きく出ていくより、誰にも見られない時間を選んで咲く感じはある。ただ、そんな説明を知ったあとでも、目の前の花が臆病なのかどうかは分からない。閉じた花びらを見て、僕が勝手にそう読んでいるだけかもしれない。朝に開いていないことを、花の性格のように扱うのも少し早い気がして、濃い色の端を見ながら言葉をいったん頭の隅へ戻した。

花の言葉は、花の性格を決めるものではなく、見た人が置いていく短い言葉に近いのだと思う。オシロイバナの「臆病な愛」も、少し遠慮がちな響きがあるから、曇った朝の自分には妙に合っていた。白い粉を指に残したまま、種を元の場所へ戻すかどうかで一度迷った。戻しても誰かが見つけるとは限らないし、戻さなくても困る人はいない。それでも、割れた殻と粉を離れた場所に置くのは違う気がして、落ちていたところの近くへそろえて置いた。殻の片方だけが少し傾いたので、指の腹で押して地面に沿わせたが、今度は押しすぎたようにも見えた。

そのあと、閉じた花を一輪だけ裏返さずに眺めた。花びらの端に濃い色が残っていて、朝に見えるのは咲いている姿だけではないらしい。茎の近くには細い傷のような線もあったが、それが傷なのか、もともとの模様なのかは分からなかった。指を払うと、白い粉が少しだけ残った。洗うほどではないと思い、親指の付け根を見ながら、もう一度だけ種の位置を確かめた。さっきそろえた殻の向きまで見直してから、指先についた白さを葉には付けないように手を少し開いた。

夕暮れの小さな台所で冷凍庫に戻された製氷皿

製氷皿を戻す向きだけ、二度確認した

冷凍庫の引き出しを閉めかけて、製氷皿の向きが一度だけ目に引っかかった。水を入れる側が手前だったか、氷を外すときに持つ縁が手前だったか、見れば分かりそうなのに、その場では決めきれない。僕は引き出しを少し開け直した。

時刻は19時25分。外はまだ明るさが残っていて、窓の向こうは晴れている。九月の暑さが台所にも残り、冷凍庫の冷気が腕に当たると、そちらへ顔まで向けてしまう。製氷皿は棚の右寄りにあり、細い取っ手のような部分だけが手前へ出ていた。

いったんそのまま押し込んだものの、閉まる直前にまた止めた。向きを逆にしても困ることはない。ただ、次に取り出す自分が少しだけ迷う。その一瞬を避けたいだけなのに、僕は皿を持ち上げ、前後を入れ替え、いったん手を離してからもう一度見た。

棚の奥には薄い霜が張り、引き出しのレールが短く鳴った。製氷皿の底に残った水滴が、斜めにした拍子に端へ寄る。こぼれるほどではないのに、こぼれない角度を選ぼうとして、手首を少し戻した。冷凍庫の中で、向き以外に変わったところはなかった。

結局、最初に入っていた向きへ戻した。自分で変えておいて自分で戻したので、確認した時間だけが増えている。引き出しを押すと、さっきよりわずかに重く感じた。閉じる音を聞いてからも、製氷皿の縁が棚にきちんと収まっているか、外から見えない部分をもう一度考えていた。

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