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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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午後の台所のカウンターにあるティッシュ箱と湯呑み

午後のティッシュ箱、角の折り目

午後二時を過ぎた台所で、ティッシュ箱の角に折り目を見つけた。いつの間にかついていた。誰がつけたのか、自分でつけたのかさえ覚えていない。箱はまだ半分以上残っている。

その折り目は、箱の左上の角だけが内側にぽこっとへこんでいた。無造作に押したというより、何かを待ちながら指の腹で何度かなぞったような形だった。触ってみると、段ボールの柔らかい部分が固くなっていた。湿気でふやけたのかもしれない。

思い当たるのは、先週の夕方、電話をしながら箱を抱えていたことくらいだ。コードを巻き取る手が空かず、顎と肩で受話器を挟んだとき、どこかに指が当たった気がする。あのときかどうかは分からない。

ティッシュの箱は、使い終わると畳んで捨てる。でもこの折り目を見ていると、つい捨てられなくなった。折り目はただのへこみで、開けば消えるものではない。軽く押し戻してみたら、少し戻ったが、また同じ場所が沈む。

昔、実家の茶箪笥の引き出しにも、角が潰れた箱があった。母が爪で開けた痕がついたまま、中身を出さずに置いてあった。何が入っていたかは覚えていない。ただ、あの箱も同じように、誰かの指の形を残していた。

午後の光が窓から差して、箱のもう一つの角を照らしている。そちらはきれいな直角のままだった。同じ箱でも、片方だけ記憶があるみたいだ。

午後の机の上に置かれた雑誌とコーヒーカップ

午後のマセラティ、シルクロードの話を読んで

昼過ぎ、ネットでマセラティがシルクロードを走る記事を見つけた。イタリアの高級車が中国西域の砂漠を走るなんて、想像するだけで非現実的だ。でも、なぜか引き込まれて最後まで読んでしまった。

記事には、ボローニャのネプチューン広場から始まる旅のことが書いてあった。海神の像が持つ三又の鉾が、マセラティのロゴの由来だという。そんな話を読んでいると、車そのものよりも、その名前の由来のほうが気になってしまう。僕は車に詳しいわけでもないのに、妙に納得してしまった。

窓の外は曇りがちで、湿った空気が部屋に流れ込んでくる。エアコンをつけたまま、窓を少しだけ開けておくと、外の音がかすかに聞こえる。遠くで誰かが話している声や、自転車のベル。そういえば、昨日は夕立が降った。今日は降らないらしいが、道端の水たまりはまだ乾いていないかもしれない。

シルクロードと聞くと、砂漠のキャラバンを思い浮かべる。ラクダの背に荷物を積んで、ゆっくりと進む姿。それが今では、エンジン音を響かせて走るなんて、時代も変わったものだ。記事の写真には、なだらかな砂丘の道を走るマセラティが写っていた。車体の青が、空の色と似ていた。

もしも自分があの場所にいたら、何を考えるだろう。広すぎる景色の中で、自分の小ささを感じるだけかもしれない。それとも、何も考えずにただハンドルを握っているだけか。どちらにせよ、僕には縁のない話だ。それでも、ページをめくる手が止まらなかった。

気づくとコーヒーが冷めていた。カップを持ち上げて一口飲むと、苦味がじんわりと広がる。午後はまだ長い。そろそろ買い物に行こうか、それともこのまま何もしないでいるか。決められずに、僕はもう一度窓の外を見た。

夏の公園のベンチに座る人の足元、影が長く伸びる様子のクラフト紙・羊毛フェルト風イラスト

昼下がりのベンチに座ってみたら、足元の影が動かなかった

正午を少し回った公園のベンチは、案外空いていた。日陰を選んで腰を下ろすと、太ももの裏に木のぬくもりがじんわり伝わってくる。買ったばかりの缶コーヒーを隣に置き、ふと足元を見た。

影が、あまりにもぴたりと止まっている。風はあるのに、木の葉はかすかに揺れているのに、コンクリートに落ちた自分の影だけが、そこに貼りついたみたいに動かない。当たり前なのに、妙に気になって、しばらく眺めてしまった。

普段なら、影がこんなふうに静止していることなんて意識しない。歩いているときは、一緒に動くのが当然だし、部屋の中ではそもそも影を踏む感覚さえ薄い。でも、こうして座って動かないでいると、影はまるで別の生き物みたいに、僕の足元でじっと息をひそめているようだった。

缶コーヒーを一口飲む。ぬるい。買ってからまだ五分も経ってないのに、もう冷たさが抜けはじめている。八月の昼は、何もかもをすぐに生ぬるくしてしまうらしい。

そういえば子供のころ、影を踏まれないように走る遊びがあった。あのときは、影は逃げるもの、追いかけるものだった。今は逃げも追いもせず、ただここにある。ふと、右足を少しずらしてみた。影の形が変わる。つま先が長く伸びて、すぐ元に戻る。それだけ。でも、なんだか少し、ほっとした。

またコーヒーを飲む。やっぱりぬるい。でも、飲みきるまでベンチにいようと決めた。

ベランダの隅に張られたクモの巣と、引っかかった枯れ葉。奥には夏の日差しに照らされた植木鉢。

真昼のクモの巣、目印の葉っぱ

ベランダに出たら、手すりの隅に小さなクモの巣ができていた。

細い糸が三角形に張られていて、どこにもクモの姿はない。代わりに、茶色く枯れた葉っぱが一枚、巣の真ん中あたりにひっかかっている。

この葉っぱ、どこから飛んできたんだろう。うちの鉢植えの葉とは形が違う。隣の部屋からはみ出たやつかな。それともずっと上から。もしかしたら、わざわざ目印みたいに挟んだのかな、とも思う。クモが来てちゃんと張れてますよって、点検済みのタグみたいに。

そういえば、小学生の頃、公園でクモの巣を棒で壊しては怒られたことを思い出す。あのときはただの悪戯だったけど、今はなんとなく壊せない。網の張り方を見ていると、端の糸は手すりの塗装の剥げたところにぴたりとくっついている。よく見ると、塗装が少し盛り上がっていて、そこに引っ掛けるのに都合がいいようだ。そんなことまでわかってるのかと感心してしまう。

西日が当たって糸が光り、葉っぱの影が床に落ちている。風が吹くと全体が揺れて、葉っぱがくるりと回った。裏側はまだ少し緑がかっている。

このまま朝まで持つのかな。さっきからあまりクモは来ていないみたいだ。

吊るされた速乾Tシャツ

10着目の速乾Tシャツを買いに行った朝

土曜の朝、ユニクロのアプリを開いてしまった。お気に入りに入れたままだった速乾Tシャツが、今日までの期間限定価格になっている。白と黒はもう持っているから、今回はグレーにしようか。いや待て、これで10着目だ。同じようなTシャツを10着も持ってどうするんだ。

去年の夏、初めて買ったときは半信半疑だった。本当にすぐ乾くのか。でも着てみたら、汗をかいてもベタつかず、洗濯してもすぐ乾く。あまりに快適で、2着目、3着目と増えていった。色違い、素材違い、襟の形違い。気がつけば、クローゼットのTシャツエリアはユニクロの速乾性ばかりになっている。

でも10着目はさすがに多い。そう思いながら、アプリの「カートに入れる」ボタンを押す指が止まらない。最近は在宅ワークも多いし、外に出るときもだいたい同じような服だ。誰かに「いつも同じ服だね」と言われたことはないけど、もしかしたら思われているかもしれない。

以前、友人に「服を選ぶ時間がもったいないから、同じTシャツを5枚持ってる」という人がいた。当時は「そこまでしなくても」と思ったけれど、今はちょっとわかる。選択肢が少ないのは楽だ。朝、何を着ようか迷わなくていい。でも、同じ服ばかり着ていると、なんだか自分の個性が薄れていくような気もする。

結局、グレーをポチった。これで10着目。届いたら洗濯して、来週からまた毎日のように着るんだろう。クローゼットのTシャツたちは、きっと何も言わずに新しい仲間を受け入れてくれる。でも、そろそろ違う服も着てみようかな、とちょっと思うのだった。

朝のベランダで、咲いた朝顔の鉢を眺める男性の手元。鉢は素焼きで土の表面が少し湿っている。朝顔の花は青紫で4つ開いている。背景にはぼやけた朝の空と隣家の壁。手は水差しを持っている。

朝顔の朝、咲いた数を覚えているか

朝、ベランダの鉢に水をやっていたら、隣の家のおばあさんが顔を出した。いつものように「暑くなるねえ」と言い合って、それから彼女が僕の手元を見て「今朝はいくつ咲いた?」と尋ねた。

僕は答えに詰まった。確かにさっきまで花がらを摘んでいたのに、数を覚えていない。三つか四つか。いや、もしかすると五つあったかもしれない。「ええと、四つ……いや、三つだったかな」と曖昧に言うと、おばあさんは小さく笑って「うちのは今日は二つだけよ」と教えてくれた。

水をやりながら、なぜ数を数えなかったのか考えた。毎朝、咲いているのを見るのに、全体の様子で満足してしまう。青がきれいだとか、蔓が伸びたなとか、そういうことに気を取られて、肝心の数を意識したことがほとんどなかった。でも、確かに花がらを摘むとき、指でつまんでポキッと折る感触は覚えている。ひとつ、ふたつ。あの感触の回数が、咲いていた数のはずなのに、その断片がつながらない。

それと、もうひとつ引っかかったことがある。おばあさんは「今日は二つだけ」と言ったあと、少し間を置いて「昨日は四つだった」と言い添えた。つまり、彼女は咲いた数をちゃんと記録しているのだ。僕は昨日の数をまったく思い出せない。そもそも昨日は朝顔を見たのかどうかさえ、曖昧だった。

ベランダにしゃがんで、鉢の土の乾き具合を指で押してみる。固まっている。水を足そうとジョーロを傾けると、葉に当たった水がパラパラと音を立てた。そのとき、つぼみが目に入った。明日咲くやつだ。先がほころびかけて、少し色が見えている。明日はこれを数えようかな、と一瞬思ったけれど、きっと忘れる。

木製の台に置かれた陶器の醤油差し。朝の光が斜めから差し込み、注ぎ口の小さな醤油の滴が乾きかけている。

朝の台所、出しっぱなしの醤油差し

朝、台所へ水を飲みに行くと、カウンターの上に醤油差しが出しっぱなしになっていた。昨夜、誰かが最後に使ったのだろう。僕は手を伸ばして冷蔵庫のドアを開けながら、なんとなくその醤油差しを見ていた。

陶器製で、注ぎ口の先にほんの少し醤油が乾きかけている。誰が最後に使ったかは分からない。自分ではない気がするけれど、はっきりとした記憶もない。昨夜は冷奴を食べたから、もしかしたら僕かもしれない。でも妻が片付け忘れた可能性のほうが高い。そう思いながら、結局どちらでもいいことに気づく。

冷蔵庫から麦茶を取り出すと、ドアポケットに醤油差しが一つ収まっているのが見えた。そういえば、うちには醤油差しが二つある。一つはこの冷蔵庫用で、もう一つは常温で使うためのものだ。出しっぱなしの方は常温用だが、そもそもなぜ昨夜冷蔵庫から出さずに常温のを使ったのか。冷奴には冷たい醤油のほうがいいはずだ。僕はコップを手に取りながら、それを考えたが、すぐにどうでもよくなった。

麦茶を一口飲んで、ふとシンクの隅を見ると、小さな茶渋のついた湯呑みが置いてある。昨夜のうちに洗うのを忘れたらしい。僕は醤油差しをそのままに、湯呑みを手に取って洗い始めた。スポンジで軽くこすっていると、背後の醤油差しがまだそこにあるのを感じる。でも、とりあえずこの湯呑みを洗ってしまおうと思った。

朝の洗面所、鏡の隅に残る水滴

朝の洗面所、鏡の隅の水滴

朝の洗面所で顔を上げると、鏡の隅に水滴が残っていた。昨夜は使った覚えがない。窓は閉め切っているし、換気扇も回していない。だが確かに、鏡の右下、縁から二センチほどのところに、小さな滴が三つ並んでいる。

一つは米粒ほどの大きさで、真ん中がぷっくりと盛り上がっている。もう一つは細長く流れた跡。三つ目はただの薄い膜のように広がって、光の角度でかすかに虹色に光る。湿度の高い日は水滴がつきやすいと聞いたことがある。昨夜の天気は曇りだったから、そのせいかもしれない。

指先で一番大きな滴に触れると、鏡面を滑って少し動いた。触ったというより、押したという感覚に近い。表面張力で形を保ったまま、ゆっくりと下に下がっていく。それを追いかけるように、もう一度指を置いた。

昔、夏休みに祖母の家で、朝起きると同じように鏡に水滴がついていたことを思い出す。あの時はそれが面白くて、人差し指で何度も水滴を集めては、手のひらに移して遊んだ。祖母は「また鏡を汚して」と笑っていた。

今も同じように指でなぞってみるが、水滴は指の温度で消えてしまう。三つ目の膜は、触れた瞬間に跡形もなくなくなった。残ったのは二つの滴だけ。しばらくそのままでいることだろう。朝の光が窓から差し込んで、鏡面に細く伸びる。それで全部だ。

朝の網戸の枠に残る指の痕

朝の網戸、枠に残る指の痕

朝の光が網戸を通して差し込む。枠のアルミ部分に、指の痕が残っている。昨夜、閉めるときに触れたのだろうか。それとも、もっと前からあったものか。記憶は曖昧だ。

痕は三つ並んでいた。中央が濃く、両端は薄い。押し付けた力の差だろう。指先が少し滑ったように、端がぼやけている。空気の乾燥で、皮脂が酸化したのかもしれない。

額を枠に近づけて見る。角度を変えると、痕が光って見える場所があった。朝の湿度が高いせいか、表面がしっとりしている。指でなぞると、ざらつきが指先に伝わった。

自分の指を、痕の上に重ねてみる。サイズがぴたりと合う。僕のもののようだ。だが、確信はない。昨日の夜、急いで閉めた記憶が、ぼんやりと浮かぶ。

痕は、そのまま残っている。拭いてしまえば消えるのに、不思議と手を伸ばせなかった。枠の隅に、もう一つ小さな痕があった。前の住人のものかもしれない。

光が動いて、痕の見え方が変わった。朝のうちは、はっきりと見えていたのが、今は薄くなっている。時間とともに消えていくのだろう。それでも、目を離すと、また探してしまう。

夜明けの浴室、タオル掛けに垂れる水滴

夜明けの浴室、タオル掛けの水滴

夜明けの浴室は、まだ暗さが残っている。タオル掛けの金属の棒に、いくつかの水滴がぶら下がっていた。大きさはまちまちで、直径が三ミリほどのものもあれば、もっと小さくて、光に透けると筒状に細く伸びたものもある。

棒の表面は、水滴の裏側でわずかに曇っている。水滴の縁は、下に行くほど厚くなり、先端が丸く膨らんでいた。しばらく見ていると、一つの水滴が自重で伸びて、棒から離れて落ちた。水滴が落ちた後、棒には薄い水の膜が残り、それがゆっくりと集まって、新しい水滴ができていく。

窓の外が少しずつ明るくなって、水滴が白っぽく光り始める。水滴の中に、窓の枠の形が逆さまに映っている。その映像は、水滴の表面の曲がりで歪み、実際の枠とは違う形に見える。水滴の位置によって、歪み方も変わる。

一番左の水滴は、ほかの水滴より少し大きい。形は丸くなくて、下に向かって細長くなっている。棒との接点は狭く、今にも落ちそうだ。しかし、そうはならずに、そのままの形を保っている。水の張力で、表面が張り詰めている。

浴室の照明はまだついていない。外からの光だけが、水滴に当たっている。水滴の影が、タオル掛けの下の壁に、小さな点として映っていた。その影も、光の線が強くなると、濃くなっていく。

水滴を指で触れてみようかと思ったが、やめた。見ているままにしておくのがいい。水滴は、落ちるまで、少しずつ形を変えていく。それは、長い時間をかけて行われている。僕は、その過程を眺めていた。

水滴の一つが、ついに棒から離れた。落ちるまでの間、それは速い。落ちた後、棒にはまた何もない。でも、水滴ができた場所に、ほんのりと水の跡が残っている。それが、やがて乾く。それまで、この浴室の静けさが続く。

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