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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

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朝の台所のテーブルに置かれたラップの箱と計量カップ

朝の台所、ラップの端を探していた

朝ごはんのあと、残ったキャベツをラップで包もうとした。でも箱を開けても、端っこがどこにあるのか見つからない。いつもの癖で、箱の側面を指でなぞってみる。だめだ。

台所の引き出しを開けて、新しいラップの箱を探した。この引き出しにはいつも、使っていない輪ゴムとか、割り箸の予備とか、何に使うのか分からない小さな金具が入っている。奥のほうに、緑色の丸い容器があった。なんだったっけ、と手に取ると、空のメントールキャンディの箱だった。いつ買ったのか思い出せない。

引き出しを閉めて、またラップの箱に戻る。ところが今度は、箱の上に置いてあった計量カップが気になった。昨日の夜、味噌汁を作ったときに使ったはずだ。洗わずに置いてあったらしく、底に少し水が残っている。乾いて白い跡が輪になっていた。

ラップのことは忘れて、その計量カップを洗うことにした。蛇口をひねって、ぬるま湯で流す。白い跡は、指でこするとすっと消えた。水を切って、水切りかごの上に置く。そのとき、窓の外で蝉の声が聞こえた。朝だというのに、もう鳴いている。

結局ラップは見つからなかった。キャベツは、皿に乗せたまま冷蔵庫に入れることにした。ドアを閉めて、また開けて、皿の位置を直す。そのまま、小さな鉢のバジルの葉が乾いてないか触ってみた。

朝の窓辺に置かれたひまわりの鉢とスマートフォン

朝の窓辺、ひまわりの花言葉を調べた

朝、キッチンの窓辺に置いたひまわりの鉢に水をやっていた。ベランダで育てている二本のひまわり、片方は背が高くて、もう片方はなぜか半分の背丈しかない。種をまいたのが同じ日なのに、と思いながら、土の表面が乾いていることを確認してじょうろを持ち上げた。

水をやっていると、ふと花言葉が気になった。昔聞いたことがあるような気もするが、はっきり思い出せない。スマホを取りに戻って「ひまわり 花言葉」と検索した。出てきたのは「あなたを見つめる」と「情熱」、それから「憧れ」。どの言葉も、朝の光を受けている花の姿と重なるようで、少し照れくさい。

一番気になったのは「あなたを見つめる」という言葉だった。この二本のひまわりを、僕は毎朝見ているけれど、花の方から見られているとは考えたことがなかった。窓辺に置いた鉢を眺めながら、ひまわりにとっての「あなた」は誰なんだろう、と考える。太陽かもしれないし、僕かもしれない。分からないけど、そんなことを考えられるのが朝のいいところだと思う。

花言葉を調べた後、スマホに入っているひまわりの写真を見返した。先週の夕方、ベランダで撮ったものだ。そのときは花の向きが西を向いていて、夕日を追いかけているように見えた。今朝はなぜか東を向いている。太陽の動きを追っているのだろうか。調べた内容には「若いひまわりは太陽を追うが、大人になると東のまま動かない」と書いてあった。

それを読んで、うちの二本はどっちなんだろう、と思った。背の高い方はしっかり東を向いて、短い方はまだ少し揺れているように見える。成長の過程なのかもしれない。水をやり終えて、土の湿り気を確かめた。朝のうちだけでも、あの花言葉が似合う姿をしていてほしい、と何となく思った。

夜中の部屋で扇風機が回り、ベッドに横たわる男性

夜中に目が覚めて、線香の匂いを思い出した

夜中に目が覚めた。午前二時過ぎ、たぶん三時くらい。暑くて目が覚めたわけじゃなくて、特に理由もない。扇風機が回っている音だけが聞こえる部屋で、しばらく天井を見ていた。

最初は、ああ、まだ眠れるなと思った。布団をかぶり直して、目を閉じたら、また寝られる気がした。でも、線香の匂いがした。うちの仏壇の線香じゃなくて、近所の家かなにかから流れてきたんだと思う。夏の夜って、こういう匂いがふいに鼻につくことがある。

子どもの頃、夏休みにおばあちゃんの家に泊まったときも、夜中に目が覚めたことがあった。縁側の影が畳に映っていて、蚊取り線香の香りがした。今のは線香だったから、少し違う。でも、目が覚めたときに同じ匂いがあると、なぜか安心する。

時計を見たら、三時半だった。あと二時間くらいは眠れるはずだけど、もう起きてしまった。布団の中で足を伸ばしたら、つま先が冷たかった。汗もかいてないのに、肌がひんやりしている。涼しい夜だ。

スマホをチラッと見たけど、SNSを開く気にはならなかった。水分を取ろうと思って台所へ行ったけど、やっぱりいいやと思って戻ってきた。そのまま、扇風機の首振りの音を聞きながら、もう一度横になった。

おやすみなさい、と心の中で言った。誰にだろう。変な感じだったけど、なぜか悪くなかった。

夜の部屋で首を振る扇風機のイラスト

夜の扇風機、首を振るたびに鳴るきしみ

十時を過ぎて、部屋の扇風機をまだ回している。首を振るたび、ううん、というか、かあ、というか、要するに何かのきしみが混じるようになった。買ってから三年目で、昨年の夏まではこんな音はしなかった。

最初は何の音か分からなかった。風の音だと思って放置していた。でも、首が右端まで行って戻る瞬間にだけ鳴る。揺れ始めのタイミングで、ちょうど机の脚を引きずるような低い音がする。今夜は湿度が高くて、この音がいつもより湿って聞こえる。

扇風機のネジを締め直そうかと考えて、手を伸ばしかけた。やめて、首の根元を触っただけにした。少し遊びがあるのは前から知っている。いじると余計に鳴りそうで、そのまま戻した。

どこかで、誰かがエアコンの室外機を動かしているのか、しばらく遠くで低い音が続いていた。うちの部屋にはエアコンがなくて、その音を聞きながら、扇風機のきしみはまだ続いている。

ふと、押し入れの上の段にしまったままの、古い扇風機の羽根を思い出した。去年、買い替えのときに取っておいたものだ。取り替えようかと思ったが、その羽根にはカバーが付かなくて、結局使わなかった。押し入れの暗さの中で、羽根だけがまだ新しい。

扇風機を見ると、首はまた右端で止まっていた。きしみは鳴らない。しばらくして、また動き出す。その間隔を数えながら、僕は立ち上がって、押し入れの前まで歩いた。

夕方の台所でボウルに水を張り、なすを一つ浮かべている手元

夕方のなす、水に浮かべたら沈んだ

夕方、台所で味噌汁の支度をしていた。なすを切ろうと冷蔵庫を開けたら、奥に買ってから三日目のなすが転がっていた。ヘタの切り口が少し乾いて、皮に細かいしわが寄っている。

鮮度を確かめるために、水を張ったボウルに浮かべてみた。鮮度のいいなすは水に浮く、とどこかで読んだ気がした。ところが、ぽちゃんと落としたなすは、そのまま底に沈んだ。ゆっくり沈むというより、ストンと落ちた。それでなすが古いんだと分かった。

水から上げて、ヘタを切り落とした。切り口から白い実が見えて、芯のあたりが少し茶色くなっている。腐ってはいないけど、もう少し早く食べるべきだったな、と思う。そういえば、昨日スーパーでトマトを買ったとき、となりの人がなすを二つだけ持って、レジで「半分に切って煮るんです」と話していた。あの人は今日、どうやって食べたんだろう。

結局、そのまま塩もみにすることにした。輪切りにして塩を振り、しばらく置いてから水気を絞る。大蒜と醤油で炒めれば、何とか食べられるはずだ。味噌汁は、なすを入れないで普通に作ることにした。

夕方の台所は、窓を開けると風が通って涼しい。換気扇の音がして、外では誰かが自転車のベルを鳴らしている。なすを炒めながら、なすが水に沈んだことなんて誰にも言わないだろうな、と思った。それでいい気がする。

夕暮れの日本の街角で、ウクライナ人青年が缶ジュースを手に微笑む様子

ウクライナ人の青年が感動した、日本人の「普通」の優しさ

夕方のニュースで、ウクライナ人の青年が日本人の優しさに感動したという話を見た。彼はプロのレスラーを目指して来日したそうだ。道で道を尋ねたら、親切に教えてくれただけでなく、その場でスマホの地図アプリを開いて、目的地まで一緒に歩いてくれたらしい。「ウクライナではこういうことはない」と彼は言っていた。

僕はその話を聞いて、ふと数年前のことを思い出した。大阪の地下街で迷っていたら、同じビルで働いているらしいサラリーマンの人が、自分の昼休みの時間を割いて、目的の店の前まで連れて行ってくれたことがある。その人は途中で「ここのたこ焼き、うまいねん」と、関係のない話をして笑っていた。

なぜその記憶が今になって蘇ったのか、自分でもよくわからない。ただ、彼が感動したという「ウクライナではないこと」が、僕にとっては当たり前すぎて、逆に新鮮だった。東京の夕方、曇り空の下でそんなことを考えていた。

考えてみれば、僕は知らない土地で人に道を聞くとき、いつもちょっと緊張する。相手が忙しそうだと、なおさら声をかけにくい。それでも、大概の人は嫌な顔をせずに教えてくれる。あるいは、あのサラリーマンの人のように、少し過剰なくらい親切にしてくれる。

ウクライナの青年が、その親切を「やっぱ優しい」と感じたように、僕も海外で親切にされたとき、同じように思うのだろうか。そう考えると、優しさとは、受け取る側の心の状態で、こんなにも違って見えるものなのかと、妙に納得してしまった。

夕方の草原、雲の下で虫が止まった瞬間の風景

夕方の草原、虫の音が途切れる瞬間

今日は午後からずっと曇りだった。夕方になって少し風が出てきて、草のにおいが混ざった空気が流れてくる。あぜ道を歩いていると、あちこちから虫の音が聞こえる。コオロギなのか、ほかの虫なのか、よく分からない。

何の気なしに足を止めたら、近くの音が全部止まった。歩くのをやめると、虫たちは僕の存在に気づいたらしい。でも、五十メートル先の草むらからは、まだ音が聞こえている。距離によって反応が違うんだなと思って、しばらくそのまま立っていた。

日が落ちる前の光で、草の先がうっすら明るく見える。雲が厚くて、空の色はあまり変わらない。暑さはまだ残っているけど、風が吹くたびに少しだけ涼しい。

そういえば、子ども時代に同じような場所で虫を捕まえようとして、網も持たずに手で草をかき分けたことを思い出した。捕まえたのは、何の虫だったか覚えていない。ただ、指先に触れた感触だけが残っている。

しばらくすると、音が少しずつ戻ってきた。最初は遠く、次に近く。僕が動かないことを確認したみたいに、あちこちから鳴き出す。でも、さっきまで鳴いていた場所の一つだけは、ずっと静かなままだった。あの虫はどこへ行ったんだろう。別の場所に移ったのか、それとももう鳴くのをやめたのか。

風がもう一度吹いて、草がざわっと揺れた。音は戻ってきたけど、あの一箇所だけは、最後まで鳴き直すことはなかった。

夕方の台所で包丁を研ぐ男性の手元

夕方の包丁、研いだあとの切れ味

夕方、ずっと気になっていた包丁を研ぐことにした。切れ味が落ちて、トマトを切るときに皮を押しつぶしてしまう。最近は玉ねぎも涙が出るほど時間がかかる。妻には言っていないけど、料理のたびにちょっとストレスだった。

研ぎ石は実家からもらった中砥(なかと)と仕上げ砥の二枚。水に漬けて、滑り止めの台に乗せる。最初は中砥で、刃の角度を一定に保ちながらゆっくり引く。カシュン、カシュンという音が台所に響く。指先に石のざらつきが伝わる。角度を間違えると刃が欠けそうで、無意識に力が入る。

研ぎながら、ふと思い出した。去年の秋、実家の台所で母が同じ包丁を研いでいた。研ぎ終わったあと、母は刃先を親指の腹でそっと確かめていた。そのときの母の真剣な表情を、なぜか鮮明に覚えている。

十分ほど研いで、仕上げ砥に切り替える。今度は音がより澄んで、手応えも滑らかだ。終わって包丁を洗い、布で拭く。切れ味を確かめるため、トマトを半分に切ってみた。すっと刃が通る。押しつぶす感じがなかった。

満足して片づけようとしたら、砥石の台に水の跡が残っていることに気づいた。目地の汚れが浮き出ている。そのままにしておくのは嫌で、古い歯ブラシでこすった。結局、砥石を片づけたのはそれからさらに十分後。包丁の切れ味より、目地のほうが気になってしまった。

今夜の味噌汁の具は何にしよう。切れ味が戻ったし、少し薄めに切ってみようか。

洗濯物をたたむ男性と、ハンガーの跡がついたシャツ

夕方の洗濯物、ハンガーの跡がまだ残っている

夕方になって、やっと洗濯物を取り込んだ。朝のうちに干したのに、今日は一日曇りがちで、生乾きのまま時間だけが過ぎていった。夕方になってから風が強くなって、少しは乾いたけど、どこかしっとりしている。

取り込んだシャツをたたんでいると、肩のところにハンガーの跡がくっきり残っていた。二本の細い線が、布に折り目としてついている。この跡を見るたびに、なんとなく失敗した気分になる。アイロンをかければ消えるのは分かっているけど、今夜はもうその気になれない。

部屋に戻って、畳んだ服をタンスに入れようとしたら、タンスの前に段ボール箱が置いてあった。先週、押し入れの整理をして、そのまま放置してあるやつだ。中をのぞくと、子供の頃の体操着が出てきた。白地に紅白帽みたいな色のゼッケンが縫いつけてある。サイズは130。小学生の頃のものだ。

つい手に取って、肩のハンガー跡を探してしまった。さすがに古いから、跡はもう分からない。けど、ゼッケンの縫い目の端っこがほどけて、糸が一本垂れていた。洗濯のたびに、母が直してくれていたのを思い出す。アイロン台の上で、母が缶入りの粉せっけんを使って、このゼッケンを洗っていた姿は覚えていない。ただ、ほどけた糸だけが残っている。

体操着を箱の底に戻して、タンスの引き出しを開けた。畳んだシャツを入れようとして、また肩の跡を見てしまった。今度は、そのまま入れた。明日、天気が良ければもう一度干そうと思いながら、引き出しを閉じた。

羊毛フェルトのエアコンとリモコン

夕方のエアコン、送風の音が止まらない

夕方の五時を過ぎても、部屋のエアコンは送風のままだ。冷房のボタンを押したはずなのに、風だけが出ている。リモコンを見ると設定温度が二十六度で、外気温と変わらないから、コンプレッサーが動いていないのだ。

この時間になると、窓から入る風がぬるい。曇り空が一日中続いて、太陽の位置が分からない。昨日は小雨が降ったのに、今日は路面が乾いていて、カラッとしている。湿度は高めなのに、風があるから蒸し暑さは感じない。

エアコンのリモコンを何度も押して、温度を二十四度に下げてみた。でも、風の音は同じままだ。室外機の音が聞こえない。もしかしたら、フィルターが詰まっているのかもしれない。網戸の掃除をしたときに、フィルターも外して掃除機をかけた気がするが、確かではない。

去年の夏、エアコンから変な音がした。修理の人に見てもらったら、ファンの軸にほこりが溜まっていた。その人が「たまに手で回してあげてください」と言った。でも、どうやって手で回すのか、聞き忘れた。

いつの間にか、送風のまま三十分が過ぎていた。リビングの温度計は二十八度を指している。風が当たっている場所に立つと、まだ涼しい。洗濯物を取り込むのを忘れていた。バルコニーに干したまま、この風なら乾いているだろうか。触ってみないと分からない。エアコンの風を背に、洗濯物を取り込みに行く。

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