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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

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夕暮れの歩道に描かれた消えかかったチョークの矢印

夕暮れの歩道、消えかけたチョークの矢印

矢印の先には何があるのか

ふと足を止めた。歩道の端に、白いチョークで描かれた矢印が目に入った。もう薄くなっていて、先の部分はほとんど消えかけている。誰が描いたのか、いつのものなのかはわからない。ただ、矢印の先には電柱があるだけだった。

近所を歩いていて、こんなものを見つけると、つい立ち止まって考え込んでしまう。何かの目印だったのかもしれない。宅配の人が使うのか、あるいは子どもたちの遊びの跡なのか。少し前まで晴れていた空は、もう薄暗くなり始めている。この時間になると、道行く人もまばらだ。

その矢印の形が、なぜか子供の頃にやった「宝探しゲーム」を思い出させた。記憶の中では、公園の砂場の近くに同じような矢印が描いてあって、辿っていくと木の根元に折り紙のカエルが置いてあった。あの時はそれが宝物だったけど、今思えば誰かが適当に描いた線だったのかもしれない。でも、あの時のワクワク感は確かに残っている。

自分だけのルール

よく考えると、僕はこういう意味のわからないものを見つけると、自分なりに理由を考えずにはいられない。完全な妄想で、それが正解かどうかは重要じゃない。ただ、目の前の現象に対して、自分なりの物語を作るのが癖になっている。

この矢印の場合、僕は「迷子の猫を探すための印」だと決めつけた。特に根拠はない。でも、そう思い込むと、矢印の先にある電柱の影に猫が隠れているような気がして、少しだけ注意深く見てしまう。もちろん、そこに猫はいないのだけど。

しばらくその場に立って、矢印を眺めていた。歩道のタイルの目地に沿って、チョークの粉が残っている。雨が降ったらきれいに流れてしまうだろう。そう思うと、なんだか写真に撮っておきたくなった。ポケットからスマホを取り出して、何枚か撮る。でも、後で見返すことは多分ない。

日常に潜む小さな謎

こういうものに出会うと、日常って意外と面白いと思う。特別なことがなくても、ただ歩いているだけで、小さな謎が転がっている。普段は気にも留めないけど、たまに立ち止まると、誰かの痕跡がそこにある。その全てに意味があるわけじゃない。でも、その無意味さが妙に心地いい。

結局、その矢印の本当の意味は最後までわからなかった。でも、それでいい。僕はまた歩き出す。空はもうほとんど暗くなっていて、街灯が点き始めている。

夕方の川辺で、水面に映るアメンボの影を見る

夕方の川辺で、アメンボの影を数えていた

夕方、川辺の草むらに腰を下ろした。水面は茜色に染まり、風が運ぶ草の匂いがどこか懐かしい。

目を凝らすと、アメンボが数匹、滑るように動いている。その動きに合わせて、川底に映った影が面白いほどに拡がっていた。細い脚が波紋を作り、影はゆらゆらと歪む。実物よりずっと大きく、まるで別の生き物みたいだ。

気がつくと、僕はその影の数を数え始めていた。一匹、二匹……いや、あれは同じ個体か。光の加減で影が薄れたり濃くなったりするものだから、数えるのは意外と難しい。

アメンボの影は、本物より存在感があるように思えた。脚の影は長く伸びて、水面下の石や砂の上をなぞる。ふと、子どもの頃、同じように川辺で影を追いかけた記憶がよぎる。あの時はトンボの影だった。影を捕まえようとして、結局ずぶ濡れになった。

影は、光と水の間でただ揺れているだけなのに、どうしてこうも目を引くんだろう。アメンボ本体は軽やかに跳ねるのに、影はゆったりと踊っている。その対比が妙に心地よくて、僕は数えるのをやめて、ただ眺めていた。

西の空が一段と赤みを増し、川面の輝きが強くなる。アメンボの影もよりくっきりと浮かび上がり、また数えたくなる。でも今度は、数えるふりをして、影の輪郭を目でなぞるだけにした。結局、何匹いたのかはわからずじまいだ。

午後の日差しを浴びる自販機。押されたまま戻らないひとつのボタンと、その周囲のボタンたち。街の片隅の小さな違和感。

午後の駅前、自販機のボタンがひとつだけ戻らなかった

駅へ向かう途中、通りの自販機の前で足を止めた。

のどが渇いていた。今日は風がなく、午後の空気がじっとりと背中にまとわりつく。冷たいお茶でも買おうと小銭を入れる。

品物のボタンを押そうとして、指が止まった。ひとつだけ、ボタンが引っ込んだまま戻っていない。

少し濃い灰色のプラスチックのボタンで、他のボタンと同じ大きさ、同じ形。でも、それだけがぺったりと押し込まれて、周囲から一ミリほど低くなっている。誰かが強く押しすぎたのか、それとも何かの拍子にそうなったのか。

僕は目的のボタンを押し、狙っていたお茶の缶がゴトンと落ちてきたのを取り出す。それから、戻らないボタンの表面をそっと押してみた。カチッ、という手応えはなく、ただ沈み込んだままだ。

隣のコーヒーのボタンも押してみたくなったが、買うつもりはない。缶コーヒーを手に持って歩く自分を想像して、少しだけ迷う。

結局やめて、お茶の缶だけを持って歩き出した。振り返ると、そのボタンは相変わらず引っ込んだまま、午後の光を受けている。誰かが修理に来るまで、この状態が続くんだろうか。

缶を開けて一口飲んだ。冷たい液体が喉を通っていく。自販機の横を通り過ぎるとき、一瞬だけもう一度目をやったが、ボタンは見えなかった。

真夏の昼の渓谷、せせらぎの水面がきらめく様子

昼の渓谷で、水面のきらめきを数えていた

渓谷の道を歩いていたら、日差しが真上から落ちてきて、どこもかしこも白っぽく光っていた。木の葉の間からもれる光が、せせらぎの上に無数の斑点を作っている。僕は立ち止まり、その斑点の数を数え始めた。一つ、二つ、三つ……と、指を折りながら数えるが、すぐに分からなくなる。光が揺れるからだ。

せせらぎの音は、ここに来るといつも同じ調子に聞こえる。高い音と低い音が混ざって、耳の奥で小さく反響する。水面に目を凝らすと、小さな波紋がいくつも重なり合い、そのたびに光の形が変わった。丸だったり、細長くなったり、一瞬消えたり。

ふと、足元の小石を一つ拾い上げ、そっと水面に向けて投げた。石は吸い込まれるように落ち、小さな水しぶきを上げた。波紋が広がり、元のきらめきをかき消す。しばらくすると、また元の光の模様が戻ってきた。子どもの頃、こうして何度も石を投げては、波紋の数を数えたことを思い出す。あの頃は、何かを数えることが遊びだった。

それからしばらく、ぼんやりと流れを見ていた。特に何を考えるでもなく、ただ目の前の光のゆらぎを眺める。時折、鳥の声が谷にこだまし、風が葉を揺らす。日陰に入ると、急に肌寒く感じた。

結局、きらめきの数は最後まで分からなかった。まあ、それでいいかと思い、歩き出す。帰り道、もう一度振り返ると、さっきと同じ場所がきらきらと光っていた。何も変わっていないのに、少しだけ違って見えた。

庭で小さなすいかが割れている様子

庭のすいか、まだ小さいのに割れていた

庭のすいかが、まだ小さなのに割れていた。

朝の水やりをしていて、一番奥の蔓にぶら下がっている球を見つけた。ボールほどの大きさもあるかないか、色はまだ薄くて、縞もあまり濃くない。その真ん中に、白っぽい線が一本走っている。近づくと、それが深いひび割れだと分かった。割れ目から赤い果肉が見えている。皮がまだ青いのに、中はもう赤くなっているようだ。

触ってみると、ひびの周りの皮は少し柔らかくなっていた。昨日の晩は雨が降っていなかったが、母が言うには一昨日の夜に急に降ったらしい。急に水を吸って膨張して、皮が追いつかなかったんだろうか。すいかが割れるのは、収穫前の大雨の後によく聞く話だ。ただ、これはまだ小さいのに、そんなことが起きるのか。

僕はひび割れたすいかを傷つけないように、蔓から外すのはやめておいた。写真を撮って、以前家庭菜園をやっていた友人に送ろうか迷っている。その友人は、いつもすいかの育て方を熱心に話していた。でも、今送ると「水やり過ぎたんじゃないか」と言われそうで、少し気が引ける。

割れた部分から、かすかに甘い匂いがしていた。もうほとんど熟しているのかもしれない。まだ切るには早い気がするけど、このまま置いておくと腐るかもしれない。取ってしまおうか、それとも様子を見るか。日差しが強くなってきたので、一度家に戻って、母に聞いてみることにした。

夏の渓谷で石に座り、足を水に浸す男性

渓谷のせせらぎ、石の上で休んだ

渓谷のせせらぎのそばで、しばらく石の上に座っていた。今日は特に予定がないので、昼前の涼しいうちに歩いてきた。流れは思ったより速くて、岩に当たる音が絶えず聞こえる。

石は日なたにあったが、座るとひんやりとしていた。足元に水が近く、靴を脱いで浸してみたら、想像以上に冷たかった。最初はびくっとしたが、慣れると気持ちがいい。

水の中を見ると、小さな魚が数匹、影のように動いていた。手を伸ばせば届きそうな距離なのに、すぐに岩の下に隠れてしまう。あれが何という魚かは知らない。覚えているのは、体の側面に細かい斑点があったことだけだ。

しばらくそうしていると、向こう岸の木の枝で鳥が鳴いた。姿は見えなかったが、声だけがよく通った。僕はそのまま、水の音と鳥の声が重なるのを聞いていた。

途中で、持ってきた水筒の水を飲んだ。中身は麦茶で、もうぬるくなっていた。せっかくの渓谷なのだから、冷たい水で沸かしたらよかったのに、と思ったが、用意したのは昨日のうちに作ったものだ。

足を乾かして靴を履き、帰り道を探した。来た道を戻るだけだが、なぜか少し迷ったような気持ちになる。石の位置や木の形が、来たときと違って見える。二度目の道というのは、いつもこうだ。

片方の結び目が緩んだレジ袋を持つ手元のイラスト

スーパーの袋、持ち手の結び目がひとつだけ緩かった

スーパーを出てすぐ、右手にぶら下げた袋の持ち手がいつもより長いことに気づいた。見ると、片方の結び目だけがゆるゆるで、今にもほどけそうになっている。なぜか反対側は固く結ばれたままだ。

珍しいな、と思う。レジの人は持ち手を結ぶとき、たいてい両方同じ力加減でぎゅっとするものだ。片方だけ手を抜いたのだろうか。それとも、何かの意思表示なのか。いや、そんなはずはない。ただ忙しかっただけだろう。僕はそう結論づけようとしたが、どうにもそのアンバランスさが気になってしまう。袋の中身は牛乳パックと豆腐、それに小松菜だけ。重さが偏っているわけでもないのに、緩んだ側だけが妙に存在を主張している。

結び直そうかと指をかけるが、なんとなくやめた。歩きながら、このままどこまで持つか試してみたくなったのだ。家まであと十分。信号待ちのたびにそっと持ち手を揺らすと、結び目はほんの少しずつほどけていく。完全にほどけたら、袋は傾いてしまうだろうか。でも、なぜかほどけない気もする。そんなことを考えている自分が、少し変だと思う。周りの人は、誰も僕の袋の結び目なんて見ていない。

途中、公園の前で小さな子供がシャボン玉を追いかけているのを横目に通り過ぎる。ふと、昔、弟とシャボン玉の液をこぼして叱られたことを思い出す。結び目のことは頭の隅に追いやられ、次に気づいたときには家の前に立っていた。袋の結び目は、まだ辛うじて形を保っている。僕は玄関の鍵を探しながら、あと数歩のところでそれがほどけるかどうか、やっぱり少し期待していた。

朝のキッチンで、微妙に曲がったスプーンを見つめる男性の手元。

朝のキッチン、スプーンの曲がり具合

朝食を済ませて、カレーライスの皿とスプーンを流しに運ぶ。いつものルーティンだけど、ふと手に取ったスプーンを見て、あれ、ちょっと曲がってるなと思った。柄の真ん中あたりが、ほんの少しだけ反っている。前に気づいていたかもしれないけど、今朝は妙に目に留まった。

このスプーン、たしか一人暮らしを始めた時に買ったセットの一つだ。もう五年くらい使っている。曲がった原因を考えてみる。多分、アイスクリームを無理にすくった時だろうか。冷凍庫から出したばかりの硬いやつを、力任せに押し込んだ記憶がうっすらある。でも、あの時は手ごたえがあったけど、ここまで歪むかな。

洗いながら、スプーンの曲がりを親指でなぞってみる。微妙なカーブが、指の腹に感じられる。洗剤の泡で滑るけど、確かに凹んでいる。そういえば、引き出しの中で他のスプーンとぶつかって、じわじわ曲がった可能性もある。フォークやナイフが上に乗って、長い時間をかけて。でも、そんな力で曲がるものか。

水で流しながら、ふと学生時代の食堂を思い出した。あそこにあったスプーンは、みんな微妙に曲がっていた。毎日何人もの人が使うから、自然とそうなるんだろう。でも、僕のは一人用だ。誰かが乱暴に使ったわけでもない。

結局、理由はわからないまま、水気を切ってカゴに立てかけた。明日もまた、何も考えずにこのスプーンを使うんだろうな。

朝の庭で黄色いひまわりが咲く様子

朝のひまわり、花言葉を調べた

朝の七時五十分、洗面所で顔を洗ってから、ふと思い立ってベランダに出た。ひまわりが一鉢ある。種から育てたものだが、今年はどうも背が低い。説明文には百八十センチとあったのに、まだ六十センチくらいだ。鉢が小さいせいかもしれない。

花は一つだけ咲いている。直径十五センチほどの、黄色い花。朝の光を浴びて、しっかりと東を向いていた。調べたことがある。ひまわりは若いうちは太陽を追うが、花が咲くと東で止まるのだそうだ。うちの鉢は壁際にあって、西側に塀がある。それでも東を向いているのは、ちゃんと理由があるのだろう。

それで花言葉を思い出した。確か「あなたを見つめる」だったはず。ついスマホで検索してしまった。花言葉は「あなたを見つめる」「崇拝」などと出てきた。中には「にせいつわり」というのもあった。そんな意味があったかと、少し驚いた。

ずっと考えていた。ひまわりが東を向くのは、単に太陽が昇る方角だ。だけど花言葉の「あなたを見つめる」は、ひまわりがアポロンに見とれた話から来ているらしい。花自体は何も考えていない。なのに人間が勝手に視線を想像する。

そのとき、ひまわりの花にハチが止まった。小さなハチだ。花びらの上を歩いて、中心の茶色い部分に入っていった。あっという間の出来事だった。ハチは何も気にしていない様子で、花粉を集めていた。ひまわりも、ハチも、こっちを向かない。

ベランダを離れるとき、もう一度だけ花を見た。朝の光はまだ東から来ている。花は変わらず、その方向を向いたままだった。

夜の台所で缶ビールを開ける男性

夜中にネットで見た「ふらつくビアグラス」の話

午前0時を回ったところで、まだ眠れずにスマホをいじっていたら、面白いニュースを見つけた。

よなよなエールの会社が「ふらつくビアグラス」っていう商品を出すらしい。ビールだけを飲むと、グラス自体がふらふらと傾いて倒れる仕掛けだという。水を飲みながらビールを飲むと倒れないらしい。

なんのためにそんな物を作ったんだろう。酔っ払いをからかうためか、それとも水を飲めという注意喚起なのか。説明を読んでも、半分冗談みたいな商品で、真面目なのかふざけているのかよく分からなかった。

僕はビールをほとんど飲まない。発泡酒ならまだしも、本物のビールは苦くて、どうにも喉を通らない。でも、そのニュースを見た瞬間、冷蔵庫に缶ビールがあったのを思い出した。確か、来客用に買ったものが一本残っている。

どうしてもそのグラスが試してみたくて、でも売ってないし、そもそもビールを飲まない僕が買っても仕方ない。それで、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、栓を開けた。

一口飲んでみると、やっぱり苦い。でも、その苦さの中で、もしこのグラスがあったら、今の僕は倒れるだろうなと思った。水を飲まずに、いきなりビールを一口。多分、最初の一口で傾き始める。

僕はそのまま缶ビールを台所に置いて、スマホの画面をまた見た。商品の発売日は今日からだという。通販サイトを見たら、既に売り切れているみたいだった。

缶ビールはまだ半分ほど残っている。

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