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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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雨の午後、紙袋と外された輪ゴムが置かれた机

紙袋の輪ゴムを、外す前に二度数えた

紙袋の輪ゴムを外そうとして、僕は指を止めた。持ち手の片側に黒い輪ゴムが二本、もう片側にも二本ある。見れば分かることなのに、いきなり引っぱると数え方を忘れそうで、左から一、二と声に出さずに追った。午後二時十四分、窓の外では細い雨が続いている。

一度数えたあと、紙袋を少し回して、同じ二本を別の二本として数えていないか確かめた。輪ゴムは重なっていて、下の一本の端だけが短く見える。そこを指先で持ち上げると、ゴムの戻る力で紙袋の口が小さく震えた。外すだけなのに、確認のほうが手間になっている。

僕はまず手前の一本を外した。残った三本を数えようとして、外した一本を机の脇へ置く。いや、置いた場所を覚えている必要はないと思いながら、輪になった黒い線が紙袋の茶色に妙に合っているのを見てしまった。袋の底には折り目があり、そこだけ少し白く擦れていた。

その折り目を見ていたら、紙袋をたたむ向きが気になり、口を平らにする前に左右の角を合わせた。輪ゴムはあと三本。今度は二度数えなかった。一本ずつ外すたび、紙の表面を爪で傷つけないように指の腹へ持ち替えた。雨の音が少し強くなり、僕は袋を開いたままにしていることを思い出した。

二本目はすぐ外れたが、三本目だけ持ち手の根元に食い込んでいた。引けば済むのに、そこだけ先に輪を広げ、紙を押さえてから抜いた。外した輪ゴムをまとめると三本に見え、最初に数えた四本との差が合わない気がした。机の脇を見ると、一本目がまだ丸いまま転がっていた。

雨の街で排水溝へ流れていく白いレシート

街の排水溝へ流れたレシートを、最後まで見なかった

雨の細い線が歩道を濡らしていた13時20分、僕は街の排水溝のそばで足を止めた。白いレシートが一枚、縁石からゆっくり滑り、黒い金属の格子へ向かっている。拾うほどでもない、と一度は通り過ぎかけたのに、紙の角だけが水面から何度も浮くので、結局その動きを目で追ってしまった。

レシートには細かな印字が並んでいたが、雨で端から灰色になり、何を買った紙なのかはもう分からない。僕は靴の先を少し横へ向け、排水溝の入口をふさがない位置に立った。手を伸ばす気はないのに、濡れた紙が格子のどの隙間へ入るかだけは確認したくなった。

一度、レシートが格子の手前で引っかかった。これなら取れるかもしれないと思ったが、次の水の流れで細長く折れ、隙間の下へ沈んだ。僕はしゃがまず、立ったまま少し身をかがめた。見えるのは白い裏側と、紙に張りついた小さな黒い砂だけだった。

その先まで見届けようとして、格子の奥を覗く姿勢になってから、僕は急にやめた。排水溝の中でレシートがどうなるかを知っても、拾えない紙が拾えないままになるだけだ。歩き出す前に、靴底についた水を二度こすった。

反った札のそばで朝に開く朝顔

朝顔の花言葉「愛情」を、反った札の角から読んだ朝

朝顔の札を立て直そうとして、指先が角で止まった。札は少し反っていて、土に近い側だけが戻りきらず、朝の明るさを受けても白い面がきれいに見えない。そこに「愛情」と書かれているのを読んで、僕は札を抜くより先に、反った角を親指で何度か押した。押せば平らになると思ったが、手を離すとまた少し浮く。

花はもう開いていた。青みのある花びらの奥に、細い白が残っている。札の言葉と花を一緒に見ようとすると、どうしても札の端へ目が戻る。肝心の花より、文字の下にできた影のほうを長く見ていた気がする。朝顔に愛情という花言葉があることは知っていたのに、今日はその意味より、札を雑に扱わなかったかが気になった。

角を押す力を少し弱め、今度は札の向きを変えた。正面を向けると、反りが目立つ。少し斜めにすると文字は読みにくくなるが、花の横に置かれたものとしては落ち着いて見える。僕は読みやすさを選ぶべきか迷い、結局、最初の向きに戻した。こういう判断だけは、朝から妙に時間がかかる。

遠くで車の音が一度して、空の明るさが少し変わった。雨はまだなく、湿った空気だけが葉の近くに残っている。札を完全にまっすぐにするのは諦めて、土へ戻すときに角が花の茎へ当たらないようにした。愛情という言葉は、そのまま読んだのに、最後まで札の角から離れなかった。

8月の朝、開きかけた赤いカンナの花と花言葉の札

カンナの花言葉「情熱」を、開く途中の花びらで考えた

開ききっていないカンナの前で、僕は足を止めた。花びらは赤く、先のほうだけがほどけていて、咲いていると言うには少し早い。札にあった「情熱」という花言葉を見てから、完成した姿より、この途中の形のほうを長く見ていた。朝の光は雲に薄められ、赤だけが妙にはっきりしていた。

カンナの花言葉は、もっと勢いのある開花に似合う言葉だと思っていた。けれど、実際に目の前にあるのは、花びらが一枚ずつ別の方向を向き、内側を隠したままの姿だった。僕は札の文字をもう一度読んだあと、花ではなく茎の付け根を見た。そこに小さな傷のような茶色い跡があったからだ。

傷が花の具合と関係あるのかは分からない。指で触る気にはならず、少し体を横へずらして、開きかけた隙間から奥をのぞいた。赤い花びらの重なりは、思ったより厚く見えた。情熱という言葉を当てはめるなら、燃えている感じより、まだ外へ出る場所を決めていない熱のほうが近いのかもしれない。

その考えを文章にできそうでできず、僕は札の端が少し反っていることばかり覚えている。花を撮るなら全開になってからのほうが親切なのだろうが、今日は途中のまま、どこまで開くのかを決めずに離れた。

夏の朝、自動ドアの前に広がる静かな入口

自動ドアの前で、半歩だけ待った

自動ドアの前で、僕は半歩だけ待った。開くはずの線まで近づいていたのに、ガラスの向こうへ入る動作を急に決めきれなくなった。朝の東京は薄い雲が広がり、暑さはあるものの、昨日ほど空気が重くない。センサーに届く位置は分かっているのに、足だけが先に進まなかった。

ドアは閉じたまま、向こう側の床をこちらへ反射していた。僕は靴の先を床の境目に合わせ、開くかどうかを見るためではなく、合わせ方がずれていないかを確かめるように立っていた。必要のない確認だと思いながら、右足をほんの少し引いた。すると、上のほうで小さな作動音がして、左右のガラスが離れ始めた。

開き始めたらすぐ通ればいいのに、僕は一度だけドアの端を見た。どこまで動けば完全に開いたことになるのか、毎回そこを見てしまう。隙間が肩幅ほどになってから、ようやく前へ出た。通り抜ける途中で振り返るほどのことではないが、背中側で閉じる音を聞く前に、もう次の足の置き場所を考えていた。

中へ入ってから、半歩待ったことを思い返した。急いでいたわけでも、ドアが故障していたわけでもない。ただ、開く前の短い間に自分の進む向きを確かめたかったらしい。そんな理由を後からつけているうちに、入口のガラスはまた閉じていた。

朝の光の中で葉に触れられるゼラニウムの鉢

ゼラニウムの「真の友情」を、葉に触れた指で思い出す

ゼラニウムの葉に指先を置いたまま、僕は花言葉の「真の友情」という言葉を思い出していた。葉の表面は少し硬く、指を離すと、触れた場所だけが濃く見える気がする。朝の光はまだ強すぎず、湿った空気の中で赤い花の輪郭もぼんやりしていた。

友だちについて考えようとしていたわけではない。むしろ、花言葉を知ったときに「真の」とまで付くのは少し大げさだと思ったことのほうを覚えている。友情に本物とそうでないものがあるような言い方を、僕はすぐに疑ってしまう。けれど、葉を一枚ずつ見ていると、その言葉を完全に退ける気にもなれなかった。

葉の縁に小さな欠けがあり、そこへ指が引っかかった。花を見るつもりだったのに、結局いちばん長く見ていたのは花ではない。欠けた部分を反対の角度からも確認し、傷なのか、もともとの形なのかを決められないまま指を引いた。こういう不要な確認だけは、僕は妙に丁寧にする。

ゼラニウムの花言葉を思い出した朝は、きれいな話にまとまらず、葉の感触と欠けた縁だけが残った。僕は水をやる前に、指先についた匂いを一度嗅いでから、花の向きを少しだけ見直した。

朝の光の中で咲くサンビタリアの小さな黄色い花

サンビタリアの花言葉「私を見つめて」を読んだ朝

花の札の前で、僕は一度読んだ言葉をもう一度追っていた。サンビタリアの花言葉は「私を見つめて」。朝の光はまだ強すぎず、細い茎の先に並んだ黄色い花が、少しだけこちらを向いているように見えた。見つめて、と言われると、見る側の僕まで姿勢を正したくなる。

花言葉を読むとき、僕は花より先に札の文字を覚えてしまうことが多い。今回はなぜか「私を」だけが目に残り、「見つめて」の部分を後からゆっくり読んだ。誰に向けた言葉なのかは分からないのに、頼まれごとのように受け取って、花の数を数えかけた。途中で分からなくなり、最初の一輪へ戻った。

サンビタリアの花は小さく、中心の色と周りの黄色が近い距離にまとまっている。近づきすぎると全体が見えなくなるので、僕は一歩下がった。すると、さっきまで札に寄っていた視線が、今度は葉の重なりへ移った。葉の一枚だけ、隣の茎に押されて少し斜めになっている。

そこを直すほどでもないと思いながら、指を出しかけてやめた。朝の湿った空気の中で、触らずに見ているほうがよい気がしたからだ。「私を見つめて」という言葉も、花が大きな声で呼んでいるというより、札を読んだ僕が勝手に聞き取ったものなのだろう。僕はもう一度だけ花の中心を見て、札の横を通り過ぎた。

朝の台所に置かれた電気ケトルの蓋を確認する場面

電気ケトルの蓋を、閉めたか見に戻った

電気ケトルの蓋を閉めたか確かめるため、廊下まで出たところで僕は足を止めた。さっき台所を離れたばかりなのに、手のひらに蓋を押した感触が残っていない。開いていたら危ない、というほど大げさな話ではないが、閉めた記憶もない。こういう曖昧さだけは、眠気より先に僕を戻す。

台所へ戻ると、電気ケトルはいつもの場所にあり、蓋はきちんと閉じていた。見るだけでよかったのに、僕は指で縁を一周なぞり、浮いていないことまで確認した。縁の一か所だけ少しざらついていて、そこを見つけたせいで、確認が終わる時間が延びた。触った感覚を覚えておこうとして、逆に余計なことを考えている。

そのまま湯を沸かす気になり、スイッチには触れず、蓋の蝶番だけを見た。白い樹脂の継ぎ目に小さな茶色い線があり、汚れなのか影なのか決めきれない。顔を近づけると、窓の向こうが明るくなり始めていた。湿った空気のせいか、台所の床も少し冷たく感じる。僕は線を爪でこすりかけて、やめた。

閉まっていると分かったあとも、すぐには離れなかった。蓋を一度だけ開け、音を立てないように下ろす。今度は小さく閉じる音がしたので、さっき聞き逃したのはこの音だったのだと思う。けれど、聞いた記憶が増えたわけではない。ケトルの横に立ったまま、沸かすかどうかを決める前に、もう一度だけ蓋の端を見た。

暮れかけた台所のシンクで端だけ先に洗われる製氷皿

製氷皿の端だけ、先に洗った

製氷皿を洗おうとして、水を出したところで手が止まった。四つある列のうち、端の一列だけが妙に白く見えた。氷が残っているわけではなく、細い水滴が仕切りの角に集まっているだけなのに、そこを先に流したくなった。中央から始めると、途中で順番が分からなくなりそうだった。僕はこういう、誰にも頼まれていない手順を決めるのが少し好きだ。

端をつまんで傾けると、水はシンクの底へ細く落ちた。スポンジをその列のくぼみに入れ、角を一つずつ押す。洗剤の泡が白い縁に残ったので、裏返して確認したが、裏側まで見る必要はなかった気もする。蛇口の音の向こうで、外の明るさが少し落ちている。八月の空気はまだ暑いのに、窓のあたりだけは昼間より薄く感じた。

すすいだ端を置いてから、全部を一気に洗えば早いのに、僕は隣の列ではなく、皿の持ち手のへこみを親指でなぞった。そこに薄く残った泡を見つけたからだ。水を当てればすぐ消える程度で、見つけたと言うほどでもない。親指を濡らしたまま、もう一度だけ蛇口の下へ戻した。

持ち手の水を切ろうとして皿を振ると、端のくぼみに小さな水滴が戻った。さっき洗った場所なのに、やり直すか迷い、製氷皿を横向きにして傾きを変えた。冷凍庫へ入れる前なら、これくらいはしてもいい気がした。外はもう暮れかけていて、明日の雨のことを思い出したが、今は濡れた端を布巾に触れさせないようにしていた。

夕方の机に置かれた小さなフィカスとスマートフォン

100円フィカスの「三年後」に、指が止まった

画面を下へ送っていた指が、「100円のフィカスが3年後に」という見出しのところで止まった。100円ショップの小さな観葉植物を育て、剪定や仕立て直しをすると、三年後には驚くほど姿が変わるらしい。記事を読む前は、買ったときの大きさを少し想像しただけだったのに、三年という数字が出た途端、指だけが先に止まった。

夕方の東京はまだ暑く、画面の明るさを一段下げてから、写真を拡大した。幹が細く、葉も数枚しかない状態から、枝をどちらへ伸ばすかで印象が変わっている。僕は育て方の要点より、記事にあった「仕立て直し」という言葉を二度読みした。植物を買い直すのではなく、伸びた後から形を選び直せるという部分だけ、妙に具体的に残った。

三年後の自分を考える記事はいくらでもあるのに、100円フィカスの三年後には身構えずに済む。大きな目標ではなく、葉が増えたら切る、向きを見て置き直す、といった小さな手入れの話だからかもしれない。もっとも、僕なら剪定の直前になって、切る位置を何度も指で空中に描きそうだ。

記事を閉じたあと、購入価格の100円より、三年間その鉢を忘れないことのほうが難しいと思った。画面の端に残った「3年後」の数字を消すように、別の記事へ指を動かしたが、次に表示された見出しの途中でまた止まった。

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