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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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細い雨が降る夏の渓谷と濡れた小石

渓谷の水音に、足を置く場所を迷った

靴底が小石を踏む前に、渓谷の水音が聞こえた。18時20分、八月の雨は細くなっていたが、岩の間を抜ける音だけは昼より近く感じる。僕は一度、足を止めた。止まったせいで聞こえたのか、先に聞こえていたから止まったのか、そこはもう分からない。

足元には濡れた小石がいくつもあり、どれも似た色をしていた。水に丸められた形だと思いながら、僕は右足を置く場所を決めきれず、靴の先だけを少し浮かせた。流れの音は一定ではなく、低く続いたあと、岩の裏で急に細くなる。そのたびに、次に聞こえる音を待つような格好になった。

少し進むと、斜面から落ちた葉が水際で引っかかっていた。葉の端だけが水に浸かり、揺れるたびに小さな輪が広がっている。僕は小石よりそちらを長く見てしまい、さっき聞いた水音の方向を忘れかけた。渓谷は近い音と遠い音が混ざるので、耳の置き場所まで迷う。

結局、平らそうな石を選んだ。踏んだ瞬間に靴の中で足が少し滑り、僕は体を戻すために腕を開いた。雨の匂いより、濡れた石の冷たさが先に残った。次の一歩では、音を聞こうとして足元を見ないようにしたが、また小石の形が目に入った。

湿った東京の午後、棚に戻された開封済みの詰め替えコーヒー袋

開封後の詰め替えコーヒーを、袋のままに戻した

開封した詰め替えコーヒーの袋を、いったん容器へ移しかけて、僕は手を止めた。午後の台所は湿気があり、窓の外では細い雨が続いている。袋の口を持ったまま、白い保存びんの横に置いた。入れ替えたほうが見た目は整うし、棚を開けたときにも少し気分がいい。そう思った直後、見た目のために粉を動かす必要があるのか、と急に面倒になった。

詰め替え用インスタントコーヒーは、開封後に袋のまま保存するのがよいらしい。湿気を避けるための話だと読んだが、僕が引っかかったのは、袋を捨てずに使い続けるというところだった。いつもなら空いた容器を先に用意して、残りをきれいに収めたくなる。今回はその癖だけが先に動き、手があとから追いつかなかった。

袋の中をのぞくと、粉はまださらさらしていて、底の角に少しだけ寄っていた。僕はなぜか、その寄り方を左右から見比べた。量を確かめたいわけでもないのに、片側へ偏ったままだと口を閉じにくそうに見えたから、底を指で軽くならした。こういう必要のない確認に時間を使うのが、僕の台所ではよくある。

結局、袋の口を折り、詰め替えコーヒーを袋のまま棚へ戻した。保存びんは空のまま横に残り、さっきまで移し替えるつもりだった手だけが少し宙ぶらりんになった。次に飲む分を取り出そうとして、袋の折り目を一度開きかけたところで、また閉じた。

雨に濡れた横断歩道の押しボタンと白線

雨の押しボタンを袖口で拭いてから、横断歩道を渡った

押しボタンに指を伸ばしたところで、表面の水滴が気になった。雨は昼になっても止まず、横断歩道の前に立っているだけで、袖の先まで湿ってくる。急いでいるわけではないのに、濡れたまま押すのが少し嫌で、僕は右手を引っ込めた。押しボタンの周りには、誰かが触れた跡なのか、雨粒とは違う細い曇りも残っていた。

そこで、シャツの袖口を使うことにした。布を折り返し、ボタンの中央を一度だけ拭くつもりが、端の水滴まで気になって、指先で押さえながら円を描くように動かした。拭いた布の場所を見ても、濡れたのか元からそうだったのか分からない。僕は確認のために袖口をもう一度見て、そこに小さな糸のほつれがあるのを見つけた。今見るところではないと思いながら、糸を引っぱらずにしまった。

改めて押しボタンを押すと、指には水の冷たさが少し残った。信号が変わるまで、白線の手前で待つ。向かい側へ渡る人の足元を眺めていたら、白線の一本だけが途中で薄くなっていて、そこを踏まないように立つ位置を変えた。雨の音で車の通る気配がぼやけ、青信号になった表示を見てから、僕は袖口を気にしながら横断歩道を渡った。

雨の朝、窓辺から見えるキョウチクトウの白い花

キョウチクトウの花言葉を、白い花より先に読んだ

窓の外で雨が続いているあいだに、僕はキョウチクトウの花言葉をもう一度読み直した。朝七時十分、部屋の明るさは増えているのに、花の写真だけは少し遠く見えた。名前の横に並んだ言葉を、最初からではなく、最後の一つから逆に追っていった。

キョウチクトウの花言葉には「危険な愛」という表現がある。きれいな花に似合わない、と驚くほどではなかったけれど、僕はそこだけを何度も見た。花びらの形より、注意書きのような言葉のほうが目に残る。読み終えてからも、指が画面を閉じる位置で止まった。

雨音が少し太くなり、窓ガラスの水滴が横へ流れた。僕は花言葉の一覧を閉じるつもりで、キョウチクトウの漢字表記まで確認してしまった。調べる必要はないのに、花の名前を途中で見失うのが嫌だったらしい。こういう余計な確認だけは、朝からきちんとしている。

それから写真へ戻ると、白い花の中央にある小さな色の差へ目が移った。そこを見ているうちに、さっき読んだ「危険な愛」という言葉が、花そのものの説明なのか、昔から誰かが貼った札なのか分からなくなった。窓を開けることはせず、表示を消して、雨の音を聞きながら画面を伏せた。

キョウチクトウの花言葉を読んだあとも、僕の中に残ったのは大げさな印象ではなく、閉じる直前に見た花の白さだった。次に同じ花を見かけたとき、先に花を見るのか、言葉を思い出すのかはまだ決めていない。

台風の雨の中で出勤前に交通情報を確認する朝の玄関

台風直撃の出勤で、交通情報を閉じられなかった

「台風が来る。しかも直撃」と聞いたとき、少しだけ期待した。学校が休みになる日のような、いつもの予定が急に消える感じを想像したからだ。けれど、窓の外では雨が続いているだけで、僕の出勤予定は消えていない。ワクワクは、思ったより早く普通の心配に戻った。

出かける前に交通情報を開くと、台風15号による新幹線や首都圏の鉄道への影響が案内されていた。空の便は平常通りらしい。平常という言葉を見て、台風の中心がどこにあるのかより、自分が乗る路線はどうなのかを先に探してしまう。大きな天気の話なのに、画面の中で僕が見ているのは細い一行だけだった。

雨は弱くなったり強くなったりして、玄関を出る判断も妙に細かくなる。傘を持つ、靴を選ぶ、駅まで行けるか考える。そのたびに、さっきまでの「直撃なら何か起きるかも」という気分が薄まっていった。危険がないとは思っていないのに、出勤する人の列に自分も混ざると考えると、台風は急に勤務表の端へ押し込まれる。

ニュースの更新をもう一度見て、僕は画面を閉じた。閉じたあとで、閉じるのが早かった気もして、また開いた。運行情報を確認したというより、出勤してよい理由を探していたのかもしれない。結局、傘を手にして玄関を出る。雨の音を聞きながら、ワクワクしていた自分のほうを少しだけ置いていく。

夜の雨の合間に家の音を聞き分ける部屋

家の音を、雨の途切れ目で聞き分けた

雨の音が少し細くなったので、僕はテレビを消した。窓を閉めたままでも、家の中には外の気配が薄く入り込んでくる。最初に聞こえたのは、ベランダのどこかで水が一滴ずつ落ちる音だった。続いて冷蔵庫の低い唸りが戻り、僕はその二つを聞き分けようとして、座ったまま首だけを傾けた。家の音を聞くために、こんな姿勢になる必要はないのに、戻すきっかけがなかった。

雨が強い間は、全部がひとつの音に混ざっていたらしい。今は壁の向こうではなく、窓の近く、床のほう、少し離れた電気製品のほうへ、音の場所がばらけている。僕は念のため冷蔵庫の扉を見た。閉まっている。確認したかったのは扉ではなく、音の正体のほうだったのだと思う。けれど見たあとで、確認の順番が逆だったような気がしてきた。

また雨脚が太くなり、ベランダの一滴はすぐに聞こえなくなった。今度は屋根か窓か分からない細かな連打が、部屋の奥まで続いている。僕はテレビのリモコンをテーブルの端から中央へ寄せた。音とは関係のない動作なのに、そこが少し斜めになっているのが急に目についた。寄せ終わると、冷蔵庫の唸りだけが妙に近く感じられた。

家の音は、雨が止んだときにだけ聞こえるものではなかった。大きな音の隙間で、僕が聞こうとしている間だけ輪郭を持つらしい。そんな言い方をすると大げさなので、ここではやめておく。窓の外でまた水がまとまって落ち、僕は冷蔵庫の音と取り違えないよう、しばらく何もせずにいた。

雨の降る薄暗い部屋でニュースを読む男性と小さな贈り物

初給料のプレゼントを、僕ならすぐ渡せない

雨の音を聞きながら、初給料のプレゼントが話題になったニュースを読んだ。高校生が働いて、自分で得たお金から母親へ何かを渡したらしい。何を選んだのかは記事の見出しだけでは全部分からないのに、「これ好きやろ!」という言葉だけが妙に残った。贈り物の中身より、相手の好みを知っているつもりで差し出す、その少し照れた感じが見える。

僕が初めて給料をもらったときは、使い道を決める前に財布の中で何度も金額を確かめていた。誰かに何かを買う発想はなかったと思う。自分で稼いだという実感が、紙幣の枚数にくっついているようで、減らすのが惜しかった。今でも必要のない買い物を前にすると、値札より先に残高を思い浮かべるので、あまり成長していない。

19時35分、窓の外は薄暗く、東京の細い雨がガラスを曇らせている。ニュースの投稿に寄せられた「これだけで子育て成功です」という反応を見て、僕は一度画面を閉じ、それからまた開いた。大げさな言い方だと思ったのに、閉じたあとに残ったのは、プレゼントを受け取った母親の表情を勝手に想像している自分だった。

初給料のプレゼントは、金額の話だけではない。働いて得たものを、最初に自分以外へ向けたという順番が、たぶん人の胸を動かす。僕なら照れ隠しに紙袋を机へ置いて、何も言わず離れる気がする。「これ好きやろ!」とは、なかなか言えない。

雨の午後、スマートフォンで救急車利用の啓発動画を再生する前の机

救急車利用の呼びかけを、再生ボタンの前で止めた

雨の音が少し強くなった午後、スマートフォンに流れてきた「こんな救急隊は嫌ですか?」という見出しで手が止まった。日置市消防本部が、緊急性のない救急車利用を考えてもらうため、人気曲に乗せた啓発動画を公開したという記事だった。救急車の話なのに、入口がずいぶん軽い。

僕は動画を見る前に、見出しをもう一度読んだ。「嫌ですか?」と聞かれると、こちらが救急隊を品定めする側になったようで、少し居心地が悪い。けれど、重い注意書きだけでは目を止めない人に届かせるなら、この変な引っかかりは役に立つのだろう。たぶん僕も、普通の啓発文なら読み飛ばしていた。

曲名を確認してから動画を開こうとして、先に音量を下げた。午後の雨に歌が混ざると、隣の部屋まで聞こえそうだったからだ。こういうところだけ妙に慎重で、肝心の動画はまだ再生していない。画面には消防本部の名前と、短い紹介文が出たままになっている。

救急車を呼ぶか迷う場面では、本人も周囲も切羽詰まっていて、正しい判断をすぐに出せるとは限らない。一方で、緊急ではない要請が重なると、本当に必要な人のもとへ向かう時間に影響する。その距離の話を、ふざけすぎず、説教くさくもせず伝えるのは難しい。

結局、僕は音量を一段だけ戻して、再生ボタンの上に指を置いた。曲に乗せた救急車利用の呼びかけがどんな調子なのか、そこだけは自分の耳で確かめたくなった。窓の外では雨が続き、再生前の小さな三角形だけが、画面の中央に残っている。

雨に濡れた傘を傘立ての奥へ入れた場面

濡れた傘を、傘立ての奥へ入れた

傘の先を傘立ての底に入れたところで、手を止めた。午後の細い雨に濡れた傘は、閉じたあとも布の端から水を落としている。傘立ての手前には浅い水たまりができていて、持ち手を離すと、その水が傘の先に触れそうだった。

僕は一度、傘を抜いた。水を切るなら外で少し振ったほうがいい気もしたけれど、もう戻ってきたあとで、入口の床をこれ以上濡らすのも嫌だった。結局、傘の先を傘立ての底に戻し、持ち手が隣の縁に当たらない向きへ回した。回した角度は、たぶんほとんど意味がない。

そのとき、傘の内側に残った雨粒が一本だけ筋になって流れた。拭くものを探すほどではないのに、目で追ってしまい、床へ落ちる前に傘の布を指で少し押さえた。指先が冷たくなったので、濡れた傘を持つときはいつも同じ場所を握っていることにも気づいた。

傘立ての奥は手前より暗く、そこへ入れると傘全体が見えにくくなった。それでも僕は、手前に置いたままだと誰かの通り道に近い気がして、もう一度だけ持ち直した。奥へ差し込むと先端が底に当たり、小さな音がした。僕はその音を確認してから、濡れた手をズボンで拭いた。

雨に濡れた川辺で動かされずに残る石

川辺の石が動かないことを、もう一度確かめた

川辺の石に指をかけたまま、僕はしばらく動かさずにいた。午後の細い雨で表面は濡れていて、触ったところだけが少し明るく見える。持ち上げようと思えば持ち上げられる大きさなのに、最初の力をどこから出すかで手が止まった。

石の下には細かな砂が入り込み、横から見ると片側だけが浅く沈んでいた。僕は一度、指を一本ずつ置き直した。こういう確認に意味があるのかは分からないけれど、いきなりつかむと、石ではなく自分の手の置き方を失敗したような気がする。

川の水は雨粒を受けて、石のすぐ先だけ細かく震えていた。流れに押されているわけではないのに、そこにあるものが動かない理由を考え始めると、足元の砂の粒まで見たくなる。僕は石の周りを半歩だけ回り、反対側の縁に親指を当てた。

そのとき、石の上に張りついた薄い葉の切れ端が目に入った。雨で重くなったのか、角だけが水面の方へ垂れている。葉を先に取るべきか迷い、結局、指先で端を押さえたまま石の重さをもう一度確かめた。

少し力を入れると、石は砂をこすって数ミリだけずれた。動いたことより、動かないと思っていた時間の方が長く残りそうで、僕はそこで手を離した。葉の切れ端を拾うかどうかだけ決められず、濡れた指を見ている。

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