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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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昼前に郵便受けを開ける人の手元と折り目のあるチラシ

昼前の郵便受け、押し込まれたチラシの折り目

郵便受けに手を入れたら、固く折りたたまれたチラシが奥まで詰まっていた。指先に折り目が当たって、ぱりっとした感触が伝わる。10時半を過ぎたばかりの配達にしては、少し厚みがある。

取り出して広げると、近所のスーパーの特売だった。でも、見覚えのない店舗名が載っている。うちから歩いて15分はかかる場所で、行ったこともない。どうしてこのチラシが入っていたんだろう。配達の人が間違えたのか、それとも何かの折り込みの余りか。

折り目は三つ折りをさらに半分にした形で、きっちり四角くなっていた。その折り方だけが妙に丁寧で、誰かが心を込めて押し込んだように見えた。クーポン券の切り取り線を、ぼんやり指でなぞる。結局、使うことはないだろう。

そのまま捨てようとして、一度手を止めた。裏面に小さな手書きのメモがあったからだ。「8/5 まで」とだけ書いてあって、何の締め切りか分からない。もしかしたら、前の住人宛てのものかもしれない。この部屋に越してきて、もうすぐ三年になるけれど、前の人の郵便物は今でもたまに届く。

メモの文字は急いで書いたのか、最後の「で」の字がとがっていた。誰かに何かを知らせたかったんだろうか。それとも、自分宛ての覚え書きだったのか。隣の部屋の住人に聞いてみようかとも思ったが、昼前にインターホンを鳴らすのは気が引ける。

結局、チラシはテーブルの隅に置いたままにしている。夕方になっても、まだそこにある気がする。

ダンボールを開けて中を確認する男性の後ろ姿

ダンボールの角に、母の癖が残っていた

午前中に宅配便が届いた。実家の母からで、箱を開けるとまず醤油の瓶が出てきた。使いかけで、ラベルが少しはがれかけている。それから新しいスリッパが一足、まだビニールに包まれたまま。

母はいつもこうだ。何かを送るとき、隙間埋めに冷蔵庫の中身やら余った日用品やらを詰める。今回の隙間は、ビニール袋に入ったお菓子と、なぜかハンドクリーム一本。

箱の隅に、新聞紙で包んだ何かがあった。開けると、去年の冬に実家で使っていた小さな目覚まし時計だ。電池を入れれば動くかもしれない。いや、動かなくてもいいかと思い直して、机の上に置いた。

母の梱包の癖は、ガムテープを端から三センチくらい余らせること。いつもきれいに折り返してある。今回もそうだった。その折り返しを見て、母が猫の世話をしながら、テープを切っている姿を思い出した。電話では最近、物忘れが増えたと言っていた。でもこのテープの折り方は、昔と変わっていない。

お礼の電話をしようとして、その前に送ってよかったものの確認をした。スーパーの袋に入った、私の古いルーズリーフがあった。捨てるつもりで置いてきたのに、母はとってあったらしい。半分ほど使っていて、数枚に落書きがある。何年生のときのだか、思い出せない。

そのまま少し眺めてから、袋ごとゴミ箱に入れた。電話をかけると、母は「何か足りなかった?」と聞いてきた。足りないものはない、と伝えて、スリッパを履いてみた。

昼前の草原に咲くクローバーと、その上を歩く小さな虫

昼前の草原、踏みつけられたクローバー

昼前の草原を歩いていた。空は高くて、雲が一つもない。踏みしめる草は乾いていて、昨日の雨の湿り気はもうなかった。

足元に、倒れたクローバーがあった。誰かが踏んだらしく、白い花が地面にへばりついている。花の周りの葉は半分折れていたが、それでも緑は濃くて、茎の先だけが折れ曲がっている。僕はしゃがんで、そのへばりついた花を指で起こそうとした。しかし、花はステムの根元でねじれたまま、元の方向を向こうとしない。

そのまま指を離すと、花はまた地面に戻った。僕は、このクローバーの茎がどうやって二度と同じ向きに戻らないのか考えた。夕方にはまた立つかもしれないと思ったが、実際はどうか分からない。そもそも、踏まれたクローバーが立ち直るのを見たことがない。

草の隙間で、小さな虫が動いていた。黒い甲虫で、クローバーの葉から葉へ渡っていく。足が速くて、僕が見ている間に三枚の葉を横切った。その虫の後を追って目でたどると、踏まれたクローバーの花に、もう一匹止まっていた。それはさっきのと同じような虫で、花びらの中に頭を突っ込んでいた。

ふと、遠いほうで草刈り機の音がした。そちらのほうの草原はもう刈り取られていて、緑の粉が飛んでいるのが見えた。僕は、踏まれたクローバーの場所から立ち上がった。草刈り機の音はどんどん近づいてくるようで、でもまだずいぶん遠い。

結局、クローバーはあのままだった。僕はその場を離れて、草原の端の木陰へ歩いていった。そこでは、草が風に揺れて、かすかにサラサラと鳴っていた。

朝顔のつるがネットに絡まる朝のベランダの手作りイラスト

朝顔のつる、巻き方の癖

朝、水をやるついでにベランダの朝顔を眺めていたら、つるの巻き方に癖があることに気がついた。同じネットに絡まっているのに、左巻きのものと右巻きのものが混ざっている。朝顔はどちらかに決まっていると思っていたので、少し驚いた。

ネットの目を数えてみると、左巻きが七本、右巻きが四本。数えたところで何かが分かるわけではないが、気になってしまう。去年はこんなことは考えなかった。ただ水をやって、花が咲いたらそれでよかった。

つるの先端を指でなぞってみると、触ると少しだけひんやりしていた。まだ朝の涼しさが残っているからだろう。葉の裏にアリが一匹いて、ゆっくりと進んでいた。僕の指が近づいても、止まることなく進み続けた。

支柱に巻きついた細いつるを、ふいに千切ってみたくなった。が、すぐにやめた。せっかく伸びたつるをもったいないと思う気持ちと、千切ったらどうなるのかという好奇心がせめぎ合って、結局何もしなかった。ただ、そのつるが左巻きだったことは覚えている。

水をやる前に、プランターの土を指で軽く掘ってみた。表面は乾いているが、少し下は湿っている。水をやりすぎてもいけない。去年、水をやりすぎて根を腐らせたことを思い出す。あのときは枯れた朝顔を捨てるのが嫌で、しばらくそのままにしていた。

ネットの結び目に、去年の麻ひもがまだ残っているのに気がついた。ほどけかけて、そのままになっている。何かをするでもなく、それを少し引っ張った。ほどけそうで、ほどけない。そのままにしておくことにした。

そういえば、今朝はまだ花が開いていない。朝顔は早朝に咲くから、もうしぼみかけているはずなのに、今日はつぼみのままのものがある。曇りがちの朝だったからだろうか。天気予報では午後から晴れると言っていたが、本当だろうか。空のようすを見ると、確かに青い部分が見えている。

水をやることにして、じょうろを手に取った。ついでに、あの麻ひもをほどいてみようかとも思うが、とりあえず水をやることにした。

朝の台所のテーブルに置かれたラップの箱と計量カップ

朝の台所、ラップの端を探していた

朝ごはんのあと、残ったキャベツをラップで包もうとした。でも箱を開けても、端っこがどこにあるのか見つからない。いつもの癖で、箱の側面を指でなぞってみる。だめだ。

台所の引き出しを開けて、新しいラップの箱を探した。この引き出しにはいつも、使っていない輪ゴムとか、割り箸の予備とか、何に使うのか分からない小さな金具が入っている。奥のほうに、緑色の丸い容器があった。なんだったっけ、と手に取ると、空のメントールキャンディの箱だった。いつ買ったのか思い出せない。

引き出しを閉めて、またラップの箱に戻る。ところが今度は、箱の上に置いてあった計量カップが気になった。昨日の夜、味噌汁を作ったときに使ったはずだ。洗わずに置いてあったらしく、底に少し水が残っている。乾いて白い跡が輪になっていた。

ラップのことは忘れて、その計量カップを洗うことにした。蛇口をひねって、ぬるま湯で流す。白い跡は、指でこするとすっと消えた。水を切って、水切りかごの上に置く。そのとき、窓の外で蝉の声が聞こえた。朝だというのに、もう鳴いている。

結局ラップは見つからなかった。キャベツは、皿に乗せたまま冷蔵庫に入れることにした。ドアを閉めて、また開けて、皿の位置を直す。そのまま、小さな鉢のバジルの葉が乾いてないか触ってみた。

朝の窓辺に置かれたひまわりの鉢とスマートフォン

朝の窓辺、ひまわりの花言葉を調べた

朝、キッチンの窓辺に置いたひまわりの鉢に水をやっていた。ベランダで育てている二本のひまわり、片方は背が高くて、もう片方はなぜか半分の背丈しかない。種をまいたのが同じ日なのに、と思いながら、土の表面が乾いていることを確認してじょうろを持ち上げた。

水をやっていると、ふと花言葉が気になった。昔聞いたことがあるような気もするが、はっきり思い出せない。スマホを取りに戻って「ひまわり 花言葉」と検索した。出てきたのは「あなたを見つめる」と「情熱」、それから「憧れ」。どの言葉も、朝の光を受けている花の姿と重なるようで、少し照れくさい。

一番気になったのは「あなたを見つめる」という言葉だった。この二本のひまわりを、僕は毎朝見ているけれど、花の方から見られているとは考えたことがなかった。窓辺に置いた鉢を眺めながら、ひまわりにとっての「あなた」は誰なんだろう、と考える。太陽かもしれないし、僕かもしれない。分からないけど、そんなことを考えられるのが朝のいいところだと思う。

花言葉を調べた後、スマホに入っているひまわりの写真を見返した。先週の夕方、ベランダで撮ったものだ。そのときは花の向きが西を向いていて、夕日を追いかけているように見えた。今朝はなぜか東を向いている。太陽の動きを追っているのだろうか。調べた内容には「若いひまわりは太陽を追うが、大人になると東のまま動かない」と書いてあった。

それを読んで、うちの二本はどっちなんだろう、と思った。背の高い方はしっかり東を向いて、短い方はまだ少し揺れているように見える。成長の過程なのかもしれない。水をやり終えて、土の湿り気を確かめた。朝のうちだけでも、あの花言葉が似合う姿をしていてほしい、と何となく思った。

夜中の部屋で扇風機が回り、ベッドに横たわる男性

夜中に目が覚めて、線香の匂いを思い出した

夜中に目が覚めた。午前二時過ぎ、たぶん三時くらい。暑くて目が覚めたわけじゃなくて、特に理由もない。扇風機が回っている音だけが聞こえる部屋で、しばらく天井を見ていた。

最初は、ああ、まだ眠れるなと思った。布団をかぶり直して、目を閉じたら、また寝られる気がした。でも、線香の匂いがした。うちの仏壇の線香じゃなくて、近所の家かなにかから流れてきたんだと思う。夏の夜って、こういう匂いがふいに鼻につくことがある。

子どもの頃、夏休みにおばあちゃんの家に泊まったときも、夜中に目が覚めたことがあった。縁側の影が畳に映っていて、蚊取り線香の香りがした。今のは線香だったから、少し違う。でも、目が覚めたときに同じ匂いがあると、なぜか安心する。

時計を見たら、三時半だった。あと二時間くらいは眠れるはずだけど、もう起きてしまった。布団の中で足を伸ばしたら、つま先が冷たかった。汗もかいてないのに、肌がひんやりしている。涼しい夜だ。

スマホをチラッと見たけど、SNSを開く気にはならなかった。水分を取ろうと思って台所へ行ったけど、やっぱりいいやと思って戻ってきた。そのまま、扇風機の首振りの音を聞きながら、もう一度横になった。

おやすみなさい、と心の中で言った。誰にだろう。変な感じだったけど、なぜか悪くなかった。

夜の部屋で首を振る扇風機のイラスト

夜の扇風機、首を振るたびに鳴るきしみ

十時を過ぎて、部屋の扇風機をまだ回している。首を振るたび、ううん、というか、かあ、というか、要するに何かのきしみが混じるようになった。買ってから三年目で、昨年の夏まではこんな音はしなかった。

最初は何の音か分からなかった。風の音だと思って放置していた。でも、首が右端まで行って戻る瞬間にだけ鳴る。揺れ始めのタイミングで、ちょうど机の脚を引きずるような低い音がする。今夜は湿度が高くて、この音がいつもより湿って聞こえる。

扇風機のネジを締め直そうかと考えて、手を伸ばしかけた。やめて、首の根元を触っただけにした。少し遊びがあるのは前から知っている。いじると余計に鳴りそうで、そのまま戻した。

どこかで、誰かがエアコンの室外機を動かしているのか、しばらく遠くで低い音が続いていた。うちの部屋にはエアコンがなくて、その音を聞きながら、扇風機のきしみはまだ続いている。

ふと、押し入れの上の段にしまったままの、古い扇風機の羽根を思い出した。去年、買い替えのときに取っておいたものだ。取り替えようかと思ったが、その羽根にはカバーが付かなくて、結局使わなかった。押し入れの暗さの中で、羽根だけがまだ新しい。

扇風機を見ると、首はまた右端で止まっていた。きしみは鳴らない。しばらくして、また動き出す。その間隔を数えながら、僕は立ち上がって、押し入れの前まで歩いた。

夕方の台所でボウルに水を張り、なすを一つ浮かべている手元

夕方のなす、水に浮かべたら沈んだ

夕方、台所で味噌汁の支度をしていた。なすを切ろうと冷蔵庫を開けたら、奥に買ってから三日目のなすが転がっていた。ヘタの切り口が少し乾いて、皮に細かいしわが寄っている。

鮮度を確かめるために、水を張ったボウルに浮かべてみた。鮮度のいいなすは水に浮く、とどこかで読んだ気がした。ところが、ぽちゃんと落としたなすは、そのまま底に沈んだ。ゆっくり沈むというより、ストンと落ちた。それでなすが古いんだと分かった。

水から上げて、ヘタを切り落とした。切り口から白い実が見えて、芯のあたりが少し茶色くなっている。腐ってはいないけど、もう少し早く食べるべきだったな、と思う。そういえば、昨日スーパーでトマトを買ったとき、となりの人がなすを二つだけ持って、レジで「半分に切って煮るんです」と話していた。あの人は今日、どうやって食べたんだろう。

結局、そのまま塩もみにすることにした。輪切りにして塩を振り、しばらく置いてから水気を絞る。大蒜と醤油で炒めれば、何とか食べられるはずだ。味噌汁は、なすを入れないで普通に作ることにした。

夕方の台所は、窓を開けると風が通って涼しい。換気扇の音がして、外では誰かが自転車のベルを鳴らしている。なすを炒めながら、なすが水に沈んだことなんて誰にも言わないだろうな、と思った。それでいい気がする。

夕暮れの日本の街角で、ウクライナ人青年が缶ジュースを手に微笑む様子

ウクライナ人の青年が感動した、日本人の「普通」の優しさ

夕方のニュースで、ウクライナ人の青年が日本人の優しさに感動したという話を見た。彼はプロのレスラーを目指して来日したそうだ。道で道を尋ねたら、親切に教えてくれただけでなく、その場でスマホの地図アプリを開いて、目的地まで一緒に歩いてくれたらしい。「ウクライナではこういうことはない」と彼は言っていた。

僕はその話を聞いて、ふと数年前のことを思い出した。大阪の地下街で迷っていたら、同じビルで働いているらしいサラリーマンの人が、自分の昼休みの時間を割いて、目的の店の前まで連れて行ってくれたことがある。その人は途中で「ここのたこ焼き、うまいねん」と、関係のない話をして笑っていた。

なぜその記憶が今になって蘇ったのか、自分でもよくわからない。ただ、彼が感動したという「ウクライナではないこと」が、僕にとっては当たり前すぎて、逆に新鮮だった。東京の夕方、曇り空の下でそんなことを考えていた。

考えてみれば、僕は知らない土地で人に道を聞くとき、いつもちょっと緊張する。相手が忙しそうだと、なおさら声をかけにくい。それでも、大概の人は嫌な顔をせずに教えてくれる。あるいは、あのサラリーマンの人のように、少し過剰なくらい親切にしてくれる。

ウクライナの青年が、その親切を「やっぱ優しい」と感じたように、僕も海外で親切にされたとき、同じように思うのだろうか。そう考えると、優しさとは、受け取る側の心の状態で、こんなにも違って見えるものなのかと、妙に納得してしまった。

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