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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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午後の明るさを受ける画面と閉店ニュースを思わせるミニチュアの風景

TSUTAYAあべの橋店の閉店を、知らない店の名前から読んだ

午後三時二十五分、TSUTAYAあべの橋店が十月四日をもって閉店すると、公式Xの知らせを読んだ。画面に出てきた店名を、僕は最初、見慣れた言葉の並びとして流しかけた。あべの橋店に行った記憶はない。なのに、閉店という二文字だけが目に引っかかり、いったん指を止めた。

店の名前を知らないまま、店がなくなるニュースを読むのは少し変な感じがする。僕が知っているのは、TSUTAYAという大きな看板の記憶くらいで、あべの橋店の棚の位置も、入口の広さも知らない。知らない店なら感想は薄くていいはずなのに、公式の文章にある「皆様にご利用いただけた」という言葉を読み返してしまった。

十月四日という日付も、妙に具体的だった。閉店します、だけなら画面を閉じられたかもしれないが、そこに日曜日の日付が置かれると、その日まで営業している店として急に輪郭が出てくる。誰かが最後に立ち寄ることや、いつものように店を見て帰ることまで、僕の知らない範囲で続いている。

ニュースへの反応には「悲しい」「寂しくなりますね」とあり、僕はその二つを比べるように読んだ。悲しいは胸の内側に近く、寂しいは店のあった場所へ向いている気がした、などと勝手に分けてみたが、すぐに分からなくなった。画面の端には午後の明るさが映り、東京の空は晴れている。暑さのせいか、指を止めたまま、閉店日だけをもう一度確認した。

ガラスの反射に重なって低く見える街路樹

ガラスの反射で、街路樹の高さを見直した

ガラスの反射を見ながら歩いていて、街路樹の先端が思ったより低いことに気づいた。実際の木は建物の横に立っているのに、ガラス面には枝の広がりだけが薄く重なり、空の明るさに押されて上の部分が途切れて見える。僕は通り過ぎかけた足を戻し、同じ木を二度見した。

昼の光は強く、ガラスには道路の白さと雲のない空が混ざっていた。反射の中の幹は少し傾いていて、その傾きに合わせると、枝先の位置まで変わったように見える。高さを確かめたいのに、僕が見ているのは木ではなく、木が映った面なのだと遅れて思い出した。

ガラスから少し離れたり、横へ一歩ずれたりしてみると、隠れていた枝が現れた。街路樹そのものは動いていないのに、僕の立つ場所だけで印象が何度も変わる。足元のガラスの継ぎ目が目に入り、そこを境に葉の色が少し違って見えるのも、確かめるには邪魔なのか面白いのか決められなかった。

結局、木の高さを測るような見方はできないまま、僕は反射の端から幹の根元へ視線を下ろした。根元の周りに落ちた小さな葉を一枚数えかけて、数える対象ではないと思い、通りの先へ向きを戻した。

八月の昼の森林の縁に落ちる木漏れ日

森林の縁で、木漏れ日を数える手を止めた

木立の縁で、僕は足を止めた。昼の光が葉の隙間から落ちて、地面の乾いた土と細い草の上に、丸い明るさをいくつも作っていた。数えようとして、最初の三つでやめた。葉が少し揺れるたびに形がずれ、同じものを二度数えた気がしたからだ。数に向いていないのは昔からだけれど、今回は木漏れ日の側にも責任があると思う。

森林の縁は、森の中より目が忙しい。背中側には濃い緑があり、前には開けた草の明るさがある。その境目に立つと、どちらを見ているのか自分でも分からなくなる。僕は地面の一点を選び、そこに落ちた光だけを追った。白い小石の脇にあった明るさが、葉の影をかぶって灰色になるまで、しゃがまずに見ていた。

風は強くなかったが、枝の先だけがせわしなく動いていた。上を見たまま、僕は一度だけ目を細め、さっき数えた三つを探した。もちろん形はもう違っていて、見つけたのは数ではなく、草の葉に引っかかった小さな枯れ枝だった。拾うほどではないのに、靴先で触れて森の内側へ転がした。こういう余計な確認には、いつも時間を使う。

昼の暑さは森林の縁にも届いていて、額に汗が出た。木陰へ入れば楽そうなのに、僕は境目から動かなかった。明るい側へ半歩出ると、さっきまで見えていた影の輪郭が薄くなる。戻ると今度は草の先が光を隠す。数える代わりに、光が消える順番を覚えようとして、結局、最初の一つを見失ったところで立ち上がった。

朝の光の中で赤いケイトウを少し離れて見る情景

ケイトウの花言葉を、赤い花穂の先で読み直した

赤いケイトウの花穂の前で、僕はスマートフォンに出した花言葉を、いったん閉じてからもう一度開いた。朝の七時五分、空は明るく晴れているのに、空気は昨夜までの湿り気を残していて、指先が少しべたつく。花穂は炎のように見える、と書かれていたが、僕の目はその言葉より、先端に出た細い毛の重なりへ向いていた。

ケイトウの花言葉は「おしゃれ」「気取り屋」などらしい。赤い花に似合う言葉だと思いかけて、そこで画面を下へ滑らせるのを止めた。花そのものが気取っているというより、僕が赤い色を見て勝手にそう読んでいるだけかもしれない。こういう花言葉は、納得したふりをすると急に遠くなる。

近くの葉には、明け方の細かな水滴がまだ残っていた。花穂の中央だけを見ていたつもりが、葉の縁にある小さな欠けを見つけて、僕は花言葉の画面をまた閉じた。欠けた理由は分からないし、調べるほどでもない。ただ、きれいなところだけを選んで読んでいたことに気づいた。

ケイトウの花言葉を読み直したあと、僕は赤い花穂の先から少し離れて立った。離れると、花の形よりも、茎が朝の光の中でわずかに傾いているのが見えた。スマートフォンにはまだ検索結果が残っていたが、指はその続きを押さず、湿った葉の欠けた部分をもう一度見ていた。

水筋を拭く前の除湿機が置かれた部屋

除湿機の水筋を、拭く前にたどった

除湿機のタンクを空にしようとして、手を止めた。床に置いた本体の脇から、細い水筋が一つだけ伸びている。タンクを抜いたときにこぼしたのか、昨日の雨の湿気でできたのか、見ただけでは分からない。19時25分の部屋は、窓を閉めていても空気が重く、除湿機の表示だけが淡く光っていた。

ティッシュを取る前に、しゃがんで水筋の先を目で追った。途中で幅が少し変わり、床板の継ぎ目の手前で途切れている。指で触ればすぐ確かめられるのに、今日はそこまでしなかった。濡れた跡を先に消すと、何を拭いたのか自分で分からなくなりそうだった。こういう確認に時間を使うので、家事が妙に遅い。

水筋の横には、拭き掃除をしたときの細かな繊維が一本張り付いていた。水が運んだのか、もともと落ちていたのか判断できず、爪で取るのも後回しにした。床の汚れを探しているのに、目はいつも、汚れより小さいものへ逃げる。除湿機の低い音が止まるたび、部屋の広さまで変わったように感じたが、音が戻るとすぐ忘れた。

タンクの底も持ち上げて見た。透明な水が残ってはいなかったが、角に小さな水滴が二つ付いていた。原因はたぶんこれだと思いながら、たぶんのまま本体を少し手前へ動かした。背面のコードが床をこすり、短い音がした。その音が気になって、今度は水筋ではなくコードの曲がり方を見てしまった。結局、乾いた布の端を水筋のいちばん細いところに当て、押さえるように拭いた。こすって広げるのが嫌で、布を滑らせず、四角く折ったまま何度か置き直した。床はすぐ乾いたけれど、布の先に残った冷たさを確かめるため、僕はそれを広げずに持っていた。タンクを戻す向きだけ、まだ決めていない。

雨上がりの夕方にバス停の時刻表を読む場面

バス停の時刻表を、角から少し離れて読んだ

バス停の時刻表を読もうとして、僕は透明なカバーの右下に顔を寄せた。午後の霧雨はもう上がっていたが、板の表面には細い水滴が残り、紙の端が少し波打っている。17時25分、次の便を知りたいだけなのに、まず角の黒いテープが紙にかかっている位置を見ていた。角から離れないと、数字の列が途中で切れて見える。湿った空気のせいか、眼鏡のない僕の目でも紙面が少しぼやけた。

一歩下がると、数字は読めるようになった。ただ、今度は自分がどの欄を見ていたのか分からなくなり、指をガラスの外側で横に滑らせた。触っていないのに、指先だけは紙の上を進んでいるつもりになっていた。隣の案内板の留め具に水がたまり、そこから落ちた一滴が足元ではなく、時刻表の縁に戻ってきた。僕はその水滴を避けるように首を傾け、便の数字をもう一度確認した。こういう確認は一回で済ませたいのに、列の上から数え直してしまう。

次の便の時刻を覚えたつもりで、僕は視線を外した。すぐには歩き出さず、カバーの左下だけが乾いていることを見た。雨粒の跡は右側に多く、角に近い紙ほど暗く見える。バスが来る方向を確かめようとして一度顔を上げたが、通りを見たあと、また時刻表へ戻った。角から少し離れて読むだけのことに、僕は二度も同じ列を追った。後ろから車が通り、風でカバーが薄く鳴ったので、今度は欄の名前から読んだ。覚えた時刻は、歩き出す前にもう曖昧になっていた。

夕方の渓谷で濡れた面と乾いた面が分かれる石

渓谷の石を、濡れた面の先まで見た

濡れた面の先まで見ようとして、僕は渓谷の石の前で足を止めた。水の流れに近い石は全体が濡れていると思っていたのに、実際には途中で色が切れている。そこから先は乾いた灰色で、境目は線ではなく、細かなざらつきの変化になっていた。

僕は靴先を少し横へずらし、石の表面を正面から見た。水が薄く残ったところだけ、空の明るさを返している。手で触れば早いのだろうが、濡れているか確かめるだけに手を使うのは大げさな気がして、そのまま目で追った。流れの音が近く、見ている間にも細い水筋が一つ増えた。

石の奥には、苔のついた小さな段差があった。そこへ視線を移したあと、最初の境目がどこだったか分からなくなり、僕は一度だけ足元へ戻った。夕方の渓谷は明るさが均一でなく、濡れた面と乾いた面の差も、さっきより控えめに見えた。結局、跨ぐ場所を決めるまで少し時間がかかった。

午後の歩道にある排水溝と細かな雨粒

排水溝の雨粒から、靴先を外した

午後三時五十分、歩道を歩いていると、排水溝のふたの細い隙間へ雨粒が一つずつ落ちていた。昨日の雨が残したものなのか、いま降っている細かな雨なのか、見ている間にも区別がつかなくなった。靴先を少し前へ出せば、その粒の進む線を追えそうだった。

僕はそこで歩幅を変えた。追いかけるつもりはなかったのに、靴の先が排水溝と同じ方向を向いていると、どうしても次の粒を待ってしまう。濡れたふたの表面には小さな砂が張りつき、粒はそれに当たって左右へ分かれた。排水溝の雨粒を見ているというより、靴先の向きを確認していたような気もする。

一度だけ立ち止まり、ふたの端に溜まった水を靴で踏まない位置へ移った。移った先にも薄い水の筋があり、僕はそこを避けるために、歩道の内側へ半歩寄った。わざわざ選んだ道なのに、足元の数センチで予定が変わるのが少し可笑しかった。

雨粒は格子の下へ入り、音を残さなかった。僕はそれを見届けようとして、結局、次に落ちた一粒の場所までは確かめずに歩き出した。背中側で水が跳ねたように聞こえたが、振り返るほどではなかった。

夏の午後の上野動物園にあるパンダ舎と、別れを惜しむ来園者たち

パンダ舎の解体を知って、最後の別れを急がなかった

「明日から解体」というニュースを、14時の画面で読んだ。上野動物園のパンダ舎が、シャンシャンの生まれた場所として残っていたらしい。明日から、という言い方が先に目に入って、僕は記事をすぐ閉じられなかった。東京は雨の名残みたいに湿っているが、いまは雲の切れ間もある。こういう日に、朝から多くの人が思い出の場所へ行ったと知ると、自分だけ遅れて立っているような気がした。

シャンシャンを見たことがあるかと聞かれたら、僕はたぶん「ある」と答える。でも、どんな姿だったかより、見終わった人たちが出口で少しだけ歩く速度を落としていたことのほうを覚えている。実際に見た記憶なのか、別の動物園の記憶と混ざっているのかは判然としない。返還されたあとも、パンダ舎だけは続いていた。ニュースに出てくる「最後の別れ」という言葉は、少し大きいまま画面に残った。

僕なら、今日行けたとしても、写真を撮る場所を決めるまでに時間を使いそうだ。パンダがもういないと分かっている場所で、何を見ればいいのか迷うからだ。建物の前まで来て、結局は人の流れの端に立つ。記念にするには地味な過ごし方だけれど、解体される前に見ておきたいという気持ちは、たぶんそのくらいの形でしか出てこない。

今日の午後、記事を閉じる代わりに、僕は「明日」という一語だけをもう一度読んだ。

夏の朝に咲くオミナエシの黄色い小花

オミナエシの花言葉を、黄色い粒の手前で止めた

朝の七時四十五分、オミナエシの細い茎を指で避けながら、黄色い粒の集まりを見ていた。ひとつひとつの花を数えるつもりはなかったのに、先端のほうだけ妙に密で、そこから目が離れない。昨夜の雨が残した湿り気のせいか、茎は思っていたより濃く見えた。

花言葉を開くのは、そのあとにした。画面に出た言葉は「美人」だったが、僕が先に見ていたのは花の顔ではなく、粒と粒の間にある隙間だった。名前に似合うかどうかを考えるより、こんな小さな花が束になると、輪郭を決めきれなくなることのほうが引っかかった。

指を止めて、もう一度だけ拡大した。黄色は一色に見えず、明るい粒の横に、少し白っぽい粒が混ざっている。花言葉を読んだあとで見ると、さっきまでただのまとまりだったものに、急に人の顔らしさを探してしまう。探しても、見つかったのは細い雄しべだけだった。

窓の外は薄い雲で、東京の朝にしては風が軽い。画面を閉じる前、花言葉の欄を開いたまま、茎の下側へ視線を戻した。そこにはまだ咲いていない蕾がいくつかあり、僕は開花した粒より、その順番のほうを長く見ていた。

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