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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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川原で手に取った丸みのある石のイラスト

遅い朝の川辺で、石を一つ拾った

午前10時を過ぎた頃、散歩がてら近くの川辺に下りてみた。もう日は高くて、朝の涼しさはすっかり消えている。水際の石はまだ少し湿っていて、触るとひんやりした。

何となく足元の石をひっくり返してみたくなって、近くにあった握りこぶし大の石を持ち上げる。裏側は色が濃くて、細かい砂が張り付いていた。川の流れが作ったのか、表面にうっすらと白い筋が何本か走っている。特に珍しい石ではない。でも、その筋の模様が妙に気になって、しばらく手のひらで転がしていた。

そういえば、小学生の頃、図工の時間に石を拾ってきて絵の具を塗ったことがある。あの時は川原で平たい石ばかり探したっけ。理由は単純で、平たいほうが塗りやすいからだ。今手にしている石は丸みがあって、絵を描くには不向きだろう。そんなことをふと思う。

足元では、小さな魚が影から影へと泳いでいる。水は思っていたより澄んでいて、底の小石まで見えた。手に持った石をそっと水に浸してみると、途端に色が変わり、白い筋がくっきり浮かぶ。濡れたほうが模様がはっきりするらしい。面白いなと思いながら、石を元の場所には戻さず、もう少しだけ上流側の浅瀬に置いた。なぜか、さっきとは違う場所に置きたくなったのだ。

結局、その石は持って帰らずに、その場を離れた。ただ、手のひらに残った冷たい感触と、濡れた時に浮かんだ白い筋のことを、しばらく思い出しそうだ。

机に置かれたグラジオラスの花と日記帳、花言葉の札

朝のグラジオラス、花言葉をめくる

机の隅に、昨日のうちに差しておいたグラジオラスが、朝の光の中で静かに燃えていた。オレンジの花が下から順に咲いていて、一番上の蕾はまだ閉じたまま。窓の外は厚い雲に覆われていて、今にも雨が落ちてきそうな気配だった。

スマホで花言葉を調べてみる。画面に「強さ」「勝利」と出てきた。なるほど、剣のようにまっすぐ伸びた茎を見れば、たしかにそんな言葉が似合う。けれど、僕の前に立つこの花は、ただひたすらに直立しているだけで、勝ち負けとは無縁に見えた。

さらにスクロールすると、「忘却」「密会」という言葉も見つけた。忘却。あの尖った葉っぱのどこに、そんなあいまいな記憶が潜んでいるのか。密会にいたっては、まっすぐすぎて隠しごとができそうにない。

去年の夏、本屋でもらったグラジオラスの栞を思い出す。花の写真に花言葉が並んだもので、しばらく使っていたら、いつのまにか本の隙間から消えていた。あのときは「勝利」だと思っていたけれど、今見ると違う言葉が目につく。記憶はあてにならない。

花言葉のページを閉じて、もう一度グラジオラスを見る。蕾の先が少し茶色く枯れ込んでいる。この花は誰にも見られずに、ここで咲いて、そのまま終わるのだろう。机の上の日記帳を開き、日付の横に「グラジオラス、花言葉をめくる」とだけ書いた。

エアコンのフィルターを外そうと手を伸ばす場面

朝のクーラーフィルター、取り外し忘れた年

クーラーのリモコンを見て、そういえば去年のフィルターを外してなかったな、と思い出した。八月に入って蒸し暑い朝、外はどんより曇っていて、窓ガラスがうっすら湿っている。エアコンをつけようとリモコンを手に取った瞬間、去年の夏の終わりに「そのうち掃除しよう」と思ったまま放っておいたことを思い出した。

脚立を出してきて、カバーを開ける。フィルターには細かい埃がうっすら積もっている。確か去年の秋に一度外そうとして、ネジの一つが固くて、ドライバーを取りに行くのが面倒でやめてしまったんだ。あのときの小さな挫折が、そのまま一年近く経っていた。

フィルターを引き抜く。手に持つと、思ったより軽くて、なんだか拍子抜けした。埃はあるけど、目立って汚いわけでもない。こんなことなら早くやればよかった、と心の中でつぶやく。でも、去年の自分は確かに面倒だと感じていた。その感覚はもう思い出せないけれど、この小さな遅れの積み重ねが、いつの間にか一年分の埃になっている。

水で洗い流すと、埃が黒い筋になって流れていった。手を止めて、カレンダーを見る。八月六日。去年の同じ日は何をしていただろう。多分、同じように暑くて、何かを後回しにしていた気がする。フィルターを戻しながら、次こそはちゃんと掃除しよう、と思うが、たぶんまた来年の夏も同じことを考えているんだろうな、とぼんやり想像する。天気予報では明日は雨らしい。

夜のソファに置かれた本とタブレット、遠くの棚のぼんやりしたシルエット

夜のソファ、取り残した本の重さ

夜のソファに座ろうとして、手に本を二冊持っていることに気づいた。タブレットで調べものをしながら本棚へ向かったのに、なぜか一冊多く抱えている。左手に文庫本、右手にハードカバー。どちらも今夜読む予定じゃなかった。

文庫本は昨日の続きで、栞が挟まっている。ハードカバーは先週買ったまま積んであったやつだ。ソファに腰を下ろして、二冊を膝の上に並べてみる。どちらから読むか、ではなく、なぜ二冊もあるのか。

タブレットで読みたい記事があったはずなのに、画面はもう暗くなっている。本棚の前で、ついでに何か手に取ろうとしたのか。それとも、記事を探す途中で本の背表紙が目に入ったのか。自分でもよくわからない。

文庫本をぱらぱらとめくると、昨夜読んだ場面が出てきた。主人公が雨の駅で立ち尽くしている。ハードカバーの方は、まだカバーがぴったりしていて、開くと新刊特有の紙の匂いがする。どちらも読みたいけれど、今夜はもう遅い。

そう思って本を閉じると、ふと母が昔、枕元に本を何冊も積んでいたのを思い出した。寝る前にあれもこれも読みたくて、結局一ページも読まずに寝てしまうと言っていた。あの時は不思議だったけど、今はわかる気がする。

テーブルの上に二冊を戻す。タブレットはそのまま。結局どれも読まずに、ソファで少しだけ目を閉じた。

夕暮れの歩道に描かれた消えかかったチョークの矢印

夕暮れの歩道、消えかけたチョークの矢印

矢印の先には何があるのか

ふと足を止めた。歩道の端に、白いチョークで描かれた矢印が目に入った。もう薄くなっていて、先の部分はほとんど消えかけている。誰が描いたのか、いつのものなのかはわからない。ただ、矢印の先には電柱があるだけだった。

近所を歩いていて、こんなものを見つけると、つい立ち止まって考え込んでしまう。何かの目印だったのかもしれない。宅配の人が使うのか、あるいは子どもたちの遊びの跡なのか。少し前まで晴れていた空は、もう薄暗くなり始めている。この時間になると、道行く人もまばらだ。

その矢印の形が、なぜか子供の頃にやった「宝探しゲーム」を思い出させた。記憶の中では、公園の砂場の近くに同じような矢印が描いてあって、辿っていくと木の根元に折り紙のカエルが置いてあった。あの時はそれが宝物だったけど、今思えば誰かが適当に描いた線だったのかもしれない。でも、あの時のワクワク感は確かに残っている。

自分だけのルール

よく考えると、僕はこういう意味のわからないものを見つけると、自分なりに理由を考えずにはいられない。完全な妄想で、それが正解かどうかは重要じゃない。ただ、目の前の現象に対して、自分なりの物語を作るのが癖になっている。

この矢印の場合、僕は「迷子の猫を探すための印」だと決めつけた。特に根拠はない。でも、そう思い込むと、矢印の先にある電柱の影に猫が隠れているような気がして、少しだけ注意深く見てしまう。もちろん、そこに猫はいないのだけど。

しばらくその場に立って、矢印を眺めていた。歩道のタイルの目地に沿って、チョークの粉が残っている。雨が降ったらきれいに流れてしまうだろう。そう思うと、なんだか写真に撮っておきたくなった。ポケットからスマホを取り出して、何枚か撮る。でも、後で見返すことは多分ない。

日常に潜む小さな謎

こういうものに出会うと、日常って意外と面白いと思う。特別なことがなくても、ただ歩いているだけで、小さな謎が転がっている。普段は気にも留めないけど、たまに立ち止まると、誰かの痕跡がそこにある。その全てに意味があるわけじゃない。でも、その無意味さが妙に心地いい。

結局、その矢印の本当の意味は最後までわからなかった。でも、それでいい。僕はまた歩き出す。空はもうほとんど暗くなっていて、街灯が点き始めている。

夕方の川辺で、水面に映るアメンボの影を見る

夕方の川辺で、アメンボの影を数えていた

夕方、川辺の草むらに腰を下ろした。水面は茜色に染まり、風が運ぶ草の匂いがどこか懐かしい。

目を凝らすと、アメンボが数匹、滑るように動いている。その動きに合わせて、川底に映った影が面白いほどに拡がっていた。細い脚が波紋を作り、影はゆらゆらと歪む。実物よりずっと大きく、まるで別の生き物みたいだ。

気がつくと、僕はその影の数を数え始めていた。一匹、二匹……いや、あれは同じ個体か。光の加減で影が薄れたり濃くなったりするものだから、数えるのは意外と難しい。

アメンボの影は、本物より存在感があるように思えた。脚の影は長く伸びて、水面下の石や砂の上をなぞる。ふと、子どもの頃、同じように川辺で影を追いかけた記憶がよぎる。あの時はトンボの影だった。影を捕まえようとして、結局ずぶ濡れになった。

影は、光と水の間でただ揺れているだけなのに、どうしてこうも目を引くんだろう。アメンボ本体は軽やかに跳ねるのに、影はゆったりと踊っている。その対比が妙に心地よくて、僕は数えるのをやめて、ただ眺めていた。

西の空が一段と赤みを増し、川面の輝きが強くなる。アメンボの影もよりくっきりと浮かび上がり、また数えたくなる。でも今度は、数えるふりをして、影の輪郭を目でなぞるだけにした。結局、何匹いたのかはわからずじまいだ。

午後の日差しを浴びる自販機。押されたまま戻らないひとつのボタンと、その周囲のボタンたち。街の片隅の小さな違和感。

午後の駅前、自販機のボタンがひとつだけ戻らなかった

駅へ向かう途中、通りの自販機の前で足を止めた。

のどが渇いていた。今日は風がなく、午後の空気がじっとりと背中にまとわりつく。冷たいお茶でも買おうと小銭を入れる。

品物のボタンを押そうとして、指が止まった。ひとつだけ、ボタンが引っ込んだまま戻っていない。

少し濃い灰色のプラスチックのボタンで、他のボタンと同じ大きさ、同じ形。でも、それだけがぺったりと押し込まれて、周囲から一ミリほど低くなっている。誰かが強く押しすぎたのか、それとも何かの拍子にそうなったのか。

僕は目的のボタンを押し、狙っていたお茶の缶がゴトンと落ちてきたのを取り出す。それから、戻らないボタンの表面をそっと押してみた。カチッ、という手応えはなく、ただ沈み込んだままだ。

隣のコーヒーのボタンも押してみたくなったが、買うつもりはない。缶コーヒーを手に持って歩く自分を想像して、少しだけ迷う。

結局やめて、お茶の缶だけを持って歩き出した。振り返ると、そのボタンは相変わらず引っ込んだまま、午後の光を受けている。誰かが修理に来るまで、この状態が続くんだろうか。

缶を開けて一口飲んだ。冷たい液体が喉を通っていく。自販機の横を通り過ぎるとき、一瞬だけもう一度目をやったが、ボタンは見えなかった。

真夏の昼の渓谷、せせらぎの水面がきらめく様子

昼の渓谷で、水面のきらめきを数えていた

渓谷の道を歩いていたら、日差しが真上から落ちてきて、どこもかしこも白っぽく光っていた。木の葉の間からもれる光が、せせらぎの上に無数の斑点を作っている。僕は立ち止まり、その斑点の数を数え始めた。一つ、二つ、三つ……と、指を折りながら数えるが、すぐに分からなくなる。光が揺れるからだ。

せせらぎの音は、ここに来るといつも同じ調子に聞こえる。高い音と低い音が混ざって、耳の奥で小さく反響する。水面に目を凝らすと、小さな波紋がいくつも重なり合い、そのたびに光の形が変わった。丸だったり、細長くなったり、一瞬消えたり。

ふと、足元の小石を一つ拾い上げ、そっと水面に向けて投げた。石は吸い込まれるように落ち、小さな水しぶきを上げた。波紋が広がり、元のきらめきをかき消す。しばらくすると、また元の光の模様が戻ってきた。子どもの頃、こうして何度も石を投げては、波紋の数を数えたことを思い出す。あの頃は、何かを数えることが遊びだった。

それからしばらく、ぼんやりと流れを見ていた。特に何を考えるでもなく、ただ目の前の光のゆらぎを眺める。時折、鳥の声が谷にこだまし、風が葉を揺らす。日陰に入ると、急に肌寒く感じた。

結局、きらめきの数は最後まで分からなかった。まあ、それでいいかと思い、歩き出す。帰り道、もう一度振り返ると、さっきと同じ場所がきらきらと光っていた。何も変わっていないのに、少しだけ違って見えた。

庭で小さなすいかが割れている様子

庭のすいか、まだ小さいのに割れていた

庭のすいかが、まだ小さなのに割れていた。

朝の水やりをしていて、一番奥の蔓にぶら下がっている球を見つけた。ボールほどの大きさもあるかないか、色はまだ薄くて、縞もあまり濃くない。その真ん中に、白っぽい線が一本走っている。近づくと、それが深いひび割れだと分かった。割れ目から赤い果肉が見えている。皮がまだ青いのに、中はもう赤くなっているようだ。

触ってみると、ひびの周りの皮は少し柔らかくなっていた。昨日の晩は雨が降っていなかったが、母が言うには一昨日の夜に急に降ったらしい。急に水を吸って膨張して、皮が追いつかなかったんだろうか。すいかが割れるのは、収穫前の大雨の後によく聞く話だ。ただ、これはまだ小さいのに、そんなことが起きるのか。

僕はひび割れたすいかを傷つけないように、蔓から外すのはやめておいた。写真を撮って、以前家庭菜園をやっていた友人に送ろうか迷っている。その友人は、いつもすいかの育て方を熱心に話していた。でも、今送ると「水やり過ぎたんじゃないか」と言われそうで、少し気が引ける。

割れた部分から、かすかに甘い匂いがしていた。もうほとんど熟しているのかもしれない。まだ切るには早い気がするけど、このまま置いておくと腐るかもしれない。取ってしまおうか、それとも様子を見るか。日差しが強くなってきたので、一度家に戻って、母に聞いてみることにした。

夏の渓谷で石に座り、足を水に浸す男性

渓谷のせせらぎ、石の上で休んだ

渓谷のせせらぎのそばで、しばらく石の上に座っていた。今日は特に予定がないので、昼前の涼しいうちに歩いてきた。流れは思ったより速くて、岩に当たる音が絶えず聞こえる。

石は日なたにあったが、座るとひんやりとしていた。足元に水が近く、靴を脱いで浸してみたら、想像以上に冷たかった。最初はびくっとしたが、慣れると気持ちがいい。

水の中を見ると、小さな魚が数匹、影のように動いていた。手を伸ばせば届きそうな距離なのに、すぐに岩の下に隠れてしまう。あれが何という魚かは知らない。覚えているのは、体の側面に細かい斑点があったことだけだ。

しばらくそうしていると、向こう岸の木の枝で鳥が鳴いた。姿は見えなかったが、声だけがよく通った。僕はそのまま、水の音と鳥の声が重なるのを聞いていた。

途中で、持ってきた水筒の水を飲んだ。中身は麦茶で、もうぬるくなっていた。せっかくの渓谷なのだから、冷たい水で沸かしたらよかったのに、と思ったが、用意したのは昨日のうちに作ったものだ。

足を乾かして靴を履き、帰り道を探した。来た道を戻るだけだが、なぜか少し迷ったような気持ちになる。石の位置や木の形が、来たときと違って見える。二度目の道というのは、いつもこうだ。

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