Blog

思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

投稿日が新しい順に表示しています。

正午の森林の木陰にある湿った土と乾いた落ち葉の境目

森林の木陰は、湿った土の境目から見ていた

森林の木陰に入って、靴を止めた。正午なのにそこだけ少し温度が違うように感じたが、涼しさより先に、地面の色の切れ目が目に入った。昨日の雨を含んだ土は黒く、落ち葉の下まで湿っている。その隣では、同じような茶色の葉が乾いて軽く反っていた。

境目は線になっているわけではなく、ところどころ土がにじむように広がっていた。僕はしゃがまず、靴先だけを少し横へ向けて見た。踏めば簡単に混ざってしまいそうなのに、見るだけならまだ分けておける気がした。こういうとき、木の幹より足元を見ている自分は、森林に来た目的を少し外している。

細い枝が一枚の葉を押さえていて、その下だけ丸く濃くなっていた。枝をどかせば確認できるのに、そこまでしなくてもいいと思い、代わりに乾いた葉の端を目で追った。葉脈の折れ方が妙にきれいで、土の湿り具合より長く見ていた。

木陰から出る前に、もう一度だけ境目へ視線を戻した。陽の当たる側から見ると、黒い土は思ったより狭く、靴の幅にも満たない場所だった。僕は足を踏み出さず、枝に触れないまま立ち上がりかけて、結局その姿勢で少し止まった。

舗道の継ぎ目と金具が見える街角の標識

街角の標識で、向きより脚元を見ていた

標識の柱を見上げるつもりで歩いていたのに、僕の目は途中で足元へ落ちた。街角の標識は、進む方向を教えるものだと思っていた。けれど今日は、矢印の向きより、その柱が舗道のどこに立っているかが先に気になった。八月の遅い午前、乾いた舗道に薄い雲の影が途切れ途切れにかかっていた。

標識の脚元には、四角い金具と小さなボルトが見えていた。片方だけ少し黒く、もう片方は白っぽい粉をかぶっている。僕は歩幅を一つ縮め、靴先が金具に近づきすぎない位置で止まった。読むなら標識の文字なのに、先にボルトの数を数えようとした。二つまで見えて、三つ目は柱の影に隠れていた。

そこで顔を上げると、標識の板に雲の明るさが反射して、文字の一部が読みにくくなっていた。向きを確かめるために首を傾けたが、結局わかったのは、僕が立つ位置を少し変えれば見えるということだけだった。右へ半歩ずれると、舗道の継ぎ目が靴の前に現れ、その線が標識へまっすぐ伸びているように見えた。

その線を辿るように進む気はなく、僕は標識の脇を通り過ぎた。数歩歩いてから、案内を見落としたかもしれないと戻りかけたものの、振り返った先で確認したのは板ではなく、柱の根元に溜まった細かな砂だった。指で触るほどではないので、靴底で避ける。標識の向きはまだ正しく読めていないまま、僕は次の角へ歩いた。

朝の光が差し込む場所に置かれたクルクマの鉢

クルクマの花言葉を、朝の鉢の向きから読み直した

鉢を持ち上げる前に、クルクマの花がどちらを向いているかを見た。朝の光は明るいのに、葉の影が鉢の縁へ細く落ちていて、昨日の雨の名残らしい湿り気もまだ消えていない。花は正面を向いているつもりだったが、よく見ると重なった苞の先が少しだけ窓から外れていた。

クルクマの花言葉を調べたとき、「あなたの姿に酔いしれる」という言葉が出てきた。きれいな言い方だと思った反面、僕には少し大げさに見えた。そこで鉢を回すことにしたのだけれど、花を光の正面へ合わせるのか、葉の広がりがきれいに見える向きにするのかで、手が一度止まった。

結局、鉢の印を基準にせず、いちばん上の苞の先が明るくなる位置までほんの少し回した。回したあとで、反対側の葉に小さな折れ目があるのを見つけた。そこを隠す向きにすれば見た目は整うのに、僕は折れ目が見える方を残した。花言葉を読むなら、整った姿だけを眺めることではない気がしたからだ。

水を足すほどではなさそうで、鉢の土の表面だけ指で確認した。湿っていたので、そのまま窓辺を離れた。背中を向けてから、クルクマという名前の音が、さっきより鉢の中身に近くなったように思えて、靴を履く前に一度だけ振り返った。

波が引いた海岸に残る泡の細い帯

海岸の泡を、波が引いたあとで見直した

波が引いたあと、海岸の泡が細い帯になって残っていた。歩きながら見つけたのに、僕はその場で足を止めた。白い泡は砂の上で均等に並ばず、途中だけ太くなったり、薄い筋にほどけたりしている。次の波が来れば消えるものだと分かっているのに、消える前の形を一度くらい覚えておきたくなった。

しゃがむほどではないと思って立ったまま眺めていたが、結局、靴先を泡から少し離れた位置へずらした。近づくと見やすいはずなのに、足跡が増えるのが嫌だった。僕の足跡など波の跡よりずっと大ざっぱで、並べて比べるものでもない。それでも、細い泡の線を踏まないようにする判断だけは妙に慎重になった。

泡の中に小さな砂の粒が混じっていて、白一色ではなかった。水が抜けた場所には、細い溝が何本か残り、そこだけ光っている。海岸全体を見ればたいした違いではないのに、僕は泡の端より、その溝がどこで途切れているかを追っていた。

少し先にも同じような泡があったが、そちらはもう輪郭が崩れていた。こちらを見ている間にも、端から透明になっていく。写真を撮るほどのことではないし、撮ってもたぶん泡の細さは写らない。僕は立ち上がり、濡れて色の変わった砂を避けながら、次の波が届かないところまで歩いた。

そのとき、背中側で水が砂を引く音がした。振り返ると、さっきの泡の一部だけがまだ白く見えたので、また足を止めかけた。

夏の朝に三つの青い花と一輪の白い花を咲かせる朝顔

朝顔の花言葉を、開いた花の数だけでは決められなかった

朝顔の花言葉を思い出そうとして、開いた花を一つずつ数えた。朝の湿った空気の中で、青い花が三つ、少し離れたところに白い花が一つある。昨日まで見えていた蕾も残っていて、数え終わる前に目がそちらへ移った。

朝顔の花言葉には、愛情や結びつきのような意味があるらしい。けれど、三つの青い花を見て「これだ」と決めかけたところへ、白い花が入ってくる。白だけ別の意味にするのも変だし、全部まとめてしまうと、色を分けて見た自分の手間が余る。

花の数をもう一度確認しようとして、いちばん端の葉を持ち上げるように目を動かした。そこには開ききらない花が一つ隠れていた。咲いている花だけを数えたつもりなのに、明日開くものまで数に入れたくなり、僕の基準は朝からかなり頼りない。

結局、花言葉は決めず、四つの花が見える向きだけ覚えておくことにした。青い三つの間に白い一つがある。その並びを見ながら、蕾の先が少しだけほどけているのを確認して、数えるのをやめた。

夜の台所に置かれた麦茶ポットと外の雨

麦茶ポットの蓋を、縁の水滴を見てから閉めた

冷蔵庫から麦茶ポットを出して、蓋を閉め直そうとした。いつもなら上から押して終わるところなのに、今夜は縁の内側に細い水滴が残っているのが見えた。注いだあとに垂れたのか、出すときに少し揺れたのかは分からない。僕は蓋を持ったまま、閉める動作だけを保留した。

21時45分の台所は、外の軽い雨のせいか窓が暗く、麦茶ポットの側面に照明がぼんやり映っていた。水滴は汚れにも見えたが、わざわざ拭うほどではない。蓋を乗せれば縁が一周するはずで、その一周を確認しないまま押すのが嫌だった。ポットを少し回して正面を変え、同じ場所を二度見た。見る角度だけが増えていった。

布巾を取るために一歩横へずれると、蓋ではなくポットの底に貼られた小さな丸いシールの端が浮いているのに気づいた。僕はそちらを先に指で押さえた。必要なことより、目に入りやすいものを処理している。シールを平らにして戻ると、水滴は縁に残ったままだった。蓋を乗せ、最後まで押し切らず、少しだけ浮かせた状態で麦茶ポットを冷蔵庫へ戻した。

夕暮れの街角にある排気口と風の流れる舗道

排気口の風を、舗道の明るさで読んだ

排気口の前を通るとき、いつもなら頬に当たる風だけを頼りにしている。けれど今日は、顔を向ける前に足元を見た。街角の金属の格子から出た風が、舗道の細かなほこりをほんの少しだけ動かしている。線になった跡ではなく、灰色の面の一部だけが薄く明るく見えた。

暑さの残る八月の夕暮れで、空気は湿っている。風があるのかないのか、頬で確かめると自分の髪や服の具合まで混ざってしまう。舗道なら、動いたものの位置が残る。僕は排気口から少し離れたところに立ち、靴先を動かさず、その明るい部分が格子と同じ向きに伸びているかを見た。

一度、通り過ぎかけてから戻った。戻るほどのことではないのに、格子の端にたまった黒い汚れが、風の通り道だけ切れているように見えたからだ。実際には舗道の傷かもしれない。しゃがむ気にはならず、目の高さを変えないまま、少し首を傾けた。

近くを車が通ったので、明るい跡も一瞬わからなくなった。僕はそのまま進み、次の歩幅だけを小さくした。頬にはまだ風が来ていたが、顔を上げると判断が早すぎる気がして、排気口の格子を見たときの舗道の色を思い出そうとしていた。

庭の片隅にあるアンティーク調の立水栓とガーデンシンク

立水栓リメイクの記事を読んで、蛇口の足元を見た

立水栓をアンティーク調のガーデンシンクに変えた記事を読んで、僕は画面の完成写真より、蛇口の足元を長く見ていた。水を出すためだけなら見落とす場所なのに、台の縁や周囲とのつながりまで整うと、立水栓という名前の少し無愛想な感じが薄れている。夫妻で手を入れたという話も、作業そのものより、毎日目にする物をそのままにしなかったことに引っかかった。

午前の明るい光の中で自分の立水栓へ行くと、蛇口は相変わらず実用品の顔をしていた。僕は水を出す前に、足元の境目を靴先で避けるように見た。土が寄っている位置が左右で違い、片側だけ少し乾いている。そこを拭けばきれいになるのに、手をつけず、いちばん傾いて見える部分だけを何度も確かめた。

外は晴れていて、気温は二十九度近くある。立っているだけで首のあたりが暑いのに、記事の中の作業を真似するなら、まず蛇口を替えるのか、台を整えるのか、順番ばかり考えてしまう。リメイクという言葉から、塗装や飾りより先に、使うたびに目へ入る高さを想像していた。

結局、水を少しだけ流し、足元へはかからないようにした。流れた水が土の細い線を変えたので、僕はそれを見てから蛇口を閉めた。見栄えを変える話を読んだはずなのに、今日覚えているのは、変える前の立水栓の下にあった乾き方だった。

晴れた夏の朝の川辺にある白い石と流れる水

川の流れを、白い石の向きから見直した

川辺でしゃがんだとき、白い石の向きが先に目に入った。流れのそばにあるのだから、細い面を水に向けていると思っていたのに、実際は平たい面が少し斜めに上流を向いている。表面の乾いた白さと、下側の濡れて灰色になった部分の境目まで見ようとして、僕は水より石を長く見ていた。

朝の光は明るく、晴れているのに空気は湿っていた。水面には細かな反射が続いていて、石の向きを決めたものが流れなのか、たまたまそこへ転がった結果なのかは分からない。分からないままなのに、僕は石の横を通る水の筋を目で追い、同じ形の筋が次にも出てくるかを確かめた。

少し上流へ進むと、白い石の近くに細い枝が引っかかっていた。枝の先だけが水面から出ていて、そちらを見ているうちに、足元の石を見失った。戻って探すほどではないと思いながら、川幅を測るように対岸まで目を動かし、結局また石のあった場所へ視線を戻した。

僕は水の流れを見るつもりで来たのに、向きという一つのことに足を取られたらしい。白い石を動かす気はなく、写真を撮るほどでもないので、そのまま立ち上がった。靴の先に付いた細かな砂を払ってから、今度は石ではなく、石の脇を外れていく水だけを見ていた。

朝の窓辺に置かれた一輪のヒマワリ

ヒマワリの花言葉を、窓辺の一輪で決めきれなかった

花瓶の中で少しだけ首を傾けたヒマワリを見て、僕は花言葉を検索する前に、花の向きを直そうとした。窓のほうへ顔を向けているのに、茎の下はまっすぐで、動かしてよいのか判断がつかない。朝の光はもう明るいが、空気は湿っていて、花びらの端までくっきり見えた。

ヒマワリの花言葉には「あなたを見つめる」や「憧れ」があるらしい。どちらもこの一輪には合いそうで、片方に決めると、もう片方を雑に扱う気がした。花言葉は札のように一つだけ貼るものだと思っていたけれど、実際には見る角度で違う言葉が出てくる。

僕は花瓶を数センチだけ窓の中央からずらした。日差しを避けたかったわけではなく、ガラスに映った花のほうが少し大きく見えたからだ。そちらを見ていると、ヒマワリそのものより、反射の中で花びらが一枚だけ欠けているように見えることが気になった。

欠けているのではなく、後ろへ回っていただけだった。花瓶を戻すと、最初の向きに近くなったが、花言葉はまだ決まらない。僕は検索画面を閉じ、茎の水に触れないように、窓を少しだけ開けた。

1 … 16 17 18 19 20 … 173