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思考と技術の記録。besoft Blog

開発・設計・運用・プロダクトづくりのなかで得た知見を、読みやすくまとめて共有します。

記事一覧

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夏の朝、自動ドアの前に広がる静かな入口

自動ドアの前で、半歩だけ待った

自動ドアの前で、僕は半歩だけ待った。開くはずの線まで近づいていたのに、ガラスの向こうへ入る動作を急に決めきれなくなった。朝の東京は薄い雲が広がり、暑さはあるものの、昨日ほど空気が重くない。センサーに届く位置は分かっているのに、足だけが先に進まなかった。

ドアは閉じたまま、向こう側の床をこちらへ反射していた。僕は靴の先を床の境目に合わせ、開くかどうかを見るためではなく、合わせ方がずれていないかを確かめるように立っていた。必要のない確認だと思いながら、右足をほんの少し引いた。すると、上のほうで小さな作動音がして、左右のガラスが離れ始めた。

開き始めたらすぐ通ればいいのに、僕は一度だけドアの端を見た。どこまで動けば完全に開いたことになるのか、毎回そこを見てしまう。隙間が肩幅ほどになってから、ようやく前へ出た。通り抜ける途中で振り返るほどのことではないが、背中側で閉じる音を聞く前に、もう次の足の置き場所を考えていた。

中へ入ってから、半歩待ったことを思い返した。急いでいたわけでも、ドアが故障していたわけでもない。ただ、開く前の短い間に自分の進む向きを確かめたかったらしい。そんな理由を後からつけているうちに、入口のガラスはまた閉じていた。

朝の光の中で葉に触れられるゼラニウムの鉢

ゼラニウムの「真の友情」を、葉に触れた指で思い出す

ゼラニウムの葉に指先を置いたまま、僕は花言葉の「真の友情」という言葉を思い出していた。葉の表面は少し硬く、指を離すと、触れた場所だけが濃く見える気がする。朝の光はまだ強すぎず、湿った空気の中で赤い花の輪郭もぼんやりしていた。

友だちについて考えようとしていたわけではない。むしろ、花言葉を知ったときに「真の」とまで付くのは少し大げさだと思ったことのほうを覚えている。友情に本物とそうでないものがあるような言い方を、僕はすぐに疑ってしまう。けれど、葉を一枚ずつ見ていると、その言葉を完全に退ける気にもなれなかった。

葉の縁に小さな欠けがあり、そこへ指が引っかかった。花を見るつもりだったのに、結局いちばん長く見ていたのは花ではない。欠けた部分を反対の角度からも確認し、傷なのか、もともとの形なのかを決められないまま指を引いた。こういう不要な確認だけは、僕は妙に丁寧にする。

ゼラニウムの花言葉を思い出した朝は、きれいな話にまとまらず、葉の感触と欠けた縁だけが残った。僕は水をやる前に、指先についた匂いを一度嗅いでから、花の向きを少しだけ見直した。

朝の光の中で咲くサンビタリアの小さな黄色い花

サンビタリアの花言葉「私を見つめて」を読んだ朝

花の札の前で、僕は一度読んだ言葉をもう一度追っていた。サンビタリアの花言葉は「私を見つめて」。朝の光はまだ強すぎず、細い茎の先に並んだ黄色い花が、少しだけこちらを向いているように見えた。見つめて、と言われると、見る側の僕まで姿勢を正したくなる。

花言葉を読むとき、僕は花より先に札の文字を覚えてしまうことが多い。今回はなぜか「私を」だけが目に残り、「見つめて」の部分を後からゆっくり読んだ。誰に向けた言葉なのかは分からないのに、頼まれごとのように受け取って、花の数を数えかけた。途中で分からなくなり、最初の一輪へ戻った。

サンビタリアの花は小さく、中心の色と周りの黄色が近い距離にまとまっている。近づきすぎると全体が見えなくなるので、僕は一歩下がった。すると、さっきまで札に寄っていた視線が、今度は葉の重なりへ移った。葉の一枚だけ、隣の茎に押されて少し斜めになっている。

そこを直すほどでもないと思いながら、指を出しかけてやめた。朝の湿った空気の中で、触らずに見ているほうがよい気がしたからだ。「私を見つめて」という言葉も、花が大きな声で呼んでいるというより、札を読んだ僕が勝手に聞き取ったものなのだろう。僕はもう一度だけ花の中心を見て、札の横を通り過ぎた。

朝の台所に置かれた電気ケトルの蓋を確認する場面

電気ケトルの蓋を、閉めたか見に戻った

電気ケトルの蓋を閉めたか確かめるため、廊下まで出たところで僕は足を止めた。さっき台所を離れたばかりなのに、手のひらに蓋を押した感触が残っていない。開いていたら危ない、というほど大げさな話ではないが、閉めた記憶もない。こういう曖昧さだけは、眠気より先に僕を戻す。

台所へ戻ると、電気ケトルはいつもの場所にあり、蓋はきちんと閉じていた。見るだけでよかったのに、僕は指で縁を一周なぞり、浮いていないことまで確認した。縁の一か所だけ少しざらついていて、そこを見つけたせいで、確認が終わる時間が延びた。触った感覚を覚えておこうとして、逆に余計なことを考えている。

そのまま湯を沸かす気になり、スイッチには触れず、蓋の蝶番だけを見た。白い樹脂の継ぎ目に小さな茶色い線があり、汚れなのか影なのか決めきれない。顔を近づけると、窓の向こうが明るくなり始めていた。湿った空気のせいか、台所の床も少し冷たく感じる。僕は線を爪でこすりかけて、やめた。

閉まっていると分かったあとも、すぐには離れなかった。蓋を一度だけ開け、音を立てないように下ろす。今度は小さく閉じる音がしたので、さっき聞き逃したのはこの音だったのだと思う。けれど、聞いた記憶が増えたわけではない。ケトルの横に立ったまま、沸かすかどうかを決める前に、もう一度だけ蓋の端を見た。

暮れかけた台所のシンクで端だけ先に洗われる製氷皿

製氷皿の端だけ、先に洗った

製氷皿を洗おうとして、水を出したところで手が止まった。四つある列のうち、端の一列だけが妙に白く見えた。氷が残っているわけではなく、細い水滴が仕切りの角に集まっているだけなのに、そこを先に流したくなった。中央から始めると、途中で順番が分からなくなりそうだった。僕はこういう、誰にも頼まれていない手順を決めるのが少し好きだ。

端をつまんで傾けると、水はシンクの底へ細く落ちた。スポンジをその列のくぼみに入れ、角を一つずつ押す。洗剤の泡が白い縁に残ったので、裏返して確認したが、裏側まで見る必要はなかった気もする。蛇口の音の向こうで、外の明るさが少し落ちている。八月の空気はまだ暑いのに、窓のあたりだけは昼間より薄く感じた。

すすいだ端を置いてから、全部を一気に洗えば早いのに、僕は隣の列ではなく、皿の持ち手のへこみを親指でなぞった。そこに薄く残った泡を見つけたからだ。水を当てればすぐ消える程度で、見つけたと言うほどでもない。親指を濡らしたまま、もう一度だけ蛇口の下へ戻した。

持ち手の水を切ろうとして皿を振ると、端のくぼみに小さな水滴が戻った。さっき洗った場所なのに、やり直すか迷い、製氷皿を横向きにして傾きを変えた。冷凍庫へ入れる前なら、これくらいはしてもいい気がした。外はもう暮れかけていて、明日の雨のことを思い出したが、今は濡れた端を布巾に触れさせないようにしていた。

夕方の机に置かれた小さなフィカスとスマートフォン

100円フィカスの「三年後」に、指が止まった

画面を下へ送っていた指が、「100円のフィカスが3年後に」という見出しのところで止まった。100円ショップの小さな観葉植物を育て、剪定や仕立て直しをすると、三年後には驚くほど姿が変わるらしい。記事を読む前は、買ったときの大きさを少し想像しただけだったのに、三年という数字が出た途端、指だけが先に止まった。

夕方の東京はまだ暑く、画面の明るさを一段下げてから、写真を拡大した。幹が細く、葉も数枚しかない状態から、枝をどちらへ伸ばすかで印象が変わっている。僕は育て方の要点より、記事にあった「仕立て直し」という言葉を二度読みした。植物を買い直すのではなく、伸びた後から形を選び直せるという部分だけ、妙に具体的に残った。

三年後の自分を考える記事はいくらでもあるのに、100円フィカスの三年後には身構えずに済む。大きな目標ではなく、葉が増えたら切る、向きを見て置き直す、といった小さな手入れの話だからかもしれない。もっとも、僕なら剪定の直前になって、切る位置を何度も指で空中に描きそうだ。

記事を閉じたあと、購入価格の100円より、三年間その鉢を忘れないことのほうが難しいと思った。画面の端に残った「3年後」の数字を消すように、別の記事へ指を動かしたが、次に表示された見出しの途中でまた止まった。

東京のかき氷の記事を眺める夏の午後のミニチュア風景

東京のかき氷、候補が多すぎて決められない

16時34分、東京のかき氷を紹介する記事を開いたまま、僕は画面を一度いちばん上まで戻した。写真がいくつも並んでいるのに、どれが最初に出てきた店なのか分からない。暑さで頭がぼんやりしているせいにしたが、たぶん普段から選ぶのが遅い。

気温は28.7度で、窓の外は晴れている。冷たいものを食べたい気持ちはあるのに、記事に出てくる「個性豊か」という言葉を読むと、急に比較を始めてしまう。氷の細かさ、果物の量、器の大きさ。まだ食べてもいないのに、僕の中で採点表だけができていく。

候補の写真を指で横へ送っているうち、画面の端に小さく残ったスクロールバーが気になった。何軒あるか数えようとして、三つ目でやめた。数えたところで決まらないのは分かっているのに、数を知れば選べる気がする。このあたりが自分でも面倒くさい。

行列や営業時間まで考え始めると、かき氷を食べたいという話が、出かける計画の採点になってしまう。僕は記事の中ほどへ戻り、写真の下にある短い説明を読み直した。味より先に、文字の長さがそろっていることを見ていた。

閉じる前に、いちばん赤いシロップの写真だけもう一度見た。味の想像ではなく、暑い日にこれを見た人が同じように立ち止まるのか、と考えていた。結局、店の名前を覚える代わりに「東京のかき氷」という見出しだけが残った。画面を消すと、指先が少し熱かった。

午後のロッカー前で隙間のある扉を係員に伝える場面

ロッカーの扉の隙間を、係員に伝えた

ロッカーの前を通り過ぎかけて、扉の隙間に目が止まった。閉まっているようで、端だけが少し浮いている。午後四時十五分の明るさでは、見落としたと言うほど細い隙間でもないのに、さっきまで僕も普通に歩いていた。手を伸ばして押すことはせず、顔を少し横にして、隙間が上下で同じ幅なのかを見た。

一度、扉の番号を確かめようとして、番号より隙間のほうを先に見てしまった。こういうとき、肝心なものを確認する前に、どうでもいい部分の形を覚えようとする癖がある。扉は動かず、内側から音もしなかった。勝手に開けるのも違う気がして、僕はその場から離れずに係員を探した。

係員に「扉の隙間が少し開いています」と伝えると、係員はロッカーの前まで来て、僕が見ていた端を確かめた。僕は念のため、「閉めてよいものか分からなかったので」と付け足した。言わなくてもよかった気はするが、触らなかった理由を伝えたくなった。

係員が扉の具合を見ている間、僕は足元ではなく、隣の扉との境目を見ていた。隙間の幅を比べているつもりだったが、比べるほどの差はなかった。係員の短い返事を聞いてから、僕は通路の端へ寄り、歩き出した。

パペットスンスンデザインのほぼ日手帳を机の上で開いたミニチュア風の場面

ほぼ日手帳2027のニュースを、予約前に閉じた

ほぼ日手帳2027に、パペットスンスンのデザインが初めて登場するというニュースを読んだ。全7種類で、9月1日から発売され、いっしょに使える文具も出るらしい。午後の机でその記事を開いたまま、僕は手帳を買うときの基準を思い出そうとしていた。

といっても、予定をきちんと管理したいわけではない。空白のページに、あとで読み返すほどではないことを書くのが好きなのだ。昼に飲んだものや、買おうとしてやめたものまで残っている。役に立つ記録というより、書いた本人だけが分かる小さな置き場所に近い。

パペットスンスンの顔が表紙にあると、たぶんページを開く回数は増える。かわいいものに背中を押されるのは、少し気恥ずかしいけれど、僕は文具店で無地のペンを選ぶときにも、持ったときの気分をかなり見ている。結局、実用性だけでは決めていない。

一方で、表紙を眺めて満足し、三日で書かなくなる可能性もある。僕の手帳には、最初の数ページだけ妙に丁寧な字が並び、その後に急に大きな空白が現れることがある。ニュースを読み終えてから、発売日より先に、今使っているページを最後まで埋められるかを確認した。

机の端に置いた手帳を開くと、今日の欄にはまだ何も書いていない。午後の暑さで少し重くなった頭のまま、まずニュースの題名だけを書こうとして、文字の幅が足りるかを気にしている。

夏の歩道の縁に置かれた青いボタンのミニチュア模型

青いボタンを、縁に置いた

青いボタンを拾おうとして、指を伸ばしたところで一度止めた。午後三時五分の歩道は夏の光を返していて、道の端に落ちたそれだけが、妙に濃い青に見えた。服から外れたのか、袋の飾りなのか、裏返せば分かる気もしたが、靴先で触るのはやめた。

しゃがむと、ボタンの脇に細い糸が一本だけ残っていた。糸は青ではなく、少し白っぽい灰色だった。僕はそこを見て、持ち主の服を想像するより先に、ボタンの穴が二つか四つかを確かめた。四つだった。こういう確認だけはするのに、落とし物を届けるほどの判断はすぐにできない。

歩道の縁には、昼の熱がまだこもっていた。手を近づけると、拾ったあと置く場所まで考えなければならない気がして、結局、指先ではなく爪の先でボタンを押した。転がった青いボタンは、縁の少しへこんだところで止まった。そこなら踏まれにくいと思ったが、根拠は特にない。

通り過ぎてから、僕は二歩だけ戻った。戻った理由を決めるためではなく、さっき置いた向きが変ではないか見るためだった。表面の小さな傷が光を外していて、最初に見たときより地味に見えた。明日の雨を思い出したものの、拾い直すことはせず、そのまま歩いた。

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