硬貨を握る手のひら
朝の街角で、自動販売機の前に立っている。財布から出した百円玉二枚が、手のひらの中で温まっていく。湿度の高い朝の空気が、肌にまとわりついてくる。
自動販売機のガラスに、ぼんやりとした自分の姿が映っている。髪が少し乱れているのが見える。直そうとして手を上げかけたが、そのまま下ろした。硬貨を握り直す。手のひらが少し湿っている。
ボタンが整然と並んでいる。コーヒー、お茶、水。どれも同じように光っている。昨日もここで同じように立っていたことを思い出す。そのときは何を選んだか、思い出せない。
ガラスに映るもの
誰かが後ろを通り過ぎていく。足音だけが聞こえて、振り返らない。自動販売機のガラスに、その人の影がさっと横切った。
缶コーヒーのボタンに指を近づける。押さない。隣の緑茶に視線を移す。それも押さない。水のボタンの前で、また止まる。
手のひらの硬貨が、体温でぬるくなっている。握ったり開いたりを繰り返す。金属の匂いがかすかにする。
自動販売機の低い唸り声が、ずっと続いている。時々、中で何かが動く音がする。冷却の音だろうか。それとも別の何かだろうか。
選ばないまま
ガラスに額を近づけてみる。冷たい。中の飲み物がよく見える。どれも同じように並んでいる。値段も同じ。違うのは色だけ。
硬貨を投入口に近づける。でも入れない。また手のひらに戻す。もう一度、全部のボタンを見る。上から下まで。右から左まで。
後ろでまた足音。今度は立ち止まる気配。私の後ろで待っているのだろうか。振り返らない。ガラスに映る景色を見ている。曇り空が、ガラスの向こうに広がっている。
結局、何も買わずに立ち去ることにした。硬貨を財布に戻す。手のひらに、丸い跡が残っている。赤くなっている。
自動販売機を離れて数歩歩いてから、もう一度振り返る。誰もいない。ただ機械だけが、朝の街角で光っている。
