最近、ニュースで「未来型〇〇」とか「DXで効率化!」といった見出しを見るたびに、妙な既視感を覚えるのは私だけでしょうか。まるで、かつて「これで全てが解決する!」と喧伝されたバズワードが、形を変えて再登場したかのようです。人類の進歩は素晴らしい。しかし、その「進歩」とやらが、なぜか日々の手続きをますます複雑怪奇なものへと変貌させている気がしてなりません。
「効率化」という名の迷路
例えば、たかが住民票一枚取るのに、オンライン申請、マイナンバーカード読み取り、そして最終的には窓口で「あれが足りない、これが違う」とたらい回しにされる。これのどこが「効率化」なのでしょう? 我々は、最新技術という名の新たなハードルを、せっせと飛び越える練習をさせられているのでしょうか。便利になるはずが、なぜか常に「学習コスト」と「精神的疲労」が上乗せされるという摩訶不思議な現象。
真の「最適化」はどこへ?
あらゆるものがデータ化され、最適化を求められる現代。しかし、その最適化の果てに、私たちは一体何を手に入れているのでしょう。画面越しの無機質なやり取りが増え、誰かの顔を見て「ありがとう」と言う機会は減るばかり。本当に大切なものは、数値化できない心のゆとりや、人との温かい繋がりではないでしょうか。
そろそろ、無駄を削ぎ落とすことばかりに躍起になるのではなく、むしろ「無駄」の中にこそ隠された豊かさや、人間らしい時間を取り戻す時期に来ているのかもしれません。効率の名の下に失われつつある、見えない価値に目を向ける勇気が必要です。
