木々の間の夜

夜の森で木の幹に手を触れる後ろ姿

静かな入口

夜もふけて、小さな森の入り口に立つ。街灯の灯りはここまで届かず、足元は落ち葉で柔らかい。空は雲に覆われて星ひとつ見えない。湿度が高く、空気が肌にまとわりつく。昼間の暖かさがまだ地面に残っているけれど、夜の冷たさがじわじわと足首から上がってくる。

一歩足を踏み入れると、枯れ葉の乾いた音が静けさを破る。数歩進んで立ち止まる。息を吸うと、土と腐葉土の匂いが鼻を抜ける。湿った空気に混じって、どこからか花の残り香がかすかに流れてくる。

指先の記憶

近くの木の幹に手を伸ばす。指先にざらついた樹皮の感触。ゴツゴツと縦に走る溝をなぞる。冷たさが指先から手のひらに伝わってくる。生きた木の肌は、昼間の記憶をまだ少しだけ残している気がする。

しばらくそのまま、目を閉じてみる。目の前の闇と、まぶたの裏の闇が同じものに思える。耳を澄ませると、遠くで車の走る音がかすかに聞こえるが、ここはその音さえも遠い別の世界のもののようだ。風がないためか、葉のこすれる音もほとんどしない。ひときわ静かになる瞬間、自分の心臓の音が鼓膜に響く。

引き返す一歩

目を開けて、足元を見る。落ち葉が堆積している。踏みしめた場所は、湿気で少ししっとりとしている。しゃがんで手で触れてみる。腐りかけた葉は破れやすく、指の間で崩れる。土の匂いが一段と強くなる。

立ち上がり、もう少し奥へ進もうとして、なぜか足が止まる。この先に何かがあるわけではない。ただ、このまま進むと何かが終わってしまうような気がして、立ち尽くす。空を見上げる。雲の隙間から、月明かりがほのかに漏れている。明日は晴れるのだろうか。

体を回して、来た道を戻る。入口の街灯の灯りが、遠くに見える。あの灯りの下に戻れば、また日常が待っている。足音が二つ、三つと響く。森はもう後ろだ。